第28話 最期の場所

 王都を出発して数週間。

 旅を続けるダイスケたちを取り囲む周りの風景も、今は薄紫色の空と褐色の荒野へと姿を変えていた。

 どこまでも続く岩と大地、そして所々に点在するサボテンのような植物。

 緑の匂いを乗せていた風も、土埃を多分に含むものへと性質を変え、気を付けなくてはすぐに咳き込んでしまいそうなほどだ。

 魔物どころか鳥や小動物といった生物の気配すらほとんど感じられない世界に、ダイスケたちも足元に転がる魔石を避けながら無言で歩き続けるばかりだった。

 そんな中、不意にダイスケが顔を持ち上げる。

 幾度となく目にしてきた、変わり映えしない光景のはずだった。

 にもかかわらず、その瞬間だけは、ダイスケの中に眠る、遠い昔の記憶――その片鱗と見事に重なったのだった。

 自然と早くなるダイスケの歩み。

「ちょっとダイスケ、何かあったの!?」

「何か気になるものでもあったのか!?」

 ダイスケの変化に声を上げるベルとステラだったが、その声にダイスケは答えることはなかった。

 ダイスケは何かに憑りつかれたかのように真っ直ぐ、足早に進んでいく。

 記憶違いの可能性もある。

 理論的に説明しろと言われたら断念せざるを得ない動機なのも間違いない。

 でも、不思議と確信はあった。

 あの時自分はこの道を歩いて、師匠と一緒に、この先でアイツと戦った。

 だからきっと、この先にあの場所が――師匠の墓があるはずなんだ。


「――あった」

 ようやくダイスケが歩みを止めたのは、崩落した砦の跡地だった。

 無人になってから相当な年月が経過しているのだろう、レンガ造りと思われる外壁はかろうじて残っているが、建物としての体裁は保てておらず、砦本体は瓦礫の山と化している。

