第16話 運命の朝

「――で、どうしてステラがここに居るんだ?」

 小鳥のさえずりが聞こえてくる早朝の宿泊室で、ダイスケは朝食のトーストを食べる手を止め、たずねた。

 その視線の先には、子供のように無邪気にハムエッグを乗せたトーストにかぶりつくステラの姿があった。

「どうしてって、この娘が食事を用意してくれたからな」

「ちょっと、アタシにはベルっていう名前があるんだから、娘って呼ばないでよ!」

「娘は娘だろうが、文句があるなら私みたいなレディになってからだな――」

「はいはい、そうですか。ステラちゃん!」

「――なっ!? ちゃん付けはやめろと言っているだろう!」

「じゃあそっちもアタシのこと、ちゃんと名前で呼んでよ!」

「ぐぬぬぬぬぬ……」

「ぎににににに……」

 朝から元気なのはいいことだが、正直ケンカは勘弁してほしい。

 本来緊張すべき場面であるのに、どうにも調子が狂う。

 おかげで、本来聞きたかった話を切り出せなくなってしまった。

 これがステラなりの緊張のほぐし方だというのなら称賛できるのだが、本気でベルと渡り合おうとしている姿から察するに、恐らくそれはないだろう。

 ダイスケは半ば呆れながら傍観に徹する。

「むぅ……このままではキリがない。よし、これから私は名前で呼ぶ。だからそっちもちゃん付けはするな!」

「うん、いいよ。約束だからね!」

 激しい言葉の応酬の末、ベルとステラの間で合意があったらしい。

 これでようやく、話しができそうだ。

 ダイスケは二人の会話が切れたタイミングを見計らって、再びステラに声を掛けた。

「それで話を戻すが、ステラ、今日の予定なんだが――」

「まぁ、待て。今は食事の時間だ」

 ダイスケの言及をひらりとかわし、ステラはマイペースで食事を進める。

「いや、少しくらい――」

「ほら、早く食べないと冷めちゃうよ」

「あ、あぁ……」

 脇から飛んできたベルの声に、ダイスケは釈然としない気持ちを抱きながらもトーストを頬張る。

 さっきまであんなに言い争っていたのに、どうしてこんなにピッタリ呼吸が合うんだろうか。

 モヤモヤした気持ちのままダイスケは二口目を咀嚼する。

 相変わらずの、素材の風味が生きた味わいが口の中に広がるが、どこか物足りない。

 食生活の違いもあるのだろうが、やはり濃い目の味付けが恋しくなる。

 ただ、贅沢は言っていられない。

 現状、こうして安全に食事を摂れるだけでもありがたいのだから、しっかり食べなくては。

 考えを改め、ダイスケは食事を再開する。

 とはいっても、テーブルの上には三人分の丸皿があるだけで、スープやサラダといった汁物も副菜もない。

 時間が惜しい現在、トーストは頼もしい味方といえるが、できればもっとゆったりと食べたかったというのが正直なところだ。

 黙々と続く朝食の時間を最初に終えたのは、豪快に食べ進めていた女性――ステラだった。

「ふぅ……まぁまぁだな。でも、私だったらもう少し美味しいものを作れたがな」

 口の周りをこれでもかというくらいに汚しながらの偉そうな口振りは、どうみても子供だった。

 しかも、作ってもらった身でそれを言うのだから、意味が分からない。

 これではベルを怒らせるだけだ。

 この少女は本気で言っているのだろうか。

 わざと怒らせることを言って、事態をかき乱そうとしているのではないだろうか。

 思ったことを何の考えもなしに口にするようなタイプの人間だという可能性もあるが、そうであるなら、この先も苦労は続きそうだ。

 できることなら、それは杞憂であってほしい。

 ダイスケは頭を抱えたくなるのをこらえて、二人の様子をうかがう。

 案の定、当事者のベルは明らかに不機嫌そうな顔でステラを見据えていた。

 いつ爆発してもおかしくないような、危うい雰囲気を放っているのが肌で感じられて、心臓に悪い。

「まぁ、食事の感想はそのくらいに……」

