第10話 関所
ゼノウォールの関所には多くの旅人や行商が集まり、まるで祭りのような賑わいをみせていた。
物々しい石造りの壁に板張りの床というだけでも、この都市の格の違いというものがうかがい知ることができる。
その雰囲気に呑まれてか、ベルも借りてきた猫のように大人しい。
おかげで、入城の手続きはダイスケの主導で滞りなく済ませることができた。
「……はい、わかりました。それではあちらの出口からお進みください」
入出管理員の男性は手元の書類にサラサラと羽ペンを走らせると、最後に自身の署名をして奥の扉へと二人を促す。
「ありがとう、それじゃあ行こうか、ベル」
「えっ、うん……」
ベルの背を支えながら、ダイスケは管理員の脇を通り抜け、奥の扉へ歩いていく。
出身を聞かれた時はどうなることかと思ったが、案外何とかなるものだ。
ダイスケはどこか安堵した様子で扉の前の兵に頭を下げる。
つられてベルも頭を下げると、扉を厳守していた兵はその硬い表情を緩め、自らが受け持つ扉を開いた。
「ようこそ、王都ゼノウォールへ」
重みと趣きのある扉の解放音。
吹き込んでくる爽やかな外気。
高まっていく期待と希望。
屋内から屋外へ。
ただそれだけのことなのに、前方から光が差し込んでくると、不覚にも期待に胸が膨らんでしまうのはどうしてだろう。
そんなことを考えながら、ダイスケは懐かしの街並みへと足を踏み入れる。
「すっごーい!」
最初に発せられたのは、ベルの感極まった一声だった。
王城へ続く、長さと広さを兼ねそろえた大通りは、視界を遮るものが一切ない。
通りにそって建てられている建物も、まるで碁盤の目のように見栄えがいい。
というのも、ゼノウォールが区画がしっかりと整備されている都市であるからに他ならない。
ゼノウォールは高くそびえる王城を中心に、南部の商業・工業地区、北部の学術・研究地区、西部の貧民地区、そして東部の富豪地区に分けられ、それらは王城より伸びる8本の大通りによって2区画ずつ仕切られている構造となっている。
それ故に、通りによって人々の装いや漂ってくる空気がまったく異なるという特徴がある。
そして、そのいずれの通りも、往来する人の量が段違いに多い。
ベルが興奮するのも当然の帰結といえるだろう。
それを証明するかのように、先程までの大人しいベルの姿など、もうどこにもない。
忙しなく左右へ首を動かしている、いつものベルの姿がそこにあった。
興味津々なのは好ましいことだが、落ち着きない動きはさすがに目立ち過ぎだ。
ダイスケは小さく咳ばらいをして、ベルに注意をうながした。
「おい、あんまりキョロキョロしていると王都の住人に笑われるぞ」
ダイスケの言葉に、ピタリと動きを止めたかと思うと、すぐにベルはその場に居直り、控えめな胸を張ってたたずんだ。
彼女的には、これが王都で通用する立ち振る舞いらしい。
これは、そんなに気張らなくてもよいと伝えてあげるべきだろうか。
指摘するべきか悩むダイスケに対し、ベルは思い出したように口を開いた。
「ダイスケ、そういえばさ、あれって大丈夫だったの?」
ベルの言い放ったアレという言葉。
ダイスケにはそれが何を指すのか、おおよその見当はついていた。
入城の手続きの時に放ったあの言葉のことを言っているのだろう。
「出身をゼノバックって言ったことか?」
ダイスケの言葉に、ベルは黙ってうなずく。
ベルからの無言の促しを受け、ダイスケは軽く伸びをすると、続けた。
「素直に書いても良かったんだけど、ベルは兄さんにバレたら困るんだろ?」
「そうだけど……」
歯切れの悪いベル。
身の保全のためとはいっても、やはり嘘をつくということに罪悪感があるのだろうか。
ダイスケはベルを安心させるために、軽く笑う。
「大丈夫だよ。出身なんて、何か問題でも起こさない限り調べられないし、確認もされないよ」
「それならいいんだけど……」
そうは言うベルだったが、その顔から不安の色は消えない。
「あ~っ、色々考えてたら緊張してトイレ行きたくなってきた」
お腹を押さえながら前屈みになるベル。
十中八九、慣れない緊張にさらされたせいだろう。
かといって放っておくわけにもいかない。
ここで漏らされでもしたら、大惨事どころの問題じゃない。
「それならすぐ行ってこいって。確か、関所の出入口の近くにあったはずだから」
「うん、そうする」
お腹を押さえながら、よろよろと関所内のトイレへと向かうベル。
その後ろ姿を眺めながら、ダイスケは大きく息を吐いた。
「とりあえず一安心ってところか。あとは、これからどうするかだけど……」
流れる人の動きをぼんやりと見つめながら、考えを巡らせるダイスケ。
そこに、どこか聞き覚えのある男性の声が流れてきた。
「あぁ、ここに居たんだ」
にこやかな表情で近寄ってきたのは、王都までの道のりを共に歩んできた行商の男性だった。
「あぁ、あなたはあの時の――荷物の方はどうでした?」
ダイスケが尋ねると、男性は大きく頭を下げ感謝する。
「おかげさまで、無事全部通ったよ。本当にありがとう」
「いえ、俺たちは同行しただけですから」
「それはそうかもしれないけど、単身かそうでないかでも大分違うからさ。野盗に襲われて全滅だった時もあったし……だから、是非何かしらお礼をしたいんだけど――」
そう言って男性は胸元から一切れの布を取り出すと、ダイスケへと手渡した。
「これは?」
ダイスケが問うと、男性は途端に胸を張り、雄弁に語り始める。
「最近扱い始めた品なんだけど、肌触りもいいし、模様も結構凝ってて王都で流行らせようと思ってね。よかったら受け取ってくれないかな」
「いや、さすがにそれは……」
「いやいや、商人として、お礼をしないわけにはいかないよ」
どちらも一向に引く気配のない、不毛な押し問答が続く。
そんな中、困り果てたダイスケの頭に、突如妙案が浮かんだ。
「それなら、別の商品も見せてもらいたいんだけど……」
「もちろん。これよりは価値は落ちるけど、どれも悪くない品だよ」
ダイスケの言葉に、男性は大きくうなずき、すぐに荷袋を解いて、色とりどりの布を並べてみせた。
「どうだい? 何かよさそうなものは見つかったかな?」
並べられたのは赤から紫まで、虹を取り分けたような七色の布だった。
いずれも細かな刺繍が入っていて、それなりに値が張るであろうことは容易にうかがえる。
それでも、先程の品に比べれば受け取りやすそうだ。
問題は、この中でどれを選ぶかだけど――。
無難に藍色の布を選ぼうとした瞬間、ダイスケの脳裏にある光景が思い浮かんだ。
黒い長髪を掻き上げながら、普段の険しい顔とは真逆の、少し照れたような可愛らしい女性的な表情で品定めをする、美麗な師匠の姿。
その様子に、ダイスケはかすかに胸の高鳴りを覚えつつも、それを心に押し留めている――そんな架空のできごと。
「師匠なら、これを選ぶのかな……」
脳内のイメージに誘われるように、ダイスケは橙色の布を手に取り、持ち上げる。
「それでいいんだね。この度はありがとうございます。また会うことがあったら、その時はどうぞごひいきに。それじゃ――」
「えっ? あ、あぁ……ありがとう」
ダイスケはお礼を述べて素直に布を受け取ると、行商の男性は手早く荷物を仕舞い、何度も振り返っては手を振りながら、王都の大通りの中へと消えていった。
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