5-8

 ダブルベッドの置かれた高層ホテルの一室。黒崎来人はバスローブを羽織り、雫の落ちる湿った髪を掻き上げてバスルームを出た。

部屋の窓際には一足先にシャワーを済ませた彼女がこちらに背を向けて立っている。彼女の視線の先には赤い光を灯した東京タワー。


『似合わないなぁ』

「何が?」


夜景を見つめていた寺沢莉央は窓ガラスに映る黒崎の姿に視線を移した。


『煙草ですよ。貴女には似合わないと常々思っています。ですが貴女は煙草を吸う姿も美しいので困りますね』

「あなたが困っても私は困らない。吸いたいから吸うだけよ」


莉央は澄まし顔で指に挟む煙草を咥えた。黒崎が彼女の隣に並ぶ。


『キングもたまに吸われていますよね。貴女が吸っている煙草はキングの煙草と同じ銘柄ですね』

「銘柄までよく見ているのね」


 窓際を離れた莉央は吸いかけの煙草をテーブルの灰皿に捨てようとした。煙草が灰皿に捨てられる寸前に、黒崎が莉央の指から煙草を抜き取る。

彼は莉央の吸いかけの煙草を咥えて、熱の宿る瞳で彼女を見つめた。


「残り物を欲しがる趣味があったの?」

『愛する女性の物ならなんでも欲しくなるんです』


 莉央から黒崎に渡った煙草は今度こそ灰皿の中に消えた。彼は莉央に永いキスを贈る。


『ケルベロスがキングに見放されたのなら、俺もどうなるかわからないな。今回のケルベロスの一件で、キング以外でクイーンに触れた男は破滅の道を辿ると組織内で噂されていますよ』


 到底手に入らない存在を追い求めて彼は今夜も目の前の莉央を必死で捕まえる。ここにあるのは虚しく儚い、虚構の愛。


「みんな失礼ね。私はそんなに危険な存在?」

『男にとってはある意味では危険な存在ですよ。貴女に魅了された男はもうおしまいだ。貴女を欲しがった時点ですでに破滅の道を辿っている。俺もそのひとりになってしまいましたが』


 携帯電話の着信音が鳴り響く。黒崎は名残惜しげに莉央の側を離れてソファーにある黒革のバッグから携帯を取り出した。

明日のCM撮影の日程変更を伝えるマネージャーからのメールだった。


ひととおりメールに目を通すと、画面上部に新着メールの通知が表示された。

メールの差出人は同業の女優、本庄ほんじょう玲夏れいか。彼女からの新着メールを流し読みして黒崎は携帯を置いた。


悪戯イタズラを思い付いた子どもみたいな顔ね」

『そうですか?』

「うーん。でも何か違うかな。悪戯を企む子どもよりも、女を騙す悪い男の顔ってところかしら?」

『酷いな。俺はそこまで女泣かせではありませんよ?』


 ソファーに座る黒崎の傍らに莉央が寄り添った。黒崎は莉央の髪を撫で、彼女の額や頬、耳元に順にキスをした。


「ねぇ、ラストクロウの変装用の三浦英司のマスク……また腕を上げたようだけど、やけに凝った造りよね。誰かモデルがいるの?」

『ああ、あれですか。そう、あのマスクにはモデルがいますよ』


 大きなソファーの上に莉央の身体が倒された。莉央のバスローブの胸元がはだけ、覗いた白い肌を眩しそうに見つめて彼は呟く。


『三浦のマスクは俺の高校時代の友人がモデルになっています。世間では自殺したことになっている俺の数少ない友人の……ね』

「ふふ。そのお話はキングに聞いたことがある。それって、本当はあなたが殺したお友達のことでしょう?」


黒崎は肯定も否定もしない。彼は穏やかな笑みを莉央に向けて、自分のバスローブを脱いだ。鍛え上げられた男の体が莉央に重なり、彼女のバスローブも下に落ちる。


 莉央の首筋から胸へ、そして下腹部へ、黒崎の莉央への愛撫は加速して止まらない。

莉央の下腹部から顔を上げた黒崎の視界に入ったのはテーブルに置き去りにされた鳴らない携帯電話。それを一瞥して彼はまた莉央の身体に身も心も沈めた。


『ゲームってゲームの最中よりもゲームが始まる前の方が楽しかったりしますよね』

「それなら今がその楽しい時かもしれないわね」


 完璧に均整のとれた裸体を晒してソファーに横たわる莉央は窓の向こうに見える暗闇に浮かぶ東京タワーに目を細めた。


「もうすぐ……始まるから」



 第五章 END

 →エピローグに続く

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