第26話 恩人

「くそっ、どこだ……せめて水場を――」

 水場を求めて林の中まで飛び込んできたダイスケだったが、そこはまさに天然の迷路だった。

 不規則に並んだ木々と不安定な土壌に、時折姿を現す魔物を切り捨てながら進むという作業は、ダイスケに残された体力と精神力を執拗に削り取っていく。

「ダメだ……これ以上は、危ない」

 身の危険を感じたダイスケは休息をとるために足を止め、近くの木に寄りかかる。

 息が上がり、肺が苦しい。

 早く戻らなくてはいけないのに――。

 焦りが積み重なって、思考が曇っていく。

 これが、英雄様の実力なのだろうか。

 国を救い、人々に慕われ、憧憬の対象であったはずなのに。

 今となってはこのザマだ。

 腹の底から沸き立ってくる感情のままに、ダイスケは拳を木の幹へと思い切り叩きつけた。

 鈍い音と共に、幾枚もの木の葉が舞い落ちていく。

「くそっ、どうして……どうしてだよ……」

 自身の不甲斐なさにその場に崩れ落ちるダイスケ。

 悔しさと申し訳なさで、視界がにじむ。

「こんな思いをする為に、俺は――」

 その時だった。

 ダイスケの脳裏に、遠い過去の記憶がフラッシュバックする。

 道なき道を進んでいく懐かしい後ろ姿。

 時折振り返っては、心配そうにこちらの怪我の状態を気に掛けてくれる師匠。

 そして、一緒にたどりついた、小さな泉。

「そうだ、この先に――」

 ダイスケが顔を上げると、昔の記憶と目の前の光景が重なり、泉への道が描き出された。

 そして、何かに導かれるように歩き出して数分後。

 拍子抜けするほど簡単に、目の前に小さな泉が姿を現した。

「……あった」

 小さなキッチン程度のスペースに、岩の隙間から湧き出た水が、天から差し込む光を浴びて、小さな虹をかけて流れていた。

 時の流れと共に姿を変える自然の中で、その場所だけは時間が止まってしまったかのようにそのままに、記憶のままに存在していた。

「……ぼーっとしてる場合じゃなかった。水の確保だ」

 我に返ったダイスケは、懐かしむ間も惜しんで水筒に湧き水を注ぎ始める。

 だが、あと少しで満タンというタイミングで何者かの悲鳴が耳に入る。

「ひぃっ! だ、誰か、助け――」

 言葉からして、声の主は間違いなく人間だ。

 助けを求めているのだろうが、時間的にそう余裕があるわけではない。

 こうしている間に、他の魔物にベルやステラが襲われる危険もあるのだ。

 しかし、だからといって近くで助けを求める人を放っておくわけにもいかない。

 ダイスケは数秒考えた後、水筒のフタを閉め立ち上がった。

「悪い。ベル、ステラ……もう少し待っていてくれ」

 ベルもステラも、助けられる人命を見捨てるような英雄は望んでいないだろう。

 ダイスケが援護に向かったのは、そういった単純な理由からだった。

 そして、間もなくしてダイスケは当該の現場へと到着する。

 現場が水場から見て、目と鼻の先だったのは幸いだった。

「大丈夫かっ!」

 そこに居たのは大量の魔石が転がる中、腰を抜かす中年の男と、対峙する一匹の小鬼――ゴブリンだった。

 男は伸びたヒゲが特徴的だったが、体格はそこそこ大きいものの、決して筋肉質とは言えず、とても魔物と渡り合えるような雰囲気はない。

 ヒゲの男はダイスケの存在に気付くと、すぐに目線を送り助けを求める。

「頼む、そこの人。助けてくれ。どうかコイツを――」

 だが相手は魔物だ。

 男が言い終わるのを待たずに、ゴブリンは跳躍して襲い掛かった。

「ひぃっ!」

 引きつった顔をするヒゲの男。

 次の瞬間ダイスケのタックルによってゴブリンの身体は茂みの向こう側へと弾き飛ばされる。

