2‐2

 早河探偵事務所に夕陽が差し込む頃、警視庁捜査一課の上野恭一郎と堀井章介が事務所を訪ねてきた。


『今日は香道の妹のあの子はいないのか』

『日曜なのであいつは休みです』


 堀井は事務所に入るなり違和感を口にする。上野には平静を装う早河の様子がどこか寂しげに見えた。

なぎさのデスクには彼女の私物がまったくなく、綺麗に片付けられている。早河となぎさの間に何かがあったことは上野には明白だった。


 自分で淹れたコーヒーをすすり、早河は二人が訪ねてきた“理由”の話しに入る。上野も堀井も世間話をするために訪ねてきたのではない。

早河は渡された捜査資料のページをめくった。


『それで。俺が過去に逮捕して出所した人間が殺されるのはこれが三人目ですか』

『そうだ。一人目のガイシャはお前が4年前に傷害の現行犯でワッパかけた大山、二人目が3年前に窃盗の藤井、今朝発見された坂本はお前が新宿の所轄にいた6年前に強盗の容疑で。三人共に銃殺だ』


 堀井が身を乗り出して早河の前に被害者の顔写真と現場写真を並べた。早河は机に並ぶ写真をひとつひとつ見ていく。


『三人を撃った銃は同じものですか?』


この質問には上野が答える。上野はもうひとつの資料の束を早河に渡した。


『おそらくな。弾は過去にカオス関連の事件で使われていたものと同じ、9ミリパラベラムだ』

『お前、最近カオス関係でまずい案件に手を出してるんじゃねぇか?』


堀井が咥え煙草の口元をもごもごと動かして喋っている。早河はデスク中央の灰皿をスライドさせて堀井の前に置いた。


『まぁ、それなりには』

『お前が過去に逮捕した三人は確実に更生していた。大山と藤井は職が決まっていた。坂本は真面目に土木の仕事に取り組んで嫁さんもらって子供も産まれたらしい。さっき坂本の嫁さんに会ってきたが、自分を逮捕した刑事がお前でよかったと話していたそうだ。取り調べの時にお前は坂本の話を親身に聞いてやったそうじゃないか。コイツら三人、皆お前のおかげで更生できたんだ』


 早河は悲痛な面持ちで目を閉じた。過去に逮捕した犯罪者達は更生して新しい人生を歩もうとしていた。その矢先に何者かに命を奪われた。


『じわじわと外堀から埋めていくようなやり口ですね。三人を殺した奴の狙いは俺でしょう』


張り詰めた空気が流れる。堀井は煙草の灰を灰皿に落とした。


『そうだ早河。警察庁の阿部知己って警視、知ってるか?』

『ああ、捜査本部の責任者の。いいえ、知りませんよ。刑事時代に警察庁のエリートとお近づきになる機会もありませんでしたし』

『だよな……。いや、その阿部って奴が妙にお前のことを気にしている素振りだったからな。一連のガイシャを逮捕した元刑事としてお前のことを探るのはわかるんだが』


堀井は意味深に口を閉ざした。しばらく三人で事件の話をした後、堀井が先に事務所を辞する。


『なぎさちゃんと喧嘩でもしたのか?』


 事務所に早河と二人だけになった上野が問いかける。早河は肩を竦めてなぎさのデスクを見た。


『助手を辞めさせたんです。あいつはもうここには来ません』

『お前は本当にそれでいいのか?』

『俺のせいでなぎさが危険な目に遭うよりも……ここで会えなくなる方がマシです』


 花瓶に生けられた花は綺麗なピンク色をしていた。共に生けられているカスミソウしか花の名前はわからない。

殺風景なこの部屋に花を飾りたいとなぎさが言い出した時、特に反対はしなかった。早河は花に興味はないが、この事務所がなぎさが過ごしやすい空間になればいいと思っていた。


花瓶の水はどのくらいの頻度で替えればいいのかすら自分にはわからない。Edenで購入しているコーヒー豆や掃除道具、筆記類の買い置きなどもすべてなぎさが行っていた。

もう、なぎさがこれ等の仕事をすることはない。


『早河。お前の守り方は間違っちゃいないよ』


 事務所の扉に向かう上野はドアノブに手をかけたところで振り向いた。


『守り方は間違いではないが、それが最善とも言えないぞ。守る方法はひとつじゃない』


早河は無言で上野を見ている。上野は静かに事務所を出ていった。

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