第3話 初陣

 道なき道を歩いてしばらく経った頃、ダイスケは不意に足を止めた。

 背後を振り返るが、もう岩場も遠く、誰かが追ってきている様子もない。

 ここまで来れば追手の心配はしばらくは不要だろうし、一息ついてもよさそうだ。

「この辺りで一度休憩にしよう」

「やった、休憩! 歩きっぱなしだったから疲れたぁ~」

 ダイスケの言葉に少女は歓喜の声を上げ、荷袋を放る。

 疲れたと言ってはいるが、まだまだ元気そうだ。

 体力の面ではあまり心配はいらないかもしれない。

 そんなことをダイスケが思っていると、少女はダイスケの近くにあった切り株サイズの石の上へと、椅子取りゲームのように素早く飛び乗る。

 おかげで、そこに座ろうと思っていたダイスケはそのまま立ち尽くす羽目になった。

「んっ? どうかした?」

 無垢な少女の瞳がダイスケを見上げてくる。

 今更、そこに座ろうと思っていたからどいてほしいなんて言えるわけもない。

「……いや、なんでもない」

 結局、ダイスケは少女と少し距離を置いて地べたに腰を落とす。

 心地よい疲労感と、穏やかな日差しに、睡魔の気配が意識の縁に見え隠れする。

 そんな夢うつつな心地からダイスケを一気に現実へと引き戻したのは、他ならぬ少女の一言だった。

「ねぇ、あなた、この辺りの地理に詳しいみたいだけど、何者なの?」

 いきなり襟首から氷を入れられたような、ゾクッとした感覚が走る。

 危険だからとつい口出しをしてしまったが、迂闊だっただろうか。

 通りすがりの旅人なら、あんな岩の間を抜けたら、地図でもない限り町になんてたどりつけるなんて自信を持って言えるはずがない。

 かといって、少女が何者かわからない以上、先に正体をバラすのは色々と危険な気がする。

 ダイスケは一呼吸置いた後、できるだけ朗らかな表情を浮かべて答える。

「前に何度かこの辺りに寄ったことがあるから、それで知ってただけだよ」

 苦し紛れにしては上出来な言い訳を返したダイスケだったが、少女の素朴な疑問は止まらない。

「何度かって、それにしては随分若く見えるけど、お兄さん何歳なの?」

 ドツボにハマるとはこのことだろう。

 まさか、こんな少女に年齢のことを追求されるとは思わなかった。

 小さい頃に来たことがあるだとか、そういった理屈は通らないはずだ。

 何か、いい答えはないだろうか、少女も納得できるような、自然な筋書が……。

 最善の答えを探すダイスケだったが、その姿に少女は柄になく気遣った様子で言葉を投げかける。

「あ、やっぱり、いいや。話したくない理由とかあるんでしょ?」

「……そうしてくれると、助かる」

 それが精一杯の返答だった。

 すると少女も愛らしい白い歯を見せて、にかっと笑う。

「旅人にしては荷物もないし、おかしいと思ったんだよね。まぁ、アタシも内緒で出てきたわけだから人のこと言えないんだけど」

 やっぱり荷物の少なさにも気付いていた。

 年齢の割に頭も切れるみたいだし、敵対せずに済んだのは本当に運がよかったのかもしれない。

 すると少女は、ぴょこっと石の上から飛び降りると、改めてダイスケに向き直る。

「そういえばまだ名乗ってなかったっけ。アタシはベル」

 そう言って手を差し出している辺り、きっと握手を求めてるのだろう。

 ならばこちらも応えなければならない。

