第24話 成長

「たぁぁぁっ!」

 ベルの威勢の良い掛け声と共に振り下ろされた剣に、干し草人形は真っ二つになり、その半身を大地へと落とした。

 それでもベルは表情を緩めることなく、目の前で揺れる干し草の塊を見つめながら呼吸を整える。

 周囲に漂う張り詰めた空気感。

 それを追い払うように、拍手の音がどこからともなく響いてくる。

 ベルが背後を振り返ると、そこには柔らかな表情で拍手をするダイスケの姿があった。

 ダイスケは目を細めながら微笑み、口を開く。

「よくやったな。それだけできれば上出来だ」

 労いの言葉を掛けるダイスケに、ベルも口端を上げ微笑む。

「うん、成長したでしょ!? アタシだってやればできるんだから――」

 自信満々で剣を鞘へと納めつつ居直るベルだが、その言葉を遮るように甲高い笑い声が響いた。

「はっはっは。私にかかれば、菓子作りとやらも造作もないことよ」

 聞き覚えのある上機嫌な声から遅れること数秒。

 小屋の中から真っ白なホールケーキを手にしたステラが姿を現した。

 頬や鼻の頭に白いクリームをつけているのは、わざとなのか偶然なのか、判断に困る。

 それでもベルの成長を祝うという姿勢は好ましい。

 ダイスケはあえてクリームについての言及は避け、その成り行きを見守ることにした。

 一方、祝われる当人であるベルはというと、ステラの顔を見て吹き出して笑っていた。

「ちょっと、なにその顔……おかしいって。あはははははっ」

「なっ! なにを突然笑い出して――私は何もしてないぞ?」

 困惑した表情を見せるステラだったが、結局最後まで原因がわからなかったらしく、腑に落ちないといった態度を見せながらもケーキをベルへと差し出す。

「まぁ、とにかくだ。私が作った特製ケーキだ。見た目はちょっとばかし崩れてしまったが、味は保証するぞ」

 ステラの言う通り、ケーキはクリームが均等に塗られているわけではなく、場所によってクリームの密度が全然違うのが目に見えてわかる。

 それでも、彼女が真心が伝わってくるのは、ステラの慈しみを覚える表情のおかげだろう。

「あははは……ご、ごめんね。あと、ありがとう、ステラ」

 ひとしきり笑い終えると、ベルはケーキの脇に添えられていたフォークを手に取る。

 そして、ステラの手作りケーキを一口、頬張った。

 瞬間、ベルの顔に笑みが咲き誇る。

「すごいすごいっ! 甘くてふわふわで――なにこれっ!」

 驚きと喜びとが入り混じった声を上げるベル。

「ステラ、本当に料理ができたんだ……」

「なっ、だから最初からできると言っていただろう!」

 声を荒げて抗議するステラだったが、その顔には笑みが含まれていた。

 その笑みにつられてか、ベルも照れたような表情を浮かべ、謝罪する。

「あっ、ご、ごめんね……アタシのために、作ってくれたのに」

 素直に語られたベルの気持ちに、ステラもダイスケも、優しい顔つきになる。

 そしてベルは、改めて心からの言葉を述べた。

「ありがとう、アタシ頑張ってよかった!」

 花が咲いたという比喩がピッタリな、ベルの咲かせた笑顔は、見る側の心をも癒してくれる、その日一番の輝きを放っていた。


「いや、お礼とかそういうのはいいって」

「ダメ。それじゃあアタシの気が済まないから!」

 テーブルを挟んで向かい合いながら、ベルは語気を強めてダイスケに迫る。

 森の中にある小屋だからいいものの、これが町の飲食店だったら周囲の視線が突き刺さっていたことだろう。

「そうは言われてもな……」

 逃げるように視線を横にずらし、ダイスケはステラに助けを求める。

 しかしステラはダイスケの視線には気付かず、目の前に盛られたケーキの欠片を幸せそうに頬張っている。

 さっき拭き取ったばかりだというのに、口の周りにクリームをつけている辺り、本当にステラが19歳なのだろうかと疑ってしまいそうだ。

 そんなことをダイスケが考えていると、ベルの口から別の提案が出された。

「う~ん……じゃあ、ほら。何かやり残したこととかない?」

「やり残したこと?」

 オウム返しに聞き返し、ダイスケは再び考え込んだ。

 この世界にやってきてから何度も人生を歩んできたが、やり残したことなどあっただろうか。

 英雄として財も名誉も手に入れ、不自由のない生活が日常だった。

 勉強をしたいという願望は、叶う見込みはもうない。

 そんな自分に、やり残したことなんて――。

「ごめん、やっぱり、俺にはやり残したことは――」

 ないと言おうとした瞬間、ダイスケの脳裏にとある光景がフラッシュバックする。

 とても、とても悲しくて、記憶の端にひっかかるように残っていた過去の出来事。

 にじんだ世界の中で横たわる、自分を育ててくれた師匠の弱々しい姿。

 可愛らしい花々が咲き誇る中、地面に突き立てられた一本の剣。

 蘇ってきた記憶に、ダイスケの心は懐かしき思い出に染められていた。

「そういえば、あの場所……今頃どうなってるんだろう」

 それはダイスケにとって、何気なく口をついてでた言葉の一つのはずだった。

 しかし、やる気に満ちあふれているベルは、それを聞き逃すことはなかった。

「あの場所? それにしよう! ダイスケの思い出の場所、そこに行こうよ!」

「い、いや。これは俺の個人的な問題だから――」

 慌てて否定しようとするダイスケだったが、遅かった。

「ほぉ、いいんじゃないか。我々の目的は冒険だが、目的地は決まってなかっただろう?」

「なっ――おい、ステラ!」

 隣から飛んできた同調の声に、ダイスケは反射的に顔を向ける。

 そこにはさっきまでケーキを口にしながら、だらしなく顔を緩ませた少女の姿はなく、イタズラ好きな子供のような、ニヤついた笑みを浮かべる魔法使いがいた。

 もう、逃げ道などどこにもないのは明白だった。

「……わかったよ。でも、かなり昔のことだから場所も定かじゃないぞ?」

「大丈夫よ。見つからないなら、探せばいいんだもの!」

「ふふっ、そうだな。我々の力で絶対に見つけてやろうではないか」

「いくぞっ、ダイスケの思い出の地へ――」

「おぉーっ!」

 諦めた様子のダイスケをよそに、幼い子供のように盛り上がる女子二人。

 その脇でダイスケは憂いを帯びた表情のまま、一人つぶやく。

 正直、師匠がどんな顔をしていたかもおぼろげで、その場所にたどり着けたとして、何をしていいかも考え付かない。

 それでも、ダイスケは何かが変わることを願って、曖昧な記憶の中の師匠に思いを馳せるのだった。

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