第13話 記憶

「ふぅ……これでひとまずは安心できるか」

 ベッドと小さなテーブル、そして照明が設置されているだけの小ざっぱりした宿の二人部屋。

 その窓側のベッドに腰掛けながら、ダイスケは荷物の整理もそこそこに、大きく伸びをする。

 窓の外には近隣の住民が夕飯の支度のために外出を始めたのか、決して大きいとはいえない路地に、大通り並の密度で人が行き来している様子が見て取れた。

 比較的郊外にある宿とはいえ、部屋を取れたのは幸運といっていいだろう。

 ここで一つ懸念事項を挙げるとするなら、男女が同室に寝泊まりをするということくらいだ。

「悪いな、部屋がここしか空いてないらしくて。野宿よりはマシだと思うが、我慢を――」

 横並びになったもう一つのベッドへ視線を向け、ダイスケは謝罪の言葉を述べる。

 ところが、ベルはそのベッドの上で、腹這いで飛び跳ねていた。

「えっ、どうして? 部屋が一緒の方が楽しいし、安く済んでお得じゃない?」

 ベルは純真無垢な返答と共に首を傾げる。

「あっ、いや……でも一応……いや、やっぱいいや」

 恐らく男として意識をされていないのだろう。

 ダイスケは理由を説明しようとしたが、その虚しさから途中で断念して、逃げるようにベッド上で横になった。

 視界いっぱいに広がる、くすんだ灰色の天井に、心に安寧が広がっていくのがわかる。

 そんな落ち着いた視覚とは対照的に、聴覚はやかましく、ベルが備品を弄り回しているであろう物音が絶えず流れてくる。

「あんまり部屋を漁ったりするなよ。壊したら怒られるからな」

「はーい」

 言ってることを理解しているのか疑いたくなるベルの返事。

 そこへツッコミを入れることもなく、ダイスケの目は半ば強制的に閉じられた。

 自分が思っている以上に、身体は休息を求めていたらしい。

 ベルと出会い、王都までやってきて、正体を隠しながら旅をしているのだ。

 精神的にも肉体的にも、疲れないはずがない。

 急速に意識が狭まっていくような感覚に浸りながら、ダイスケは眠りの国へと精神を溶かし込んでいった。


 ――それは、遠い昔の記憶だった。

 ダイスケの目の前には、燃えるような黒髪をたなびかせた女性の背中。

 顔こそ見えなかったが、ダイスケにはそれが誰なのか、すぐにわかった。

 初めてこの世界にやってきた時に、ダイスケを旅へと連れ立ってくれた、師匠とも呼べる女性だ。

 懐かしさと、再会できた喜びに、ダイスケは思わず手を伸ばす。

 ところが、ダイスケの手が女性に届く直前で、急に場面が切り替わった。

 そこもまた、懐かしい場所だった。

 木目の床と白い壁材、そしてそこに立て掛けられた農具の数々。

 忘れもしない、ラインヘッドの民家の光景だ。

 その居間の中央で、師匠と村の長が険しい表情のまま口論をしている。

 確か、記憶の限りでは、魔族の斥候ではないかと疑われていたような気がする。

 それを、師匠は必至でダイスケをかばい、何かあれば自分が責任を取るからと納得させてくれたのだ。

 そこまで思い出したところで、周囲の光景が別のシーンへと移り変わる。

 木々が壁のように取り囲む森中の広場。

 ダイスケの前には剣を構える師匠の姿があり、考えるよりも先にダイスケの腕は、いつの間にか手にしていた剣を振るう。

 自分でもわかる、スローモーションで撮影でもしているかのような緩慢な動き。

 それを師匠は一切の容赦なく弾き、剣先を突き付けてくる。

 当時は恐怖と驚愕しか抱いていなかったが、今思えば師匠は力加減に必死だっただけなのかもしれない。

 何度剣を弾かれても、ダイスケはその都度剣を広い、自らの師へと打ち込んでいく。

 そこでまた場面は変わる。

 荘厳な雰囲気を漂わせる教会。

 そこで左腕の傷口を抑えながら苦悶の表情を浮かべる師匠を、ダイスケは怒りをこらえながら見つめていた。

 心配そうな顔をするシスターたちの姿が目に入る。

 どうして、どうして女性まで戦わなければならないのか、ぶつけようのない怒りに手が震えた。

 そこでまた世界が暗転した。

 周囲から人の気配は消え、荒廃した大地の真ん中で、ダイスケは身の丈の倍はあろうかという巨大な魔物と対峙していた。

 はるか頭上から振り下ろされる、魔物の一撃。

 避けなければいけないと、わかっているのに、ダイスケの身体は何かの魔法にでもかかっているかのように、ピクリとも動かない。

 剣を盾代わりに掲げることもできないダイスケの顔が影で覆われる。

 目を閉じることすら許されない、あまりにも長い一瞬の間。

 それがいよいよ終わろうかという時に、ダイスケの身体は何者かによって突き飛ばされる。

 硬い地面を転がった後ダイスケが顔を上げると、そこには今まで何度も見てきた師匠の背中があった。

 そこでダイスケは安堵の表情を浮かべるが、途端に周囲は闇に染まり、師匠の背中がどんどん遠ざかっていく。

 声にならない悲鳴を上げるダイスケだったが、世界は容赦なく闇を深めていく。

 そして、そのままダイスケ自身をも取り込んでいき、ダイスケの意識は再び霧散していった。

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