第15話 絶体絶命

 唐突に放たれた、ステラの核心を突く言葉に、ダイスケは言葉を失った。

 素直に認めた方がいいのだろうか?

 それとも否認を貫くべきか?

 ブラフの可能性もあるし、濁しておくのも悪くはないはずだ。

 何かしら回答をしないと、それこそ無言の肯定になってしまう。

 数秒という時間の中でダイスケは必死に思考を重ね、ついに結論を口にする。

「そんなわけないだろ? どうしてそんな結論になるんだよ」

 認めるのは相手の手法や目的がわかってからでもいい、そういった理由からの発言だった。

 だが、ステラもダイスケが素直に認めないのはわかりきっていたらしく、ニヤついた笑みを漏らしながら即座に答える。

「これも簡単なことさ。私が英雄について語った時、ダイスケはまるで興味を示さなかった。恐らく失言を気にしたせいだ。違うか?」

「いや、それだけじゃ――」

「他にもあるさ。こう見えて私も研究員として、一応それなりの身分はあるからな」

 ステラは白衣のポケットから一枚の紙を取り出し、ダイスケに見せつける。

「これが何かわかるか?」

 促されるままに、ダイスケはステラの手中にある紙を注視する。

 紙やインクの質から見て、公文書の類であることは容易に理解できた。

 ステラが身分を偽っていないのは、事実なようだ。

 そして肝心の文面へと視線を移した瞬間、ダイスケは背筋が凍り付いた。

「まさか――」

 ステラが意地の悪い笑みを浮かべる。

「そう、英雄様が消息不明なんだ。こうして私のところへ捜索の要請が来るくらいだから、間違いないのだろう」

 ステラの手にした文書は、本人が口にした通り、英雄の捜索協力を募るものだった。

 たとえこの場で拒絶をしても、身柄を拘束され、身元を確認されたら正体がバレてしまうのは間違いない。

 それをわかっているのか、ステラは余裕を崩すことなく、ダイスケの反応を待つ。

 絶体絶命とはまさにこのことだ。

 言いくるめられるような相手ではないだろうし、強引に逃げようとしてもベルを置いていくわけにもいかない。

 そこまで考えたところで、ダイスケの頭にふと疑問が浮かんだ。

「あれ、そういえばベルはどこだ?」

 部屋の中を見回してみても、ベルの姿はどこにもない。

 暗闇のせいで見えづらくなっているだけというわけでもなさそうだ。

「ステラ、ここに来た時ベルは――」

「私は知らんぞ。部屋に鍵は掛かってなかったし、どこかへ出かけてるんじゃないか?」

「くそっ、どうして――」

 慌てて部屋の中を探し始めるダイスケだが、元より質素な部屋、手掛かりになりそうなものはない。

 強いていうなら、ベルの荷袋は置かれたままなので、勝手に出発したわけではないということがわかるくらいだ。

「おいおい、心配しすぎじゃないか。放っておいてもそのうち戻ってくるだろ」

 背後からステラの呆れたような声が聞こえるが、無視を決め込む。

 ここまで一緒に旅をしてきたとはいえ、ベルはまだ子供だ。

 一人出掛けて迷子になっている可能性もあるし、もしかしたら誘拐や人身売買の対象とされる危険もないわけではない。

 王都と言っても、区画によって治安の度合いも天と地ほど差があるのだ。

「とにかく、今はベルを探しに行かないと――」

 感情の赴くまま、ダイスケが部屋を飛び出そうとした瞬間だった。

 木のきしむ音が室内に響き、扉がゆっくりと開かれた。

「よっと……あれ、ダイスケ起きてたんだ」

 扉の向こうから入ってきたのは、左腕にバスケットを提げ、両手で小さ目の鍋を持ったベルだった。

 呆然とした顔でその場に立ち尽くすダイスケとは対照的に、ベルは朗らかな笑顔でテーブルへと向かうと、手にした鍋をそっと置き、バスケットをその横に並べた。

「言った通りだったろう?」

「……うるさい、結果論だ」

 ニヤついた声で話しかけてくるステラを、ダイスケは乱暴な言葉で一蹴しながら、再びベッドの上に腰を落ち着ける。

