第17話 抜け道

 ステラに連れられ、ダイスケとベルが訪れたのは、王都の東側のエリア――比較的治安の良い、上流階級の人間たちが暮らす区域の端にある、廃屋の庭先だった。

 廃屋といっても、建物の外面は周囲の家々と変わらない見栄えの屋敷で、教えてもらわなければ気づかないレベルの立派な代物だ。

 ただ、所有者がいないのは確からしく、敷地内は雑草が生い茂り、訪問者の侵入を拒んでいる。

「本当に、ここに抜け道があるのか?」

 さすがに不安になって、ダイスケは先頭を歩くステラに確認する。

「あぁ、来ればわかる。あと、足元に気を付けるんだぞ」

 ステラはそう言うと、慣れた足取りでひざ丈――場所によっては腿の高さまである草やツタを掻き分けて屋敷の外周をどんどん進んでいく。

 そこにダイスケやベルに対する気遣いなどない。

 ぼーっとしていたら、このまま置いて行かれてしまいかねない勢いだ。

「ベル、俺たちも行こう」

 借りてきた猫のように大人しいベルに、ダイスケは手を伸ばす。

「う、うん……」

 ベルの手の感触をしっかりと確認した後、ダイスケは先程ステラが通った後を、まるで開拓でもするかのように、少しずつ進んでいく。

 草同士が擦れる音がやけに大きく聞こえるのは、やましいことをしている自覚があるせいだろうか。

 緑が濃くなり、草の匂いが強くなっていく。

 ダイスケは足元に気を付けながらも、突き当りの壁で留まっている、はためく白衣を見据えながら、イモムシのようなペースで歩き続けた。

 その間、時間にしても5分もかからなかっただろう。

 にもかかわらず、ダイスケの額にはうっすらと汗が浮かび、息もわずかに上がっていた。

 それくらい現在の状況は切迫していた。

 そこへ呑気なのか豪気なのか、ステラが軽口をたたく。

「遅かったな。英雄様でも運動不足だったかな?」

「いいから、抜け道はどこだ」

 早くここから脱出したいという思いから、つい口調が荒くなる。

 ステラはそれを驚くでも反省するでもなく、何事もなかったようにスルーして壁のとある一点を指差した。

「ふっ、ここだ」

 ステラの指の先にあったのは、何者かによって開けられた、大人がやっと一人通れる程度の穴だった。

 しかも、穴の形状からして、長い時間を掛けて、少しずつ削り広げられたものだというのは想像に難くない。

 ステラの言っていたことが罠ではなかったことに、ダイスケはひとまず安心した。

 そしてダイスケはこの抜け道に覚えがあった。

 ダイスケは無言で背後のベルへ視線を向ける。

 しかしベルから返ってきたのは不思議そうな顔で首を傾げる仕草だけだった。

 どうやら自覚も心当たりもないらしい。

 最近の女性の間では、岩や壁を削って抜け道を作るのが流行ってたりするのだろうか。

 顔半分が引きつったような表情のダイスケだったが、ステラは気に留めることなくすぐ脇に置いてあった手提げバッグを手に取り、肩に担ぐ。

「さぁ、出発だ。私の後に続いて穴を抜けるんだぞ」

 そう言い放つと、ステラはするりと穴の向こう側へと飛び込んでいった。

 もう後に続くしかない。

「まったく……ベル、準備はいいか?」

 他愛ない、日常のやりとり。

 その延長にあるような、ただの確認のつもりだった。

 ただ、それ故に、ベルの異変に、ダイスケは気付いてしまった。

「……ベル?」

 呼びかけてみるが、ベルは人形のように固まったまま、動こうとしない。

 こうしたベルの姿を見たのは初めてだった。

 ダイスケはベルに正面から向き合うと、その場にしゃがみ込み、まっすぐにその瞳を見てたずねる。

「どうした? 具合が悪かったりするのか?」

 ダイスケの問いかけに、ベルは首を横に振る。

「じゃあ、何が原因なんだ? 言ってくれないと、わからないぞ」

 優しく、それでいてハッキリとした口調で呼びかけるダイスケ。

 その思いが通じたのか、ベルは小さな声ではあるが口を開き、ぽつりぽつりと自らの思いを語り始めた。

「アタシがいたら、きっと迷惑をかけちゃうから。だから、ここから先はダイスケたちだけで――」

「何を今更。そんなこと、気にしなくていいって」

 ダイスケはなんとかしてなだめようとするが、ベルは首を横に振り、譲らない。

「だって、アタシ、ダイスケがあの英雄様だっただなんて知らなかったから。知ってたら一緒に旅に出ようだなんて……」

 両目に涙を浮かべ、愛らしい顔が台無しになるくらいに表情を歪ませ、ベルは後悔の念を語る。

 その姿はとても痛々しく、見ている側でさえ顔を悲痛に染めてしまいそうなものだった。

 だが、ダイスケは穏やかな表情をのままベルの両肩に手を置いて、その潤んだ瞳をまっすぐに見つめ、たずねた。

「ベルは、旅はしたくないのか?」

 黙って首を横に振るベル。

 それを確認してダイスケは朗らかな笑みで続けた。

「なら、行こう。俺は、ベルに、色んな世界を見てほしいと思ったから、一緒に旅に出ることを選んだんだ」

「ダイ……英雄、様」

「ダイスケでいいよ。周りにバレたら、それこそマズい」

「……うん、わかった。ダイスケ、これから、よろしく」

 しばらく振りに笑顔を取り戻したベルに、ダイスケも微笑み返し、その茶色いショートヘアの頭を撫でる。

「そうと決まれば出発だ。ステラも壁の向こうで独りぼっちは寂しいだろうし」

「おいっ、いつまで待たせるんだ! 騎士を呼びつけるぞ!」

 タイミングよく壁の向こう側からステラの不満そうな声が飛び込んでくる。

 決して本気で怒っているといった感じではないが、一人蚊帳の外というのが気に入らないみたいだ。

 秘密を共有する子供たちのように、ダイスケとベルは互いに笑い合い、声の聞こえた壁の向こうへと意識を向ける。

「あぁ、今行くよ」

 ダイスケの声は目の前にそびえる壁を乗り越え、青空の中へと吸い込まれていった。

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