第19話 談話
周囲を深い森に囲まれた、林業に勤しむ人々の集落――ウッドアンクル。
その中央にある小さな酒場は、決して人口が多いとは言えないこの集落において、唯一の飲食店だ。
いつ崩落してもおかしくないような、朽ち果てた木目の内装に囲まれながら、ダイスケたち3人は、年季の入った丸テーブルで早めの昼食をとっていた。
店内は賑やかと呼ぶには多少活気が乏しく、中央のテーブルで常連らしき男たちが数人、酒盛りをしているくらいで、他に客の姿はない。
旅人が好んで立ち寄るような場所ではないせいか、店主である中年の男性もダイスケたちを気に留めることもなく、常連たちとの会話に入り浸っている。
おかげで、ダイスケたちも多少声は抑えてはいるが、気兼ねなく会話を繰り広げることができていた。
「ぷはぁ~っ、運動後のミルクはやはり美味い」
ミルクを一気に飲み干したステラは、空のコップをテーブルの上へ置く。
まるで酒でも飲んでいるかのような清々しい飲みっぷりだが、それを目にしたベルの反応は冷ややかだった。
「その飲んだ後の声、なんだかおじさんみたい」
「おっ、おじさん、だと……」
多少の自覚はあったのか、それとも余程ショックだったのか、ベルの発言を否定することもなく、ステラはその場で硬直する。
一方、ベルはすぐにステラから眼前の皿の料理へと興味を移し、フォークでホクホクのイモを突き刺していた。
これはさすがにステラに同情したいが、残念ながらこちらも掛けるべき言葉が見つからない。
ベルの例えが、あまりにも秀逸過ぎた。
ちなみに現在テーブルの上に乗っている皿は、イモと燻製肉、そして数種の葉菜を炒めた料理と、飲み物としてのミルクが人数分。
メニューのバリエーションは少ない店ではあったが、値段も地元価格でお手頃ということもあり、テーブルの上はいつになく華やかだ。
先程から何度かつまんでいるが、味付けも濃い目に仕上げてあるおかげで、もう半分以上平らげている。
これなら、もう一皿くらい注文してもいいかもしれない。
そんなことを思っていたダイスケだったが、不意に耳へと入ってきたステラの不穏な言葉に、思わず硬直する。
「この……大人しくしてればいい気になりおって……この辺りで大人の怖さを見せてくれようか!」
ステラは顔こそ笑顔であるが、怒っているのは火を見るよりも明らかだった。
さすがに、このままではベルの身に危険が及びかねない。
ダイスケはできるだけステラを刺激しないよう、小声で話しかける。
「ステラ、ここはひとつ、大人の対応で。頼む」
掛けられた言葉に、ステラの顔からは急激に怒気が引いていった。
結果、多少不機嫌さは残しつつも、ステラは幾分冷静さを保った状態にまで落ち着いたといえるだろう。
「まぁ、ダイスケがそう言うなら。私は大人だからな、もちろん広い心で許してやるぞ」
口論や乱闘になる前に事態を収拾できたことに、ダイスケは心の中で安堵の息を漏らす。
ここまで英雄という立場に感謝できたのは久しぶりかもしれない。
自らの運命に感謝をしながらも、ダイスケはステラとベル、二人の様子に目を配る。
そう、ここで油断してはいけないのだ。
この二人のことだ、何をきっかけに再燃してしまうかわからない。
しばらくはこちらで話題を振って、両者のボルテージが鎮火するのを待つのがいいだろう。
「そういえば、ステラは王都を離れて大丈夫なのか? 俺たちと違ってステラには仕事があるんだろう?」
「んっ、私の仕事か?」
ダイスケの問いかけに、ステラはオウム返しに確認をする。
そこにはもう、怒りや憤りといった感情は見られなかった。
「あぁ、しかも結構身分も偉いんだろう?」
覆い被せるように放たれたダイスケの言葉に、ステラはニヤニヤと顔をふやかしながら答える。
「なぁに、心配は不要だ。身分こそ研究職の長ではあるが、研究のためと言えば数週間くらいの融通は利く」
「それって、もしかして……」
嫌な予感がするが、聞かないわけにもいかない。