「あれっ、あなたは昼間の……ステラちゃん、どうしてここに?」

 ベルもステラの存在に気付いたらしく、当然の疑問をぶつける。

「あぁ、ちょっと用事があってな。それにしてもいい匂いだな、ひとついただくぞ。あとちゃん付けはいらん」

 ステラはベルの問いかけを軽く流すと、勝手にバスケットのふたを開け、パンを一つ取り出した。

 焼き立てなのだろう、パンの香ばしい匂いが部屋の中に漂い、ダイスケの空腹を刺激する。

 だが、素直に飛びつくのもステラがいる手前、恥ずかしい。

 ダイスケは平静を装いながら、ベルへ話しかけた。

「それで、どこに行ってたんだ?」

 持ってきたパンと鍋から大方の予想はついていた。

 ただ、そうでもしなければ、この空気感に押しつぶされてしまいそうだった。

「あぁ、ちょっと夕食をもらいに。ここの女将さんが特製のパンとシチューをどうぞって言ってたから」

 そう言って鍋の蓋を開けるベル。

 熱々というわけではないのだろうが、ほのかに立ち上る湯気とシチューの甘い匂いが、目と鼻の両方から食事を促してくるのがわかる。

「……そうか、わかった」

 それだけ言って、ダイスケもパンを手に取り、一口かじる。

 ちょっと硬めの食感の後に、ふわりとした甘みが口の中に広がっていく。

 やはりパンは焼き立てが一番だ。

 ささくれた心が、丁寧に撫で戻されていくような安心感に浸りながら、食事の時間が流れていく。

 そして、その穏やかな時間が緩やかに終わりを告げようとした頃に、再びステラが口を開いた。

「さて、では本題といこうか」

 口の周りにパン屑を残したまま、ステラは小さく咳払いをする。

「本題?」

 こちらは口周りにシチューがついたままのベルが顔を上げ、たずねる。

 ダイスケは無言のまま、ベルの口周りをナプキンで拭き、まっすぐにステラを見据えた。

 ステラは真剣な顔でダイスケを見つめ、続ける。

「率直に言うぞ。このままでは、君たちはいずれ捕まる」

 捕まるというのは、考えるでもなく、王都の兵たちによってという意味だろう。

「えぇっ!? どうして、アタシたちが?」

 大声で驚くベル。

 ベルからすれば、当然の反応だ。

 どんなに重く見ても、せいぜい保護される程度の話だと思っていたのだから、捕まるなんて想像すらしていなかった。

 これは本格的にまずい案件ではないだろうか。

「どうしてって、ダイスケは英雄様だからに決まっているだろう?」

 まるでディナーの感想でも語るように、ステラはさらりと言い放つ。

「確かにダイスケは英雄様と同じ名前だけど……でも、そんなことって――」

 不安そうな眼差しでベルはダイスケを見つめる。

 純粋に信じている潤んだ眼に、胸が痛む。

 これは、もう隠し通せるような事態ではないだろう。

 ダイスケは意を決し、閉ざしていた口を開いた。

「……ステラの、言った通りだ」

 瞬間、ベルの顔が崩れる。

「まさか、冗談でしょ? 二人して一緒になって、アタシを騙そうとしてるんでしょ」

 視線を巡らすベルだったが、ダイスケもステラも首を縦に振ることはなかった。

 受け止めるべき事実の大きさに、ベルの体幹は揺らぎ、足は自然と後ずさる。

「本当、なの? だってアタシ、ダイスケのこと……英雄様なのに、そんな……」

 明らかに動揺しているベルの姿に、胸が締め付けられる。

 短いながらも今まで旅を続けてきた、相方ともいえる少女。

 それを、立場上仕方がないとはいえ、騙す形となってしまったのは事実だ。

 できれば、もうちょっと旅をして、落ち着いた頃に話したかったのだが、運命の女神は苦難が大好きな性格らしい。

 ちょっとした気まぐれで起こした逃亡劇も、どうやらここまでらしい。

 ダイスケは深く息を吐くと、ステラへ向き直り、改めて背を正した。

「というわけだ。連れていくなり、兵を呼ぶなり好きにするといい。ただ、ベルのことは見逃してやってくれ。この子は純粋に旅をしたかっただけなんだ」

