2-8

 絵理奈を見送った美月は一息つくと表情を険しくして三浦を一瞥する。彼もこちらを見ていた。


「どうして私が浅丘美月だとわかったんですか?」

『プリント提出の順番かな』


三浦は教卓にもたれてスラリと長い脚を組んだ。


『プリント提出の時、志田さんのプリントの前後に必ず浅丘さんのプリントがある。それに志田さんと浅丘さんは分析のペアを組んでいるよね。そのことから志田さんと一緒にいる君が浅丘美月さんだと推測できる』

「プリント提出の順番なんてよく覚えていますね。三浦先生は学生には興味がないと思っていたので意外です」

『学生に興味はないよ。これでも教師だから学生の名前くらいは覚える』


 表情の変化の乏しい三浦の顔を見据える。彼は眼鏡を外してレンズを拭いていた。

眼鏡を外した三浦の顔との面影が重なってまた鼓動が速くなった。


(バカだな……三十代の男がみんな佐藤さんに見えちゃう)


目の錯覚なのに、視界に散らつく佐藤瞬の残像。佐藤と似ているところはひとつもない三浦の顔に、佐藤の顔が重なって見えた。


『さっきの志田さんだけど、賑やかな子だよね。誰に対してもあんな風なの?』

「まぁ……。ちょっとミーハーと言うか面食いと言うか……」

『じゃあ浅丘さんから言ってあげてくれるかな。俺は学生と恋愛する気はないから興味本位に近付いて来られても困るって』

「そんな言い方ないと思います! 絵理奈は確かにちょっとミーハーな子ですけど、先生に憧れているんですよ」

『その憧れが迷惑なんだよ』


 眼鏡をかけた三浦はサラサラと流れる長めの髪を後ろで束ねた。人の好意を迷惑の一言で片付ける三浦に怒りが沸き上がる。


「絵理奈の好意が迷惑なら先生が直接、絵理奈に言えばいいじゃないですかっ。なんで私が……」

『俺から言うより君が伝える方が傷付かないと思うけど?』


 彼はファイルと教科書を脇に抱えて美月の横を通り過ぎる。三浦が側に来たとき、また心臓がおかしな感覚に陥って目眩がした。


『昼休み、いつもの場所で友達が待っているんだろ? 早く行かなくていいのか?』


立ち竦む美月に彼は言う。美月は三浦を睨み付けて彼が開けた扉から外に出た。


「……失礼します」


三浦に一礼して廊下を駆ける。背後に彼の視線が突き刺さって痛かった。


 何かがおかしい。何かが妙だ。

三浦英司を見ていると動悸が速くなって胸が痛くなる。彼と目が合った時から鳴り止まない心臓の音。


(わからない。何これ。拒絶反応みたいなもの?)


 どうして、どうして、どうして、自問自答を繰り返す。階段を駆け降りて中庭に出るとようやく身体の感覚が元に戻ってきた。


(偶然だよね、全部。三浦先生が私のことをわかったのも、三浦先生が佐藤さんに見えたのも全部、偶然……)


空虚と切なさを含む冷たい風が頬に触れる。


「生きているなんて、そんなことあるはずないのに……」


 肩を落として中庭の小道を行く美月の姿を、階段の踊場の窓から三浦が見下ろしていた。

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