第30話 打開
「……今のは、夢?」
まるで朝の目覚めを再体験しているかのように、身体は軽く、不思議な爽快感に満ちていた。
身体のあちこちに痛みは感じるが、動けない程ではない。
意識を失う前と比べれば雲泥の差だ。
これなら、万全とは言えないまでも最低限の戦闘はできそうだ。
ダイスケは一度大きく息を吐き、戦況を分析する。
ミノタウロスはまだベルの元へ到達していない。
意識を失っていたのは本当に数秒程度だったようだ。
その事実がダイスケの心と身体を奮い立たせる。
「よし、今度こそ――」
今ならきっとベルを助けに向かうことができる。
そう思うが早いか、ダイスケは両手で大地を跳ね飛ばし、右足のつま先で後方へ置き去りにした。
そこに躊躇など、微塵も存在しない。
死への恐怖など、はるか昔に消え去っていた。
今、ダイスケの胸にある恐怖はただ一つだけ――共に歩んできた仲間を、ベルとステラを失うことだけだった。
「――ベルっ!」
闇雲に突っ込んだようにも見えるダイスケの一撃は、ミノタウロスの丸太のような左腕によって容易に防がれる。
だが、おかげでミノタウロスの標的はベルからダイスケへと再び切り替える。
ダイスケの目的は、十分に果たせていた。
「ダイスケ……」
「待たせたな。大丈夫だ」
そう言って再びミノタウロスとベルの間に割って入るダイスケ。
ダメージは多少回復してはいるものの、ベルを守ろうとする英雄の後ろ姿はふらついていて、万全の状態とは到底いえない。
それは、戦闘の経験が浅いベルにも容易く理解できた。
ミノタウロスの攻撃を時には回避し、時にはいなし、またある時は自らがオトリとなって注意を逸らしながら、戦闘を続けるダイスケ。
その姿を、剣を握りながら見つめるベル。
もどかしさ、悔しさ、そして不甲斐なさ。
様々な感情が剣を握る手に力を込めていく。
そんな彼女に寄りそうように、ステラが距離を詰めた。
「ステラ……?」
「わかってる。私も、いつまでもダイスケに任せっきりは嫌だからな」
どこか吹っ切れたようなステラの凛々しい表情に、ベルも大きくうなずくのだった。
紙一重でミノタウロスの拳を回避し、剣を切り上げようとするダイスケ。
だが、寸前のところで背後からの気配を察知し、ダイスケは身を伏せた。
その瞬間、巨大な火球がミノタウロスの上半身に直撃し、爆発する。
上体が大きく揺らぎ、仰け反るミノタウロス。
それが誰の攻撃なのか、ダイスケは振り返るまでもなく理解できた。
「ダイスケ、援護するぞ!」
予想の通りの人物――ステラの声が後方から飛んで来る。
「助かるっ!」
一言だけ礼を述べ、今度こそ剣を切り上げるダイスケ。
渾身の一撃は、その場に踏みとどまったミノタウロスのアゴへと向かう。
――大丈夫、ミノタウロスはまだ気付いていない。
「でやぁぁぁぁっ!」
掛け声と共に、剣を握る手に力を込める。
しかしながら、ミノタウロスも高い身体能力を発揮する。
剣先が触れる寸前のところで顔を背け、直撃を回避したのだった。
その瞬間、ダイスケの想いは運をも味方につけた。
天を突かんばかりの勢いで繰り出されたダイスケの剣撃は、ミノタウロスの左側頭部より生える角を見事に捉え、斬り落とした。
途端、空気を震わせる、悲鳴のような咆哮がミノタウロスの口より放たれる。
その反応に、気圧されて距離を取るダイスケ。
だが、その表情には希望の色が宿っていた。
それはダイスケが、この戦闘における勝利への道筋を見出していたことに他ならなかった。
「ベル、ステラ! ――角だ。ミノタウロスはあの角が弱点だ!」
師匠と共に戦った死闘の記憶。
身を呈してダイスケを庇い、示してくれた活路。
先程の光景は、決して白昼夢などではなかったのだ。
失われていたパズルのピースを、今一度はめ直すような不思議な感覚に、視界が揺らぎそうになる。
「いや、感傷に浸るのはすべてが終わってからだ」