ダイスケは顔をしかめそうになるのをこらえながら、続きを促した。
「ふっふっふ。これがかの有名なバケーションというものだな」
「それって、都合よく仕事を休みたかっただけなんじゃないの?」
今にも高笑いを始めそうなステラを寸前で踏み留めたのは、予想通り目を座らせたベルだった。
「と、当然だ。えい……ダイスケとの旅で知見を広めるなんて、今後あるかわからない貴重な機会だからな」
「そうなんだ。アタシはてっきり、旅行感覚でダイスケと旅したことをみんなに自慢したいのかと思ってた」
「ぎくっ! そ、そそんなこと、ないぞ?」
ベルの詰問にうろたえながら答えるステラ。
それでは図星を認めているようなものだ。
元々嘘がつけない性格なのかもしれないが、それが妙に可愛いらしく見えてくる。
「そうか、じゃあそういうことにしておこう」
ステラのことを笑えないくらいに顔が緩んでいそうだが、そこは考えないようにして話を収束させる。
場の空気も大分温まっているし、これなら割といい雰囲気で食事を終えられそうだ。
気を緩めかけたダイスケだったが、そこへ突如としてステラからのキラーパスが飛んで来る。
「では、次は私の番だな。もちろん答えてくれるのだろう、ダイスケ?」
「そこで何で俺に話が飛ぶんだよ」
「私にだけ話をさせるのは、不公平だろ。さぁさぁ、英雄様が過去にどんなことをしてきたのか教えてくれたまえ」
「うっ……」
聞き耳の心配が少ないとはいえ、自身の過去を話すのはどうにも気まずい。
それも相手が20歳にも満たない少女たちなのだから、なおさらだ。
何とか助けてくれないかと、目線でベルに助けを求めてみる。
しかしベルは助けるどころか、興味深げにダイスケの顔を眺めている。
ベルもステラ同様、話が聞きたいみたいだ。
なら、ここは覚悟を決めるしかない。
できるだけ当たり障りのない話題で、なんとか許してもらおう。
「まぁ、大したことはないよ。王城で客人の相手をしたり、後は空いた時間で剣の練習だとか本を読んだりだとか――」
途端、テーブルに走った衝撃にダイスケの話が途切れる。
何事かと顔を向けると、そこには険しい顔をしたステラの姿があった。
「ち、が、う! 私が知りたいのはそんな御上の雅な生活なんかではなく、冒険の記憶だ」
できるだけ煙に巻こうと努めたつもりだったが、ステラには通じなかったらしい。
ここまで迫られたら話さないわけにもいかないだろう。
ダイスケは深く息を吐くと、イスの背もたれに寄りかかり、首を縦に振った。
「わかったよ。話せばいいんだろ?」
「あぁ、最初にここに来た時のことから頼む」
ステラのリクエストに、ダイスケは深い溜息を吐くと、今度こそ自らの過去を語り始めた。
「記憶はもう曖昧になってしまっているが、俺が最初にラインヘッドに降り立った時は、まだ戦争が行われてる最中だった」
戦争という言葉にベルとステラ、両方の頬がピクリと動く。
二人の様子に、ダイスケはわずかに目を細めながら、若干顔を上向けつつ、話を続ける。
「もちろん、来たばかりだから俺は何もできないただの少年だった。そこで出会ったのが師匠だ」
「師匠って、もしかしてダイスケが言ってた女の騎士の人?」
ベルの質問に、ダイスケはうなずく。
「あぁ、師匠には感謝してるよ。俺の面倒を見てくれたのはもちろん、一緒に旅もさせてもらったし、剣技も、常識も、この世界のあらゆることを教えてもらったんだから」
「でも、その師匠とやらは女性なんだろ? 何もなかったなんてことはあるまい?」
どこか期待に満ちた笑みでたずねてくるステラ。
こういった話題に興味を持つ辺り、やはり年頃の女性なのだろう。
だが、残念ながら師匠との間にそういった恋愛関係はなかった。
仮に特別な感情を抱いたとしても、それは尊敬だとか、感謝だとか、そういった感情だ。
「いや、残念ながらなかったよ。当時は生き残ることに必死だったからね。でも、もう少し一緒の時間を過ごしていたら、わからなかったかもしれないな……」