 二人の衝突はできるだけ回避したい。

 そんな思いからダイスケは好き勝手に暴れるステラの口をたしなめにかかる。

 経験上、こういった女性同士の争いは、放っておくと後が大変だとわかっていたからだ。

 だが、ダイスケの仲介も虚しく、ベルが闘いのリングへと上がる。

「作ってもらっておいて、随分と偉そうだけど、そんな見た目で本当に料理ができるの?」

 清々しい笑顔のまま言い放つベルの言葉に、ステラも笑顔で応戦を開始する。

「見た目に固執している辺り、やはりお子様だな。料理の腕と見た目は関連性はない。そんなことも想像できないのか?」

「口の周りをベタベタに汚しておいて、説得力がないわよ」

「うるさい! 私は時間効率を一番に考えて食事をしているだけだ」

「効率? さぁ、どうだろうね?」

「ぐぬぬぬぬぬ……」

「ぎににににに……」

 互いに前のめりになり、にらみ合うベルとステラ。

 バチバチと火花でも飛び散りそうな迫力だ。

 耐えかねて窓の外へ視線を逃がすと、空はすっかり青く染まっていた。

 人目につかないよう行動するのであれば、そろそろ宿を出なければならないだろう。

 気は進まないが、なんとかしてこの抗争を止めなくては。

「なぁ、二人とも――」

「うるさい!」

「黙ってて!」

「あっ、はい……」

 同時に返ってきた二人の剣幕に、ダイスケはそれ以上の言葉を口にすることができなかった。

 腕力で無理やり鎮圧できたらどんなに楽だろう。

 実際にやったら騒ぎどころじゃ済まないのはわかりきっているが、つい考えてしまう。

 ダイスケは喧嘩コマのように衝突する二人の女性を止める方法を考えるが、妙案は浮かんでこない。

 いっそのこと、このまま自分だけ抜け出してしまおうか。

 ダイスケがそんなことを思い始めた時だった。

 ステラの怒気の抜けた声が、テーブルの上に落ちた。

「……まったく、英雄様に怒鳴ったせいで、次の言葉が飛んでしまったではないか」

 バツの悪そうな顔でステラは再びイスへと腰を下ろす。

 若干顔が赤くなって見えるのは、冷静になって自分の言動を恥じているからだろうか。

 風船のように萎んだステラの怒りに、ベルの昂ぶった感情も霧散し、呆れた表情を見せた。

「はぁ……アタシも。なんだか気が抜けちゃった」

 ベルも自分の席に腰を落とすと、深く溜息を吐いた。

 先ほどまでの緊迫感が嘘のような、穏やかな空気が食卓を包む。

 その雰囲気に乗せられてか、ステラが思い出したように口を開いた。

「そういえば、ここからの脱出の方法について言ってなかったな――」

 唐突に出てきた重大事案に、ダイスケは慌てて注意を向ける。

 ベルも戸惑いながらも、自分が口を挟んではいけない案件だと理解したのか、大人しく耳を澄まして静観している。

 その様子に安堵しつつ、ダイスケは自身が抱いていた疑問をぶつけた。

「脱出といっても、関所は監視が厳しいし、周りは高い塀で囲まれてるのは知ってるだろ?」

 ダイスケの言葉にステラは目を閉じたまま、コクコクとうなずく。

 そして、またあの不敵な笑い声を上げた。

「ふっふっふ。私は知っているんだ、外へと通じる抜け道の存在をな」

「抜け道?」

 長い間王都で生活をしてきたダイスケだが、抜け道の存在は初耳だった。

 王城の内部に緊急脱出用の通路があるという噂を聞いたことがある程度だが、さすがにそれではないだろう。

 いぶかしげな表情を浮かべるダイスケに対し、ステラは自身の口元をナプキンでサッと拭うと、白い歯をキラリと輝かせ、断言する。

「あぁ、ある。私を信じるといい」

 言い切られることは、普通安心感を抱くものだ。

 ただ、ステラの口端にある拭き残された卵の黄身は、その安心感を台無しにするには十分過ぎて、ダイスケとベルは、なんともいえない不安を抱くのだった。

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