ダイスケは胸の内に広がる懐かしさを戒めるべく頭を振り、改めて剣を構える。
心なしか、全身に走る痛みも大分緩和されてきている気がする。
勝てるかもしれない――そんな流れがダイスケたちの間に生まれつつあった。
対して、ミノタウロスも弱点を把握されたと悟ったらしく、右腕をやや持ち上げて右側頭部の角を庇うようなポーズをとる。
正直、この状態の相手に致命傷を与えるのはかなり難しいといえる。
でも、だからといってこの場から逃げ出すなんてことは叶わない。
倒すか倒されるかの二択――もう、やるしかないのだ。
「……やるぞ」
背後のステラ、そしてベルにチラリと視線を送った後、ダイスケは再度ミノタウロスとの距離を詰める。
先陣を切ったのはステラだった。
「
複数の火球と雷球が頭上を飛び抜けていく。
通常の魔法使いでは一度に一つの魔法が精一杯なところ、ステラはそれを軽く凌駕して二人分、いや三人分以上の役割をこなしてくれている。
そしてステラより放たれた魔法によって、ミノタウロスは防御に徹する以外なかった。
あとは右腕のガードをいかにして下ろすかだ。
ダイスケは左腕の動きに注視しながら、ミノタウロスの腹部を執拗に狙い、剣撃を繰り返す。
ダメージこそほとんど入っていないが、相手の集中力を崩すには効果的な手法だ。
ミノタウロスも左腕一本の単調な攻撃をことごとく回避され、苛立ちからか動きに粗が出てくる。
ダイスケはその隙を見逃さなかった。
ミノタウロスの左フックを懐に入るように回避したダイスケは、そのまま右脇腹へと駆け抜ける。
そして間髪入れず振り返り、跳躍する。
予想外の角度から繰り出されたダイスケの攻撃に、ミノタウロスはガードしていた右腕を払い退けるように振るった。
「ぐっ!」
剣を盾代わりに、直撃を免れるものの弾き飛ばされるダイスケ。
しかしその目は光を失っていなかった。
「ベル、今だ! 跳べっ!」
空高く響き渡るダイスケの叫び。
それを合図に、がんじがらめになっていた糸をすべて断ち切ったように、ベルの身体は弾丸のように鋭く地を駆けた。
「てやぁぁぁぁっ!」
まるで蝶のように軽やかに舞い上がるベルの身体。
ダイスケに注意を向けていたミノタウロスは、ほんの一瞬ではあるが、反応が遅れる。
慌てて左腕を振り上げて応戦しようとするミノタウロス。
しかし、その腕はベルには届かなかった。
「炎帝!」
ステラの放つ特大の火球がミノタウロスの左腕を弾き上げる。
「いくんだっ、ベルっ!」
「いけっ! ベルっ!」
ダイスケとステラ、二人の想いを受けて、ベルは空中で剣を思い切り振り下ろす。
「いっけぇぇぇぇぇぇ!」
それは技巧も、華々しさもない、至ってシンプルな一撃だった。
だが、ミノタウロスの角を切り落とすには、それで十分だった。
剣が振り下ろされ、数秒のラグを経てミノタウロスの角はきれいな断面を描いて地面へと落下し、転がった。
両角を切り落とされたミノタウロスは、暴れ狂う様子もなく、よろよろと後方へ後ずさりしたかと思えば、そのまま周囲の瓦礫を巻き込んで倒れ込んだ。
瓦礫の崩れる音と共に土埃が舞い上がり、ミノタウロスの身体が覆い隠される。
それから十数秒後。
土埃が晴れると共に再び現れたミノタウロスの巨体。
ダイスケたちはその様を注意深く眺める。
しばらく様子をうかがってみるが、起き上がってくる気配はない。
そこでようやく、ミノタウロスが絶命したことを確信した。
「や、やった……やったぁ!」
その場で飛び跳ねて喜びを表現するベル。
「まったく、まさか本当にやってくれるとはな」
全身で喜ぶベルの姿に思わず笑みを漏らすステラ。
「よかった。本当に……ありがとう、師匠……」
一方ダイスケは、一人離れた位置で座り込みながら、遠目に見える、少女の成長した姿に、目を細めるのだった。
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