第8話 動機

「ねぇ、本当にその剣でよかったの?」

 王都へと続く土の街道を歩きながら、ベルは隣からのぞき込むようにダイスケにたずねた。

「今はこれでいいよ」

「でもでも、あのお兄さん、追い払ってくれたお礼に何でも持って行っていいって言ってくれたんでしょ?」

 不服そうに頬を膨らませるベル。

 それに対して、ダイスケは軽く笑いながら答える。

「値の張る武器ってのは性能はいいけど、手入れが大変なんだよ。だから俺には、この安いショートソードの方が気兼ねなく使えていいんだ。それに荷袋もセットでもらえたんだから、これ以上を望むのは贅沢だよ」

「ふぅん……そういうものなんだ。まぁ、ダイスケがいいって言うなら、アタシは別に構わないんだけどね」

 そう言って再び前を向くベルだったが、その表情からは不機嫌の色が抜けきっていない。

 ベルの感覚からすれば、せっかくいい代物が手に入るのにもったいないだとか、そういったことを思っているのだろう。

 だが、手入れの手間を考えたら、安くて丈夫な剣を使い回した方がいいというのは事実だ。

 王都の騎士みたいに、非常時のみに剣を振るうような者たちとは状況が違いすぎる。

 いつ、どこから、誰の襲撃があるかわからないのだ。

 それに、今後手入れの時間すら惜しい場面が来ないとも限らない。

 ならば先の不安などしない選択をした方が精神的にもずっといいに決まっている。

 無論、それはベルにも当てはまる。

 今度は自分の番とでもいうように、ダイスケはベルへと話しかけた。

「ベルの方こそ、本当によかったのか?」

「よかった? 何が?」

 ダイスケの言葉の意図が伝わらなかったらしく、ベルは首を傾げる。

 現在のベルの装備は、最初に出会った時のようなサイズの合っていないものではなく、小柄なベルの体格にピッタリ合った、革の鎧を身に着けていた。

 既存の防具を下取りしてもらい、一式を新たに新調したので、性能面は決して悪くはない。

 ただ、思い入れがある武具を手放すという行為は、人によって嫌悪感を抱くことも多い。

 そのため、ダイスケはベルのモチベーションに影響が出てはいないか、気に掛かっていた。

「いや、その防具とか売り払っちゃってさ――」

 気まずそうな表情を浮かべるダイスケだったが、ベルはさして気にも留めず、あっけらかんとした様子で笑い飛ばす。

「いいのいいの。元々倉庫にしまってあったヤツだし、アタシにはこの剣さえあれば平気だから」

 そう言って、ベルは身体をよじって背負った剣をダイスケへと見せつける。

「そうか、なら、いいんだが……」

 当人がこう言っているのだから、きっと問題はないのだろう。

 内心では安堵していたダイスケだが、何事もなかったように正面を向く。

 これで当面の心配はなくなったわけだが、具体的な予定は空白のままだ。

 足を動かし続けながらも、ダイスケは頭の中で今後のプランについて考え始める。

「ダイスケってさ、誰かから逃げてるみたいだけど、あんなに強いなら逃げずに戦えばいいんじゃないの?」

 会話が途切れてから十秒も経たないタイミングでのことだった。

 ベルが新たな話題を振ってきた。

 それ自体は自然なことであるし、応じるにもやぶさかではない。

 ただ、内容はダイスケにとって、耳が痛くなるものだった。

 それこそ正直に、追っている兵と剣を交えたりしたら、それこそ国を巻き込んだ大問題になってしまうから――なんて言えたらどんなに楽だろう。

 散々考えた挙句、ダイスケは曖昧な言葉で誤魔化しつつ顔を背けた。

「……色々と理由があるんだよ」

「ふぅん……色々ねぇ」

 ベルは煮え切らない顔をしていたが、それ以上追及をしてくるようなことはなかった。

 その辺りの気遣いは一応できているらしい。

 なら、今度はこちらからもベルのことを聞いてみるのもいいかもしれない。

 ダイスケはベルの方を見ないよう、まっすぐ前方を見据えながら問いかけた。

「なぁ、ベルはどうして村を出ようと思ったんだ?」

「アタシ? う~ん、どうしようかな……」

「いや、言いたくないなら別にいいんだけどさ」

 ベルが考え始めたところで、ダイスケはすぐに引いた。

 元より、無理をさせてまで聞きたいと思っていたわけではない。

 ただ、無言で歩くよりは話のタネがあった方がいいと思ったが故の質問だったからだ。

 ところが、ベルの口から出てきたのは前向きな言葉だった。

「まぁ、いっか。ダイスケとはこれから一緒に旅をするわけだし」

「いいのか? 嫌なら別に――」

「いいのよ。アタシが話すって決めたの」

「そうか、わかった」

 力強く放たれたベルの言葉に、ダイスケは素直に口を閉じた。

 そしてベルの話に耳を傾けるべく、ほんの少し、歩く速度を下げる。

 そんなダイスケの気遣いを知ってか知らずか、ベルは一度咳払いをした後、旅の理由を語り始めた。

「アタシには歳の離れたお兄ちゃんがいたんだけどさ、騎士になるために王都まで出て行っちゃって、それで、アタシもお兄ちゃんみたいに村の外に出て、色んなものを見てみたくて――それだけ。笑っちゃうでしょ」