 どんな世界でも、どんな相手でも、礼は大事だ。

「俺はダイスケだ。よろしく、ベル」

 ベルの小さな手を優しく握り、自己紹介を終える。

 だが、そこでまたしてもベルの純朴な言葉がダイスケの心を抉る。

「へぇ、ダイスケって英雄様と同じ名前なのね」

「あ、あぁ……変、かな?」

 英雄様という言葉に、心臓が大きく飛び跳ねる。

 無自覚とはいえ、正体を見破られたような気がして、どうにも落ち着かない。

 だが、ダイスケの心情など知らないベルは、日常会話のトーンを崩さぬまま言葉のキャッチボールを続けてくる。

「ううん、別におかしくはないよ。ただ、親が信心深いと大変だろうなとは思ったけど」

「あぁ……そうかもな」

 正体がバレなかったのは良かった。

 ただ、この世には英雄としての自分を信仰してくれている人たちが大勢いることを改めて思い知らされてしまう。

 だからこそ、逃げ出したことに対する罪悪感が胸の内に広がっていくのを感じた。

 今ならまだ間に合うかもしれない……いや、もう決めたことを撤回するのは良くない。

 何より、今はベルを近くの町まで連れていくという役割があるのだから。

 そうと決まれば、また心変わりする前に出発するのがいいだろう。

「よし、そろそろ――」

 ダイスケが出発を口に出そうとした瞬間のことだった。

 周囲から感じる、不穏な気配。

 その登場にダイスケは口を閉ざし、目を細めてその根源を探す。

「ダイスケ、どうかしたの?」

 ベルが問いかけてくるが、ダイスケの視線は一点を向いて動かない。

 その雰囲気の変化に、ただごとではないと気付いたのだろう、ベルはその小さい体をすくめながらダイスケの視線の先を見つめる。

 だが、ベルの目に映っているのは何の変哲もなく並んでいる木々と、穏やかに揺れている茂みだけだ。

「先に仕掛ける。気を付けろ」

 そう言うが早いか、ダイスケは足元の小石を手に取り、茂みの中へと投げ入れた。

 草同士が擦れるような音が聞こえたかと思うと、次の瞬間5つの影が、茂みの中から飛び出してきた。

 だが、そのまま飛び掛かってくることはなく、ダイスケたちと約10メートル程の距離を保って止まる。

 動きが止まったことで、それがオオカミの群れであることがわかった。

 オオカミたちは前列に浅黒い4頭、後列に灰色の1頭という隊列で、ダイスケの様子をうかがっている。

「えっ、おっ、オオカミ!?」

 悲鳴にも似たベルの声が上がる。

 確かにオオカミは鋭い牙を持っているが、それ以外の攻撃は致命傷には程遠い。

 冷静に対応すれば、無事に切り抜けられる。

「大丈夫だ、冷静に戦えば勝てる」

 ダイスケの声に、ベルはわかったとだけ返すと、背負っていた片手剣を鞘から抜いて両手で構えた。

 ただ、その表情は硬く、動きも緊張のせいかぎこちない。

 剣先もぶれているし、戦闘の経験以前に剣の扱いもそれほど多くはないのではないだろうか。

 しかし、相手は動物だ。

 こちらの戦力事情を汲んでくれる相手ではない。

 ちょっとの殺気を見せただけで、敵意を増して襲い掛かってくる。

「やってやるわよ! どこからでも掛かってらっしゃい!」

 吹っ切れたのか、自らを奮い立たせるためか、ベルは大声でオオカミ達を挑発する。

 さすがに、これはまずいか?

