エピローグ

エピローグ

11月25日(Wed)


 霊園に繋がる石造りの階段を上がった先で早河仁は後ろを振り返る。少し遅れて香道なぎさが息を弾ませて階段を上がってきた。


『二人とも命日でもないのに俺が来て驚くかな』

「きっと喜んでるよ。私も連れて来てもらえて嬉しい」


 早河の手には供え物の花束がある。二人は霊園の通路を進んで早河家の墓に花と線香を添えて手を合わせた。

早河は両親に何を伝え、なぎさは彼の両親に何を話したのだろう。


『大学時代、親父とタケさんで母さんを巡って殴り合いの喧嘩をしたらしい』

「少女漫画みたいな展開。お母さん、素敵な人だったんだね」


なぎさは早河の両親と武田財務大臣の恋物語を興味津々に聞いている。

二人を包むものはノスタルジーな線香の香りと鳥の鳴き声、冬の温度に近づいた風の音。


『まぁ実際は、母さんは親父にベタ惚れだったみたいだし、議員一族の坊っちゃん育ちだったタケさんは格闘技がめちゃくちゃ弱くて、喧嘩してもあっさり親父に負けてたって言うんだからタケさんに勝ち目はなかったんだけどな』


 両親への報告を済ませて早河達は来た道を戻る。霊園の駐車場を出発した早河の車は都内に向かう道とは逆方向に向かった。


『もうひとつ行きたい場所がある。いいか?』

「うん。どこ?」

『俺が高校まで住んでた街』


 数十分後に早河が青春時代を過ごした東京都多摩市に到着した。彼がかつて通っていた高校……貴嶋佑聖と過ごした学舎まなびやの前を通って高台に出る。


車を指定の駐車場に停め、早河はなぎさを連れて高台にある公園に入った。芝生の敷かれた広い敷地の向こうにある街が一望できた。


『ここ、昔よく来た公園なんだ。学校の帰りにここで道草してた』

「帰りだけ? サボりには来てなかったの?」

『白状すると、たまにここでサボって昼寝してた』

「ふふ。だと思った」


 早河が父と共に住んでいた古いアパートは取り壊されて跡地にはマンションが建っていた。

しかし青空の下に見える街は昔の面影を残して今もまだそこにある。


あの街にも、あの家にも、多くの人が住み、それぞれの人生のドラマがある。

愛し愛されて、暖かい太陽の下で日常を営んでいる。


 先週の月曜日に腹部を刺されて負傷した警察庁の阿部警視は無事に命を繋ぎ止めた。


 阿部を刺した男は22歳のフリーター。街中で見知らぬ男から現金二十万円を報酬として、金と引き換えに阿部をナイフで刺してくれと頼まれたと供述している。

二十万の金と引き換えに人殺しを請け負う人間もいるのだ。


阿部の殺害依頼をした男の正体は判明していない。似顔絵を作成したが被疑者の証言が曖昧であり、加えて男はサングラスや付け髭の変装を施していたようで似顔絵はあてにはならない。


 狙われたのは阿部警視だけではない。

先週末には警視庁公安部の栗山警部補が職務中に狙撃を受けた。狙撃の気配に気付いた栗山の部下が彼を庇って足を撃たれて負傷。栗山も部下も命に別状がなかった事が幸いだった。


 立て続けに狙われた警察庁の阿部と公安部の栗山。阿部はボディーガードが不在のプライベートな時間を狙われ、栗山は職務中。

他部署にトップシークレットで動く公安の人間の情報を的確に掴める人間でなければ、栗山を狙うのは容易ではない。


阿部と栗山の動向をいち早く掴める立場にいる人物が彼らに暴漢を差し向けた黒幕だ。

早河には黒幕の予想はついている。

警視庁トップの地位にいるあの男、笹本警視総監だ。


 いよいよ、その時が訪れた。犯罪組織カオスと、貴嶋佑聖と対峙する時が迫っている。


『なぎさ。これから俺かお前のどちらか、もしかすると二人とも危険な目に遭うかもしれない。明日には会えなくなる時が来るかもしれない。……だから今のうちに言っておく。明日もし会えなくなって一生この言葉が言えなくなるのは嫌だからな』


 なぎさは早河を見上げて彼の言葉を待った。静寂の時を刻むのは速くなる二人分の心臓の鼓動。


『結婚しよう』


潤ませた目を細めてなぎさは笑い、彼女は一言「はい」と囁いた。


 風にざわめいた木々の音は祝福の音色? 波乱の不協和音?


 覚悟を決めた二人に砂時計がゲーム開始のカウントダウンを知らせる。砂は加速と減速を繰り返してどこまでも堕ちてゆく。

進む時間は止められない。


砂時計の砂の最後の一粒が堕ちた時、最終章への幕が上がる。

最後にして最大の犯罪劇が間もなく、開演。



第六幕 砂時計 END

→あとがきに続く

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