 照れ隠しの笑みを浮かべるベル。

 しかし、ダイスケはそれを笑うことはできなかった。

 この世界においても、出稼ぎは珍しいことではない。

 むしろ男は外で稼いで、女は家を守るといった思想は一般的だともいえる。

 その実態を知っているが故に、ベルの気持ちをダイスケは痛いほど理解できた。

「いや、立派だと思う」

 ダイスケは足を止め、ベルの顔を真正面から見つめる。

「えっ? そう、かな……」

 まさか自分の行動を褒められるとは思ってなかったのだろう。

 ベルは照れているとも困っているともとれるような表情のまま、視線をそらした。

 ただ、それもわずか数秒のこと。

 すぐにベルは、元の明るい調子に戻って、元気いっぱいといった様子で跳び上がる。

「よぉし、それじゃあ、このまま世界中を冒険して、女性初の冒険者になるぞっ!」

 認められて嬉しかったせいもあったのだろう。

 天に穴を開けるような勢いで、拳を突き上げるベル。

 ただ、ダイスケには、喜びを表現するベルの姿に、別の女性が重なって見えていた。

 黒炎のような髪と、長身の凛としたシルエット――ベルとは似ても似つかない女性的な丸みを帯びた容姿。

 瞬間、ダイスケは夢から急に覚めたような、一歩引いたような感覚でベルの姿を眺めていた。

 そして、不本意にも心の内の言葉を漏らしてしまう。

「残念ながら、女性初は難しいかもな」

「えぇっ! どうしてよ!」

 自分の夢を否定されたベルは語気を強めてダイスケに詰め寄る。

 まるでイノシシのような熱量あふれるベルだったが、ダイスケは一切動じることなく、冗談でも語るように言の葉を繋げた。

「昔、女性の騎士がいたんだよ。ベルが生まれる、ずっと前にね。そういう話を聞いたことがあるんだ」

「あっ、そう、なんだ……」

 途端に大人しくなるベル。

 その顔はお気に入りのオモチャが壊れてしまったような、儚さと悔しさが混在して感じられるものだった。

 そこで、ダイスケはハッと我に返った。

 相手はまだ子供なのに、どうして夢を壊すようなことを言ってしまったのだろう。

 どんな理由があったとしても、これから一緒に旅を続ける以上、関係を悪化させるような発言は避けるべきなのに。

 ならば、謝った方がいいのではないだろうか。

 でも、何に対して謝るべきなのだろう。

 間違いであったなら素直に謝れるが、事実を伝えたことを謝るというのも、色々とこじれてしまいそうで不安がある。

 まるで、自分で撒いた混乱の魔法に、自分がかかってしまったみたいな気持ちだ。

 一人混乱状態のダイスケだったが、そんな彼を救ったのはベルの一言だった。

「ねぇ、だったら、どうして今は女の騎士っていないのかな?」

 そこに、さっきまでの暗さはない。

 恐らく、純粋に抱いた疑問なのだろう。

 これは答えてあげなくてはならない。

 ダイスケは自らの心を上塗りするように、記憶の中の光景を探し出し、語り始める。

「俺の記憶が正しければ、当時は魔王の軍勢と戦争状態で、人手が足りなくて女性でも戦線に立ってた――みたいな感じだったはずだな」

「戦争って、人がいっぱい死んじゃう、あの戦争?」

 ベルの言葉に、ダイスケは無言でうなずいた。

 たった一言『そうだ』の返事すら、口にはできなかった。