「た、助かった……」

 窮地を脱したヒゲの男は安堵の声を上げるが、ダイスケは警戒を解くことなく剣を構え直す。

「いや、油断するな。ここはアイツらのホームだ。これで終わるなんてあり得ない」

 するとダイスケの発した言葉の通り、茂みの中から先程のゴブリンが仲間を連れて再び飛び出してきた。

 数で見れば相手の方が有利な状況だ。

 しかし、ダイスケは表情ひとつ変えることなく、素早く飛び出し剣を振るう。

 ひと薙ぎで一体を弾き飛ばし、振り戻した斬撃で二体目も斬り飛ばす。

 そしてラストの三対目は綺麗な袈裟斬り。

 手応えからして絶命まではいかなくとも、全員戦闘不能な傷を与えたことを、ダイスケは知覚する。

「これで、一応は大丈夫だろう」

「あ、ありがとうございます」

 剣を鞘へと仕舞うダイスケに、ヒゲの男は何度も頭を下げて礼を述べる。

「いや、当然のことだ。気にしなくていい」

「当然なんてとんでもない。命の恩人ですし……そうだ、何かお礼を」

 お礼をしたいと執拗に迫るヒゲの男に、ダイスケは少し考えた後、口を開いた。

「実は、今仲間が熱を出して倒れているんだ。薬か栄養剤みたいなものがあれば助かるんだが……」

 ダイスケの要求に、ヒゲの男は手を叩いてうなずく。

「大丈夫です。薬でしたら私持ってますよ。こう見えても商人やってますのでね」

「商人? ということはこの散らばった魔石は――」

 ダイスケの言葉に、ヒゲの商人はバツの悪そうな顔をしながらも、無理やり笑顔を作って回答する。

「はい、この辺は人の手が入ってないって噂を聞きまして、それで――」

「商人の仕事に口出しはしないが、この辺りは今みたいに魔物に襲われる危険も高い。次からは仲間と一緒に来るか、か傭兵を雇うことをオススメするよ」

「そいつはご親切にどうも。それで、恩人様のお仲間はどちらに?」

「あぁ、今から案内する。着いて来てくれ」


 来た道を戻るダイスケと商人。

 ところが出発してからかなりの時間が経過していたらしく、日暮れはとうに過ぎ、周囲は暗闇に染まり始めていた。

「しまったな、これじゃあ場所が……」

 場所の検討はついているが確証は持てない。

 そのもどかしさに、ダイスケの表情は強張る。

「……あの、本当に大丈夫なんですか? あれから結構歩いてますけど」

「あぁ、結構な距離を走ってきたせいだ。方角はあっているはずだ」

 背後から飛んできた商人の不安げな声にダイスケはできるかぎりの明るい声で答える。

 だがその心中はかつてない焦りで埋め尽くされていた。

 二人を置いてきたのは、草原の中にたたずむ、痩せた木の下だ。

 せめて月がもっと高く昇っていれば見つけることもできそうだが、悠長に待っている場合でもない。

 こんなことになるなら、目印となるものを置いておくべきだった。

 悔いても遅いことはダイスケ自身が一番にわかっていたが、それでも自責の念は晴れない。

 肌に受ける風も一気に冷たさを帯び、体力を奪いにかかってくる。

 歩く速度も次第に遅くなっていき、気力すらも宵闇に呑みこまれつつあった。

 その時、ダイスケの視界に小さく煌めく光が現れた。

 星の瞬きとも、キャンプの灯とも違う、力強い光源。

「あっ、もしかしてアレですか?」

 救助隊でも見つけたかのような商人の声に答えることなく、ダイスケは足早に光の元へと向かう。

 もしかしたら見当違いの場所に来ているかもしれない。

 それでも今はそこへ向かう他なかった。

 足元にまとわりつく草たちを力任せに押しのけ、ダイスケは進んだ。

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