 ダイスケの心のわずかな焦りが生まれる。

 多少の剣の腕があると踏んでいたのだが、目論見が甘かったらしい。

 素人同然のベルが複数の標的相手に上手く立ち回れるとは到底思えない。

 となると、やるべきことは自然と決まってくる。

 先陣を切って飛び掛かってくる一頭のオオカミ。

 案の定、その迫力にベルは怯んで身を引いてしまう。

「――借りるぞ」

 それだけ言うと、ダイスケはベルの手から剣を抜き取り、居合い抜きさながらに横薙ぎに剣を振るった。

 突然の反撃に、オオカミの鉄砲玉は回避もままならぬまま首筋に一撃を受け、鮮血のしぶきを上げながら地面へと落下する。

 ビクビクと身体を震わせながら、寝たきりになるオオカミ。

 赤黒い血が緑の絨毯の上に広がっていく。

 同胞の倒れた姿に、残りのオオカミ達もダイスケを強敵とみなしたらしく、地鳴りのような唸り声を上げて威圧してくる。

 無論、ダイスケはそんなことで動じたりはしない。

 むしろ標的を絞る時間ができるのでありがたいくらいだ。

「まずは、一頭」

 剣を振るい、付着した血をある程度払うと、ダイスケは中段に剣を構える。

 相手は様子をうかがっているらしく、攻めてくる気配はない。

 攻めるなら今だ。

 息をつく暇も惜しんで今度はこちらからオオカミの集団へと飛び込んでいく。

 それは通常であれば到底考えられないような無謀な突撃に見えるだろう。

 だが、幾度と人生を繰り返してきたダイスケに、それは当てはまらない。

「はぁぁぁぁっ!」

 剣を前へと突き出し、正面にいた二頭目を狙う。

 完全にオオカミ達の虚を突いた攻撃は回避の隙を与えず、そのよじった脇腹へと突き刺さった。

 仕留めたと思った瞬間、ダイスケの右肩へと別の一頭が飛び掛かる。

 ダイスケは反射的に右腕を上げ、肘でガードを試みる。

 振り上げられた肘に動揺したのか、オオカミの鋭い牙は喉笛に届かず、空を食いちぎるだけにとどまった。

 それでもまだ油断はできない。

 オオカミは前脚をダイスケに引っ掛け、そのまま自重を乗せて地面へと押し倒そうとしていた。

 また、ダイスケは視界の端に四頭目の姿も確認する。

 こちらはダイスケを転ばせる為に足を狙っているらしい。

「そうしてくれると、助かる」

 無防備になっているベルの方へ向かってくれなくてよかった。

 ダイスケは一抹の不安を、自ら消し去ってくれたオオカミに感謝の言葉を贈りながら、右手を大きく振り払う。

 勢いに負けて半円を描くように宙を舞うオオカミ。

 そこに、身をよじりながら素早く剣を上から叩きつける。

 まるでダイスケの周りだけ時間の流れが違うかのような、早業。

 そして背後から襲い掛かってくる四頭目も、後ろに目がついているかのように踵を蹴り上げ、そのアゴを砕く。

 動かなくなった2頭と弱々しく横になっている1頭、そして子犬のような鳴き声を上げながらもんどりを打っている1頭。

「どうする? お前もくるか?」

 ダイスケは今だ戦意の抜けていない鋭い視線を、傍観していた灰色のオオカミへと向ける。

 すると、オオカミは静かに後ずさりをして、そのまま森の奥へと消えていった。

「……悪かったな」

 その場に残された、苦しむオオカミ達を手にした剣で楽にしてやった後、ダイスケは深く息を吐いた。

「すっ、すごいっ!」

 背景の一部のように溶け込んでいたベルからの声に、ダイスケの意識は日常へと引き戻される。

「あぁ、悪い。剣を勝手に使って……血拭き用の布はあるか?」

「ううん、助けてもらったわけだし、別にいいよ」

 差し出した手に、ベルは小奇麗な布を手渡す。

「ありがとう」

 お礼を言って布を受け取ると、ダイスケは刃から落としきれなかった汚れを丁寧に拭き取っていく。

 刀身もそんなに長くはないし、刃型もシンプルなので時間はかからないだろう。

 その様子をベルは興味深そうに眺めていた。

 本当に戦闘や武器の扱い関して無知なまま、村を出てきたらしい。

 その姿が、初めてこの世界にやってきたときの自分と重なって、思わず笑みが漏れる。

「ねぇ、どうして笑ってるのよ?」

 ベルの問いかけに答えようとして、それを飲みこむ。

 今の自分はただの旅人なのだ。

 正直に話してしまったら、自分が本物の英雄だとバレてしまいかねない。

「いや、なんでもないよ……うん、これで大丈夫だ」

 ダイスケは剣の表裏を再度確認して、ベルに手渡す。

「なんか、釈然としないんだけど」

 ベルは不服そうな顔をしながらも剣を受取ると、それを鞘へと納める。

 どうやら、追及は諦めてくれたらしい。

 一仕事終えたことと安堵感もあって、ダイスケは大きく伸びをして、空を仰ぐ。

 ふと思い出した、当時の記憶。

 何も知らずにこの世界にやってきた自分を助け、育ててくれた彼女。

 それが今では、自分が少女に似たようなことをしている。

 ただの偶然かもしれないが、これが運命だとしたら、不思議なものだ。

「そうだな……もし、俺たちがもっと親しくなるようなことがあったら、その時は話してもいいかもしれないな」

 それは心から漏れた、小さな本音だった。

 ところが、その声は不覚にもベルへと届いてしまう。

「えっ、何を教えてくれるのっ!?」

 即時に返ってきたベルの声を露骨に無視して、ダイスケはくるりと背を向けた。

「さぁ、なんのことやら。変なのが集まってこない内に町に行くとするか」

「ちょっと、待ってってば。あなたと違ってアタシは荷物が多いんだって!」

 ゆっくり歩き始めるダイスケ。

 その後を文句を言いながらも、せかせかと着いていくベル。

 二人の進む方向の先には、目的地であるゼノバックの町が構えていた。

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