 深々と頭を下げるダイスケ。

 その仕草からは、これからの処遇に対する覚悟がにじみ出ていた。

 ところがステラから返ってきたのは、あまりにも過酷な言葉だった。

「そいつは無理だな。ラインヘッドで少女が行方不明になっているという話はすでに知られている。見つかってしまったなら、取り調べは免れないだろうな」

「そんな……それはあまりにも横暴過ぎる!」

 憤るダイスケだったが、怒りの行先はなく、握った拳を震わせる以外できない。

 すると、ステラは腕を組みながら怪しい笑みを浮かべた。

「そこで、私から提案があるんだが……」

「提案だと?」

 ダイスケが聞き返すと、待ってましたとばかりにステラはにんまりと口元をゆがめ、続ける。

「私をその旅に同行させてくれるなら、見逃してやるぞ」

「本当か!? それくらいなら、俺は構わないが……でも、どうして?」

 粋ともいえるステラの計らいに、ダイスケは不安をぬぐい切れず、たずね返す。

 ステラの性格からして、彼女が何の見返りもなしにこのようなことをするとは思えなかったからだ。

 案の定、ステラは不敵な笑いを続けながら返答してくる。

「ふっ、単純な理由だ。私はこの国の発展に貢献してくれた、英雄様の旅に興味がある。それだけだ」

 怪しげな雰囲気を醸していたステラだったが、その真っ直ぐな眼差しからは、到底嘘をついているようには見えなかった。

 ある意味、ぶっとんだ思考の持ち主と言えるかもしれない。

 それに、ここで見逃す行為はステラの立場からしても相当なリスクだ。

 通報する以上の利が彼女にあるとは思えない。

 仮に、これが罠だとしても捕まるのは時間の問題だ。

 ここは従う以外に道はないだろう。

 その時は、最悪ベルだけでも逃がさないとな……。

「あぁ、それしか方法がないなら……ベルも、それでいいよな?」

「えっ、うん……わかった」

 同意を得るために確認をとってみるが、ベルはまだどこか上の空だ。

 先程の発言で受けたショックを、今も引きずっているのだろう。

 でも、もうこれしか方法がないし、時間もないのだ。

 そう自分に言い聞かせながら、ダイスケは改めてこれからの動向について、考えを巡らす。

 ステラのところに書簡が回ってきたということは、もう他の施設では監視が厳しくなっていてもおかしくはない。

 それどころか、時間が経てば経つほどに包囲網は狭まってくるだろう。

 だとすれば、できるだけ早く離れた方が捕まりにくいということになる。

 問題は関所をどうやって通過するかだが……今はとにかく、ここを離れるのが先決だろう。

「それじゃあ、発つなら早い方がいい。宿代は惜しいが荷物の整理を――」

 そこまで言いかけたところで、ステラが自信ありげに割り込む。

「その必要はないぞ!」

「必要はないって、このままじゃ宿にも通達が――」

 ダイスケが言い返すと、ステラは立てた人差し指をチッチッチと振り、得意げに話した。

「この書簡の宛先は私個人になっている。つまり、上の輩は少なくとも現段階においては民間には知らせたくないという意図が見える」

「それって……」

「あぁ、少なくとも、今日通報される心配はないというわけだ」

 ステラの言い分には強い説得力があった。

 しかし、今日を乗り越えられたとしても、脱出する術がないことには、危機的状況にあることに変わりはない。

 時間的猶予ができたことは嬉しいが、できるだけ早く脱出する方法を探さなくては。

 そんなダイスケの思考をステラは察したらしく、力強い口調で答えた。

「なぁに、問題ない。私にいい策がある。だから今日はゆっくり休むといい」

 ステラの言う策が一体どういうものなのか、一抹の不安を抱きながらダイスケたちの夜は更けていった。

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