2‐3
――京都――
二葉書房の取材班が宿泊するホテルは京都の繁華街、四条にある格式がありながらもリーズナブルな値段のカップルに人気の高いホテルだ。
ロビーを行き交う人々も若い男女や女性同士の客が目立つ。戸田美奈子はソファーに座って携帯電話を耳に当てていた。
{お母さん、お土産よろしくぅー}
電話口から聞こえる10歳になる娘の声に口元が緩む。
「お土産ね、ちゃんと買ってくるから。お祖母ちゃんの言うことよく聞くのよ。……うん、はいはい。じゃあね、おやすみ」
娘との通話を終えた美奈子は同じフロアの土産物売り場に入る。娘への土産を購入するために売り場を物色していた彼女は見知った顔を見つけた。
「あれぇ? 金子くん、ひとり? 沢口くんは?」
土産物の並ぶ棚の前で、手持ちぶさたに立っているのは部下の金子拓哉だ。
『沢口さんは京都の女を引っかけに行くんだって意気込んで出掛けて行きましたよ』
「まったくあいつは……。仕事で来てるの忘れてないか?」
土産物売り場の専用カゴに美奈子は次々と菓子箱を入れていく。金子の目の前にあるつぶ餡の八ツ橋もカゴに入った。
「金子くんは何か買うの?」
『僕は特には……。明日のスケジュールの確認も終わったのでブラついていただけです』
「沢口くんみたいにナンパしに行かないの? 金子くんなら余裕で女の子何人か釣れるわよ」
『本命じゃない女に好かれても嬉しくありませんよ』
スラックスのポケットに両手を押し込んだ彼は澄ました顔をしている。
「クールだねぇ。金子くんさ、なぎさちゃんのこと好きでしょ?」
美奈子の思惑通りに彼の顔が狼狽の色を見せる。本命の女の話題に関してはわかりやすい男だ。
『どうして……』
「沢口くんにだってバレバレよ。それに、岩下さんの代役に社員じゃないなぎさちゃんを推したのは金子くんだったって編集長に聞いたよ」
美奈子の含み笑いに金子は気まずそうに顔をそらした。
『編集長も口が軽いなぁ。そのこと香道さんには黙っていてくださいよ。彼女には編集長が無理やり頼み込んだってことにしてあるんですから』
「わかってるって。で、告白はしたの?」
『しましたけど……好きな人がいるって言われてあっさり振られました』
いつの間にか美奈子のカゴには沢山の土産物の箱や缶が積まれている。金子も小さめの菓子缶をひとつ取って眺めた。
中には紅茶と抹茶味の飴が入っている。
「ふぅん。好きな人ね。でもそれって彼氏じゃないんでしょ?」
『彼氏じゃないみたいです。香道さんの片想いっぽいですね』
「それなのに諦めるの?」
『諦めたくはないですけど……』
飴の缶を元の場所に戻そうとした金子の手から美奈子が缶を取り上げて自分のカゴに入れた。まだ土産物を買う気らしい。
「向こうに中庭の見えるガラス張りの回廊があるでしょ? チェックインしてすぐに沢口くんが撮影してた所。さっきそこになぎさちゃんがいたよ。今もいるかはわからないけどねー」
『……もしかして、けしかけてます?』
「ふふっ。どうでしょう? ま、頑張って」
金子の胸元を軽く叩いた美奈子は土産物で溢れた買い物カゴを提げてレジの列に並んだ。
しばらくその場で立ち竦んでいた金子はロビーを横切り目的の場所へ急いだ。苔色の絨毯が敷かれた回廊を進む。
金子から見て左側は全面ガラス張りになっていて中庭をぐるりと囲むように回廊が続いている。
道なりに曲がるとソファーが並んでいた。そのひとつになぎさが座っている。周囲に人の気配はない。
なぎさは暗闇に包まれた中庭を見つめていた。中庭を彩る灯籠が闇の中で暖かい橙色の光を灯す。
床は絨毯のため足音は響かない。金子が名前を呼ぶまでなぎさは金子の存在に気付かなかった。
『戸田さんから、香道さんがここにいるって聞いて』
なぎさの斜め前のソファーに金子は腰を降ろす。なぎさは笑顔で金子を迎えた。
『明日は嵐山だね』
「秋の嵐山、紅葉がとっても綺麗ですよね。楽しみだなぁ」
『俺も楽しみ。相手役が俺でごめんね』
「そんなことないです。逆に私なんかが金子さんの相手役で載っていいのかって思っているんです……」
金子はソファーの肘掛けに頬杖をついて明るく笑った。
『それは大丈夫。香道さんはそこら辺のモデルよりも綺麗だから。沢口さんも絶賛していたよ』
「綺麗だなんて……言わないでください……」
なぎさの頬が赤く染まる。ストレートに称賛の言葉を口にする金子のことを直視できない。
『香道さんは綺麗だよ。……顔上げて、こっち見て』
金子の声色に脈拍が速くなる。恐る恐る顔を上げたなぎさを真剣な眼差しの金子が捉えていた。
『もう一度、俺にチャンスくれない?』
「チャンス……?」
戸惑うなぎさに構わず金子は立ち上がり、彼女のソファーの前で足を止めた。金子の手がなぎさのソファーの背に置かれる。彼はそのままソファーに片膝をついて腰を屈めた。
金子の体重によって重厚なソファーがギシッと音を立てる。
「金子さん……?」
『もう、いい人のフリはやめたんだ』
金子の顔がなぎさに近付き、互いの唇が接触する。目を見開いて固まるなぎさの唇を味わう彼はさらに深く、口付けを交わす。
なぎさの手が彼の胸元を押しやるがびくともしない。やがて唾液の糸をいやらしく引いて二つの唇が離れた。
『……いきなりごめん。最低なことしてるってわかってる。だけど俺の気持ちは変わらないよ』
ソファーから膝を下ろした金子がなぎさの傍らに立つ。不意討ちのキスをされたなぎさは涙目に金子を見上げた。その表情すら男を煽る材料になると彼女はわかっていない。
『もし香道さんの気持ちが少しでも俺に揺らいでいるのなら明日の夜、俺の部屋に来てほしい』
その誘いの意味を理解できないほどなぎさは子供ではない。
「金子さん、私は……」
次に続く言葉が言い出せない。このまま早河を好きでいても苦しいだけなら、いっそのこと金子に身を委ねてしまおうか……そんな浅はかなことを考えている自分がいた。
なぎさの戸惑いを察した金子は彼女の肩に優しく手を置く。
『今は何も言わなくていいよ。明日、答えを聞かせて。おやすみ』
なぎさに背を向けた金子が回廊の曲がり角に消えた。彼の姿が見えなくなるとなぎさは額に手を当ててソファーに身体を沈める。
(私なにやってるの……)
――“明日の夜、俺の部屋に来てほしい”――
金子の申し出にどう応えたらいい?
誰と、どうしたいのか。
いつまで考えても答えが見つからず、彼女は迷宮の回廊に迷い込んだ。
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