「……なんだ」
「……残念」
がっくりと肩を落とすステラとベル。
事あるごとに衝突を繰り返す二人だが、リアクションの息もピッタリだし、お似合いのコンビのようにも見えてくる。
不意に笑いが込み上げてきて、ダイスケは思わず吹き出す。
「おいおい、期待しすぎだろ」
「仕方ないだろ。女子というものは、色恋が大好物なのだからな」
そう口にしたステラの顔は、自身の発言に違わず、とても楽しそうだ。
そんな中、ダイスケとステラの間に割り込むように、ベルが身を乗り出してくる。
「ねぇねぇ、魔物とかは、どんなのと戦ったの?」
「今は私が聞いている途中だろう!」
「もう終わったじゃん。今度はアタシの番でしょ!」
途端、再びにらみ合うベルとステラ。
先ほど息の合った動きをしたばかりだというのに、この変わりようだ。
ダイスケは目の前で猫のようにじゃれ合う、可愛らしくも騒がしい二人を眺めながら、ミルクを口に運び、記憶の中の魔物たちを羅列していく。
「戦った魔物は、ゴブリンにゴーレムにスケルトン……それから、ミノタウロスもいたな」
「ミノタウロスだと! あの大型の魔物とも対峙したことがあるとは、さすがだな!」
著名な魔物の登場に、ステラは目を見開き、興奮と驚きの入り混じった声を上げた。
それはベルも同様らしく、興奮冷めやらぬといった様子で好奇心むき出しの問いかけをぶつけてくる。
「ねぇねぇ、ドラゴン、ドラゴンは戦った?」
「ドラゴンは、さすがにないかな……」
別段、見栄を張る必要もないので、正直に答える。
本当にドラゴンと対峙なんてしてしまったら、それこそ何度生まれ変わることになるか、想像もつかない。
そういう意味では、当時の旅路は幸運だったのかもしれない。
ただ、ベルにとっては期待外れな回答だったらしく、口先を尖らせて不満を口にした。
「えぇ~っ、英雄なのに?」
「あぁ、残念ながら」
返す言葉に困り、ダイスケは苦笑を浮かべる。
一般の人間が抱く英雄のイメージは、相当に美化されているようだ。
そんな中、ステラはアゴに手を添えながら、ニヤリと笑う。
「だが、実力は本物なのは間違いないだろう。先程、ちょっとばかし動きを見させてもらったが『神に愛された剣』の名に偽りなしといった感じだったぞ」
「――ぶふっ!」
ステラの言葉にダイスケは思わず吹き出した。
ミルクを口に含んでいなかったのは、幸運だった。
通り名の存在自体、ダイスケは知っていたが、いざ口に出して言われるとさすがに恥ずかしさを隠し切れない。
「ど、どうしてそれを……」
口元をぬぐいながらダイスケはたずねる。
するとステラはさも当然といった様子で語り始めた。
「教科書にも載っている話だからな。対人戦では無敵を誇る、死をも恐れぬ一切の守りを捨てた突撃――神にでも愛されなければ命がいくらあっても足りないと言われ――」
「わかった、わかったから、そこで一旦ストップだ!」
ダイスケは強引に割り込み、ステラの話を止めた。
そうでもしなければ、羞恥で心が持ちそうもない。
ダイスケの介入に、ステラは若干不満そうな顔をしながらも、すぐに視線をベルへと向ける。
「――まぁ、ベルは、ダイスケの凄さは理解できていないと思うがな」
優越感にひたるようなステラの表情。
しかし、ベルの方も言われっぱなしではない。
条件反射になっているのではと思えるほど、迅速に言葉を返す。
「ふんっ、確かに知らなかったけど、アタシはダイスケの実力を見抜いて一緒に行動してるんだから」
「ふ、ふん……どうだろうな」
わかりやすい強がりを見せるステラ。
これ以上ヒートアップされてもまずいし、そろそろ止め時だろう。
「なぁ、二人とも、いい加減食事に――」
その時、店の扉が勢いよく開け放たれる音が店内に響き渡った。
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