第9話 魔石
「はぁぁぁっ!」
街道から少し外れた平原。
力強い掛け声と共に、ベルは持ち上げた剣を思い切り振り下ろした。
しかし、その切っ先の軌道は空を切るだけで終わる。
「もうっ、何で当たらないのよっ!」
苛立った様子で、ベルは攻撃の対象を見上げるが、相手は何も言葉を発しない。
それも当然だ。
ベルを嘲笑うようにその場で羽ばたくのは、鳥や虫などではない。
頭の無い、丸々と太ったコウモリの胴体に単眼と長い尾が生えたような容姿の魔物――イビルアイだ。
「油断するなよ、相手は魔物だ。中途半端な攻撃だと追い払えないぞ」
ベルの後方で剣を構えながらダイスケは注意を促す。
イビルアイは凶暴な魔物ではないが、空を飛んでいるので狙いが外れやすく、逆に反撃をもらいやすい相手でもある。
「もうっ、降りて来なさいよっ!」
相当頭に血が上っているのだろう、ベルは剣を今度は横薙ぎに振るう。
だが、その動きは大雑把だった。
イビルアイはわずかに高度を上げるだけで回避すると、そのままベルへ反撃をすべく突っ込んでくる。
さすがに、これはまずい。
振り慣れていない剣を思い切り振ったせいだろう、ベルの身体は大きくバランスを崩して隙だらけになっている。
「えっ、ちょっ、ちょっと!」
焦りと驚きの入り混じったベルの声が響く。
だが、イビルアイにはそれを聞き入れる耳はない。
蛇のように垂れた長い尾が、瞬時に硬さを帯びて、槍のように鋭利に変わる。
そしてベルへ狙いを定めるべく動きを止めた、その瞬間だった。
「伏せろっ!」
「――うん!?」
ダイスケの声に、ベルはその場で尻もちをつくようにしゃがむと、そのまま自らの頭を抱え込んだ。
直後、ダイスケの身体がベルの背後より跳び上がった。
イビルアイの大きな眼は、反射的にその動きを追ってしまう。
攻撃の対象を見失ったイビルアイの隙を、ダイスケは見逃さない。
「せいやっ!」
そしてダイスケは中空で強引に身体をねじり、イビルアイの持つ、巨大な急所へとその剣撃を叩きこんだ。
剣を通じて感じた、確かな手応え。
確認しなくてもわかる、致命傷だ。
仮に絶命していなくとも、当分の間マトモに動くこともままならないだろう。
ダイスケは地面にきれいに着地をすると、ベルに向き直る。
「大丈夫だったか?」
ダイスケは空いている左手をベルへと差し出す。
「う、うん……ありがと」
ベルは顔を上げて一度ダイスケの顔を見るが、すぐに目を伏せ、差し出された手を取り、立ち上がる。
「……うん、大丈夫みたいだな」
見たところ、怪我はないらしく、一安心だ。
だが、戦闘の腕前は不安としか言いようがない。
せめて基本的な戦闘くらいはこなせるようになってもらえたら楽なのだが……。
「おっと、忘れるところだった」
思い出したようにそう口にすると、ダイスケは地面に転がっているイビルアイの傍へと近寄り、膝をつく。
そして一切の躊躇なく、イビルアイの背後――尾の付け根辺りに剣を突き刺すと、そのまま上へとその厚い皮を割いていく。
久々なこともあって手際は決して滑らかとは言えないが、それでも中々の出来だろう。
「何やってるの?」
背後からベルがのぞきこむように、様子をうかがってくる。
ダイスケは一瞬手元を隠そうとするが、すぐに手仕草でベルを隣に呼んだ。
これから旅を続けていくなら、こういうことも知っておいて悪くはないだろう。
「ちょっとコイツから魔石を手に入れておこうと思ってね」
「魔石?」
ベルは首を傾げてたずねる。
村に居たなら魔物に出会う機会もなかっただろうし、知らないのも無理はない。
「魔石っていうのは、魔物が動くために必要なエネルギーが詰まった石みたいなものだ」
なるべく簡単そうな言葉を選んでベルにもわかるように説明する。
もちろん、その間も作業の手は止めない。
「ふ~ん、血とか出ないんだね」
しげしげと切り口を見つめ、ベルは言った。
ベルの言う通り、切り口から見えるのは白い筋肉ばかりで、血管だとか神経だとかいった類のものは見られない。
何かのフルーツでも剥いているんじゃないかとさえ思ってしまいそうなほど真っ白だ。
ただ、その感触は結構な弾力があって、果実のソレとは明らかに異なっている。
「動物じゃないからな。魔石から供給される魔力で動いてるから心臓も血管もいらないんだろう」
「へぇ……」
ベルの感心したような声が上がる。
これで納得してくれたなら、作業に集中できるのだが、この様子ではまだまだ興味は尽きていないのだろう。
案の定、すぐに次の質問が飛んで来た。
「でも魔石……だっけ? 何でそんなのを取る必要があるの?」
知らない者からすれば、至極もっともな質問だった。
ダイスケはまた言葉を選びながら、ベルにもわかるよう教えていく。
「そこそこの値段で売れるんだよ。魔石を使えば人間でも強力な魔法が使えるからね」
「そうなんだ。魔物ってすごいんだ」
魔物がすごい……確かに、改めて考えるとそうだ。
今まで戦闘の対象としか見てこなかったから、そんな発想には至らなかった。
見方によっては、魔物すら印象が変わる……これだけ長い時間をこの地で過ごしてきても、まだ学ぶことがあるなんて、人生というものは本当に興味深い。
ダイスケの顔にも自然と笑みが浮かぶ。