「まったく……置いて行かれるかと思ったぞ」

 ダイスケから遅れること数十秒後、ようやく追いついたステラは膝に手を置き呼吸を整えながらダイスケの背中を見つめる。

 同様にベルも追いつくが、こちらは呼吸を整えるのに全力で、ダイスケに声を掛けられずにいた。

 二人の気配を背中で感じとったのか、ダイスケは一度深く息を吐き、答えた。

「きっと、この先だ……」

 まるで自分に言い聞かせるようにそう告げると、ダイスケは門だったであろう壁の隙間から敷地内へと足を踏み入れた。

 敷地内部は比較的緑で溢れていたと記憶していたが、今現在はすべてが褐色で塗りつぶされ、当時の面影はどこにもない。

 しかし、それでもダイスケは迷うことなく、壁に沿って砦の外周を歩いていく。

 気が遠くなるほど昔のことなのに、胸の鼓動が速くなっていくのをダイスケは感じていた。

 柄にもなく、緊張しているらしい。

 そして運命の角を曲がると――そこには風化して大分小さくなった墓石と、それを守ろうとするかのように大地に突き立てられた一本の剣が目に入った。

 瞬間、ダイスケの頭に電流でも流れたかのような衝撃が走る。

 剣の刃はすっかりさび付いて、最早武器として使い物にはならないのは明白だった。

 ただ、その姿が当時のダイスケ自身と重なって、心が強く揺さぶられる。

 理由はわからない。

 忘れかけていた感情が呼び覚まされたとでもいうのだろうか。

 答えの見えない心の奮えに、若干の動揺を覚えながらもダイスケは一旦目を閉じて心を落ち着けようと試みる。

 そこへ軽やかに割り込んできたのは、ステラとベルの切なげな声だった。

「なるほど……ここが、か」

「お墓……なんだね」

「……あぁ、ここが、俺の、師匠との思い出の場所だ」

 そう言って、ダイスケは再び墓石をじっくりと眺める。

 墓石を見れば、師匠のことを思い出せると思ったが、そう都合の良い展開は起こらないらしい。

 年月というものは、人の記憶というものは、なんと残酷なものなのだろう。

 痛々しい傷口を見せつけられたかのような重苦しい雰囲気。

 ベルも口にする言葉が見つけられなかったらしく、ただ神妙な顔でたたずむばかりだった。

 そんな空気を打ち破ったのは、地の底から響いてくるような禍々しい地の揺れだった。

「なっ、何事だっ!?」

 転びそうになるのをなんとか堪え、ステラが声を上げる。

「とっ、とにかく、壁が崩れる前に外へ!」

「うっ、うんっ!」

 ダイスケの指示に従い、慌てて敷地外へ逃げ出そうとする一同。

 すると、特撮に出てくる怪獣が街を破壊するように、瓦礫の山がガラガラと崩れ、巨大な牛の頭が姿をのぞかせた。

「――なっ!」

 驚きのあまり、言葉を失うダイスケ。

 それも当然のことだった。

 現れた魔物は、牛と人間を掛け合わせたかのような、二本脚で直立する筋肉質な怪物――ミノタウロスだった。

 しかも、ダイスケら人間の身の丈の倍はあろうかという巨大な体躯と、天を貫かんばかりの鋭い角を持った個体だ。

 今回の旅で戦ってきたどの魔物と比べても、格が違うということは、その威圧感からも明らかだった。

「ちょっと、どうするつもりだ!? ミノタウロスなんて伝承でしか聞いたことないぞ」

「あんなのと戦うの? 無理だって、逃げよう、ダイスケ」

 撤退を望む女性陣の声がダイスケに突き刺さる。

 だが、それは無理な提案だった。

 背後は脆くなっているとはいえ、レンガの壁が逃げ道を塞いでいる。

 隙をついて脇を駆け抜けることはできなくはないが、それはあまりにも危険な賭けだ。

 まるで運命が、ダイスケに戦う以外道はないと指し示しているかのような、絶望的な状況を作り出していた。

 そんな事態にもかかわらず、ダイスケの顔は呆れと諦め、そしてひとつまみの怒りをまぶしたような表情をしていた。

「まさか、この地でまたコイツと戦うなんてな……」

 ベルとステラ、二人を背にかばいながら、ダイスケはゆっくりと、しかし隙を見せない動きで剣を抜く。

 そしてダイスケはチラリと背後に目を向ける。

「大丈夫だ。俺が二人を守るから――」

 それだけ言うと、ダイスケは再び視線を巨大なミノタウロスへと戻す。

 ミノタウロスはダイスケたちを獲物と認識したのか、瓦礫を軽々と掻き分けて迫りつつあった。

「ダイスケ、本気なの!?」

「あぁ、俺は英雄だからな」

 最後まで引き留めようとするベルの声を振り払うように、ダイスケは一気に駆け出し、跳躍する。

 そして振り上げた剣を重力に従って一気に振り下ろす。

 ところが、ミノタウロスはまるで小枝を振り払うかのように、腕を盾にしてダイスケの初撃を弾き飛ばした。

 一方のダイスケも、中空で体制を立て直し、着地する。

 そこへ全貌を露わにしたミノタウロスが巨大な拳をぶつけるべく、右腕を振りかぶる。

 迫りくる風圧。

 鈍い音と衝撃の気配に、ダイスケは考えるより早く横っ跳びで回避を試みる。

「――うっ」

 着地の瞬間、地震でも起きたのではないかと錯覚してしまうような強い衝撃に、ダイスケの動きが止まる。

 しかし、それも一瞬のことだった。

 すぐさま立ち上がると、ダイスケは再び距離を詰めるべく駆け出し、ミノタウロスの頭部目掛けて剣を振るう。