「そうなんだ……じゃあ、今女の騎士がいないのは――」

「――戦争が終わって、戦う必要がなくなったからだな」

 そこまで話したところで、ベルは嘆息を漏らす。

「そうだったんだ……ダイスケって物知りだね。なんかおじさんって感じでもないのにさ」

「うぐっ」

 もしかして、少し話し過ぎただろうか。

 改めてベルの様子をうかがってみるが、こちらを疑っているようには見えない。

 ただ、これからは気を付けないといけないだろう。

 そして、ダイスケは改めてベルについて考えを巡らす。

 確かに今は自分が隣にいるし、身の安全という点で見ればしばらくは安泰だろう。

 だが、いくら平和な世界とはいえ、最低限の自衛もできない女の子が旅に出るというのは危険ということに変わりはない。

 手の平を返すような展開だが、ベルの身の安全を考えれば、村へ送り返すのもアリではないだろうか。

 それで兵に見つかったとしても、王都で生活に戻るだけだ。

 ベルも窮屈な生活に戻るだろうが、確実に生命は保証される。

 比較するまでもなく、安い代償といえるだろう。

「なぁ、ベル――」

 意を決し、ダイスケが帰村を告げようとしたのとほぼ同時に、ベルの声が上がる。

「よしっ、なら、アタシも頑張らないとっ!」

「えっ?」

 驚きの表情と共にダイスケが目を向けた先には、両手に拳を作り、自らを鼓舞するベルの姿があった。

「だって、昔に誰かがやっていたのなら、アタシができないことはないってことでしょ?」

「でも、当時とは――」

「わかってる。大変だってことも、女にはキツいってことも。でも、アタシはそれでも世界を旅して、女でもやれるってところをみんなに見てほしいんだ」

 どこまでも真っ直ぐで、希望に満ちたベルの瞳の輝き。

 そこには、確かな夢と、そこに到達するだけの決意が見て取れた。

 その熱量が、初めてこの地に舞い降りた時の自分の姿と重なる。

 ダメだと言われても、頑なに頭を下げて、一緒に連れて行ってくれるよう頼んだあの頃。

 不慣れな武器を手に、無我夢中で茨の道を歩んできた記憶。

 大変だとわかっていても、前に進みたいという気持ち。

 それを見せられて、否定などできるはずがなかった。

「そう、だよな……」

 いつの間に、自分はこんなに考えが保守的になってしまったのだろう。

 今の時代、わざわざ旅に出る必要はないのかもしれない。

 でも、今が比較的平和な時代だからこそ、もっと自由と、個人の尊厳を大事にするべき時だと伝えるべきではないだろうか。

 それに、こんなところでベルの夢を踏みにじったら、あの時自分を連れて行ってくれた彼女に怒られてしまう。

 ――やり残したことのないように生きたい。

 それが彼女の信念だった。

 せっかくのチャンスだ。

 このベルと一緒に、やり残したことを探しに出る旅をするのもいいかもしれない。

「ほら、いつまでもゆっくりしてたら日が暮れちゃう。早くいこうよっ!」

 飛び跳ねるように先導して街道を進んでいくベル。

 ダイスケはその後をゆっくりと、温かく見守りながら歩んでいくのだった。

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