その時、剣先に今までと違った、何か硬い物が当たる感触を覚えた。
「あっ!」
ベルの声が響く。
白い肉の間から見える、黒い光沢を放った結晶――それは間違いなく探し求めていた魔石の一部に他ならない。
あとはこれを肉から切り離すだけだ。
「……んっ?」
視線を感じ、ベルに目を向ける。
すると、どこかそわそわした様子のベルと目が合った。
「ベルもやってみるか? 後はこの黒いのを取り出すだけだし」
「いいのっ?」
途端に歓喜の表情を浮かべるベル。
やっぱり自分でもやってみたかったらしい。
どんなことであっても、経験を積むことはいいことだ。
刃物の扱いということで多少の不安はあるが、それでも戦闘に比べれば格段に難易度は落ちる。
やってみせてもいいだろう。
「あぁ、ほら……」
手にした剣をベルへと手渡し、ダイスケは場を空ける。
「よぉし、やるぞぉ」
ベルは腕まくりをして、やる気満々といった様子で魔石の取り出し作業に入る。
剣先を石と肉の間に滑り込ませるように入れて、裂き進めていく。
まるで魚でも下ろしていくかのような、そんな鮮やかさだった。
その見事な手さばきに、ダイスケも思わず口を開く。
「結構上手だけど、もしかして前にやった事あったりするのか?」
しかし、ベルは首を横に振ってそれを否定した。
「ううん、ないよ……ただ、村では鶏とか捌いたりはしてたから、そのおかげかな……はい、できた」
そう言ってベルが手渡してきたのは手の平サイズの魔石だった。
「悪くないサイズだな。これなら数日分の宿代くらいにはなりそうだ」
「そんなにっ! こんな小さいのに!?」
驚きの声を上げるベルに対し、ダイスケは大きくうなずく。
「それだけ手に入れるのが難しいんだ。最近は魔物自体この辺りには少ないからね」
「そうなんだ……もっと魔物ってあちこちにいるものだと思ってた」
「昔はそうだったけどね、今はこんなものさ……」
ベルの言葉に軽く返答しながら、ダイスケは魔石を自分の荷袋へとしまう。
「さて、一仕事終えたし、出発だな」
荷袋を担ぎ上げたダイスケだったが、それをベルが呼び止める。
「ねぇ、アレはこのままでいいの?」
ベルの指差した先には、もうピクリとも動かないイビルアイの残骸があった。
ダイスケは大きくうなずき、ベルから剣を受け取る。
「いいんだ。魔物は絶命すると、自然と肉体は消滅するから問題ない」
「そうなんだ、ホント不思議だね……」
名残惜しそうなベルを半ば押し出すように急かし、ダイスケは街道へと戻る。
すると、ちょうど二人を迎えるように若い男性の声が聞こえてきた。
「お~い、そこの人、ちょっと聞きたいんだが、いいかな?」
声の源にいたのは、荷車を引いていいる男性のようだった。
衣服も半袖のシャツにひざ丈のズボンという軽装で、とても戦闘に長けている様子はない。
行商と見て、まず間違いはないだろう。
「俺たちに何か用でも?」
声を張り、ダイスケは男性に尋ねる。
すると男性もまたダイスケと同じように声を張り上げ、言葉を返してきた。
「これからゼノウォールまで行きたいんだけど、こっちの方向で合ってるか聞きたいんだ」
ゼノウォールというのは、この地一帯を統べる王国の中心地――王都の正式な名称だ。
これから向かおうと思っていた場所でもあるし、一緒に向かえば関所の審査も通りやすいだろう。
「俺たちも目的地は同じなんで、一緒に行きましょう」
「おお、そいつは助かる。ここまで来たけど一人は不安だったんだ。数は少ないけど魔物もまだ出るって聞くし――」
大きく手を振り、歓迎する素振りを見せる行商の男性。
その仕草に、ダイスケは表情を緩める。
だが、ベルの表情は決して明るくはなかった。
「どうかしたのか、ベル?」
気になって尋ねてみると、ベルは怒気を匂わせつつ、意見を述べた。
「ゼノウォールって王都でしょ? そんなところに行ったらお兄ちゃんに見つかっちゃうじゃん」
ベルの言い分はもっともだった。
見つかる可能性という面でいえば、ダイスケも相当なリスクがある。
だからといって、素直にベルの申し出を丸呑みするわけにもいかない。
これから長い旅を続けるには、物資の揃った王都でしっかりと下準備をしておく必要があるのだ。
ダイスケは頭にある限りの知識を総動員させて考えること十数秒。
ベルを納得させるだけの理由を捻り出すことに成功した。
「ベルの兄さんは王都で騎士になったんだろ? それなら城下の通りは人も多いから大丈夫だよ」
「そう……かな?」
ベル自身も王都に興味があるのだろう、心が揺らいでいるのが、落ち着きのない仕草からも丸わかりだ。
なら、否定的な考えを抱く前にこのまま向かってしまう方がいい。
「あぁ、あの行商の人も待たせちゃ悪いし、合流しよう」
「わかった、それじゃあ出発!」
先程までのシリアスな雰囲気などどこかへ飛んで行ってしまったかのように、ベルは無邪気に笑い、荷車へと向かって駆けていく。
その後をダイスケは、若干歩調を速めて追いかけていく。
慈しみを含んだダイスケの眼差しの先には、小さくではあるが王都の城壁がハッキリと映っていた。
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