 渾身の一撃とも言える一発が頬に直撃するが、ミノタウロスはビクともしない。

 皮膚のすぐ裏に鉄板でも仕込んであるのではないかと疑いたくなる程の重い反動に、むしろ攻撃をしたダイスケの腕の方が、痺れてしまうくらいだ。

「くそっ!」

 ミノタウロスが攻撃のモーションに入るまでの間に、ダイスケは休むことなく、神速の二撃、三撃目を繰り出す。

 相手が人間や小型の魔物であったなら、容易く仕留めている攻撃の連打。

 しかしながら、今回は相手が悪い。

 いずれもヒットこそするものの、決定打といえるような反応はなく、ダイスケの顔にも焦りの色が見え始める。

 確かに、ミノタウロスは強い魔物だ。

 それでも昔の自分は倒したはずなのだ。

 弱点はあったはずだ。

 それを思い出さなくては、このままではジリ貧だ。

 最悪全滅という事態も考えられる。

 記憶を呼び戻そうと必死になるダイスケだが、今は交戦中――冷静に分析ができるような状況などではない。

 そんな注意力が欠落した状態が続いた結果、ダイスケの見せた一瞬の隙に合わせて、ミノタウロスの大振りの腕払いが迫りくる。

「しまっ――!」

 あらゆる攻撃を紙一重に回避し、相手にカウンター模様の一撃を加えるダイスケの戦闘スタイル。

 まさに、それは諸刃の剣でもあった。

 戦闘時におけるダイスケの動きは、いずれも相手の攻撃を寸前で回避するものだ。

 それは逆に言えば、回避に失敗したなら致命的な一撃をもらってしまうということもである。

 そして今回、ミノタウロスの重い攻撃は、不運にもダイスケに直撃し、その肢体をゴム人形でも弾くように軽々と吹っ飛ばした。

 人外の放つすさまじい衝撃に、二度、三度と地面で跳ね返ったダイスケの身体は、その後壁際まで転がり、ようやく動きを止める。

「ぐ――はっ――!」

 外からの衝撃に、内臓が押し潰されそうになる。

 呼吸器どころか、身体が仮死状態になったかのように、言う事をきかない。

 打ち付けられたのが地面だったのが唯一の救いだった。

 これがレンガの壁だったら、衝撃でそのまま意識を失っていたことだろう。

「ダイスケっ!」

 遠くから悲愴に満ちたベルの声が聞こえてくる。

 ここで立ち上がれたなら、まだ彼女たちが逃げられるだけの隙は作れたのかもしれない。

 だが、ダイスケの身体は、電池の抜かれたオモチャのようにピクリとも動かない。

 この状態では、最低限の仕事すら果たせそうもなかった。

 人間と魔物という種族の差こそあるが、この魔物の強さは間違いなく本物だ。

 決して油断などしていなかった。

 今回見せた隙も、通常の戦闘であれば、許容できる範囲のものだった。

 それでこの様ということは、ただ、純粋に相手が強かったのだ。

 せめて、ここで一矢報いるようなことができたら、希望は繋がるのだろうが……。

 動けなくなったダイスケはなんとか挽回しようとするが、せいぜい指先が大地を浅く掘る程度で、立ち上がることすらままならない。

 そんな中、ミノタウロスは動かなくなったダイスケに興味を失ったらしく、今度は壁際で怯える二人の少女へと視線を向けた。

 次の瞬間、ダイスケは倒れたまま掠れた声で叫んでいた。

「――逃げろ、二人とも! 死ぬな!」

 ダイスケの必死の言葉に、ステラはうなずき駆け出そうとする。

 しかし、ベルはその場から動くことなく、鞘から自らの剣を抜き出し、ミノタウロスに対して真正面に構えた。

「おい、ベル! 何をしている。ダイスケが逃げろと言ってるんだ、お前も――」

 説得を試みるステラだったが、ベルは潤んだ瞳でミノタウロスをにらみつけたまま、首を横に振った。

「ここは、アタシが惹きつける。だからステラは逃げて――」

「バカ! そんなこと、できるわけ――」

「いいからっ!」

 鼻息荒く迫ってくるミノタウロス。

 その威圧感に、ベルの足は細かく震えていた。

 怖くないはずなどない。

 それでも生きるためには、この選択をせざるを得なかったのだろう。

 そう理解した瞬間、ダイスケは最後の力を振り絞り、立ち上がろうと全身に力を込める。

「――このまま、引き下がれる、かっ!」

 感情の赴くままに、ダイスケは顔を持ち上げる。

 全身の神経が痛神経に侵されてしまったかのように、激痛が止まらない。

 自分の感情とは関係なく涙が流れる。

 このまま無理をすれば、もしかしたら取り返しのつかない後遺症が残るかもしれない。

 そんな不安がダイスケを引き留めようとする。

 それでも身体を動かすのをやめなかったのは、ベルを失いたくないという想いが、ダイスケの中に強く根付いていたからだった。

 しかし、ダイスケの足掻きもそこまでだった。

「くそ……こんな時に……」

 不意にまぶたが重くなり、全身から力が抜けていく。

 身体が限界だと悲鳴を上げていた。

 意識にモヤがかかっていく。

 その事実に悔しさを覚えることすらできない。

 そして、ベルを助けたいという思いとは裏腹に、ダイスケの意識は急激に暗闇へと落ちていった。

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