第20話 美貌の従者(後編)
王宮に帰り着くと、空気が変だった。
火急の用が、と訴えかける衛兵をエンデが軽く制していたが、空気が変だった。
変といえば、
「エリスに冗談でも手を出そうとすると、死にますよ。気を付けてください」
料理店の帰りに、道すがら『エリスに危害を加えようとした奴絶対殺す』に関して、ファリスはエンデに警告をしていたが、
「べつにオレはなんともなかったぜ?」
とエンデが
エリスはエリスで、いつどんな場面でアリエスが現れるかが気になって仕方なく、あまり他のことに注意を払える状況ではなかった。
そもそも、アリエスの目的が掴めない。
エリスの記憶と、現実の季節の時間のずれに関しては、すでにファリスが仮説を立てていた。
「ある地点から、別のある地点に人間を転移させる魔法は多くの危険を伴います。時間と空間を歪めるからです。ただし、たとえば移動にかかる時間を有効にした場合、失敗の確率が大幅に下がると聞いたことがあります。つまり、エリスはどこか遠くから、移動にかかる時間にして春から夏にかけての距離、転移の魔法で送られてきた可能性が高いと思います。誰か、強い魔導士の存在が背後にあるのは間違いなさそうですし」
正解。
その時間をかけて、アリエスは陸路で姫とともに海の国へ向かってきたとなる。
はじめから、そのつもりだったのだろう。一体、何の為に?
(惨劇の夜……。一夜明けるとそこには二つ名を持つ戦士たちの屍が積み重なっていた。お師匠様は二つ名を持つ騎士団長を自らの手で殺めに来たのだ……! だめだ。有り得すぎて怖い)
自分がついていたからといって、アリエスの襲撃をどうにか出来るかは未知数だが、今晩はいっそみんな一緒に夜明かししてくれないだろうか。
解散する前にどうにかそれを提案しなければならない。だが、なんと言うべきだろう。
エリスはエリスで悩み抜いていた。
三人とも変な沈黙を抱えたまま、エリスの部屋に通じる廊下の角を曲がる。
先を歩いていたエンデが立ち止まり、ファリスが足を止め、エリスは二人の背中にぶつかった。
「そういえば今日は時間作るって言ってましたねー、多めに」
「オレはそれ聞いてないからな」
「なかなか良い店だな、って言って長居をしたのはエンデですよ」
小声で小突き合う二人の視線の先。
エリスは背伸びをしても見えないので、ひょこっとエンデの横から顔をだしてのぞいてみた。
部屋の前に何かが落ちていた。
見間違えでなければ、膝を抱えてその膝の間に顔を埋めて石のように動かない人間だった。
「……あなたたちの王様が、廊下に落ちているみたいなんですけど」
「エリス嬢にはそう見えるのか」
「そう見えるのかって、じゃあエンデさんはあれ、何に見えてるんですか!?」
「エリス、大声出さないでください、このまま安らかに眠らせてあげましょう」
「王様を廊下で!?」
非常に落ち着き払った様子で、エンデが喚くエリスに言った。
「ここが戦場だったら、あれは十分な寝床だ」
「無理がありますから……っ」
「ではお聞きしますが、エリス。あの状態のジークハルトに、いや、陛下になんて声をかけるんですか?」
「なんて……?」
二人の視線を受けて、エリスは凝固した。
ややして、ごくりとつばを飲み込んだ。
「難しいですね……」
(ごめんなさい、ジークハルト)
もはや三人で「触らぬ王様に厳罰なしですよ」などと現実逃避を決め込む空気が濃厚になったその時。
「すっ………………………………ごく良く寝た」
音もなく近寄ってきていた王様本人に捕捉された。
* * *
何かと気にかけて揉み手で待機していたらしい女官たちが、すぐに沸かしたお湯や果実酒やグラスなどを運びこみ、四人で少し夜更かしでもしよう、という空気になった。
空気。
ファリスは今日エリスと過ごした時間で得た知見をジークハルトに説明し、エリスは午前中は騎士団の詰所で事務仕事をしたことを短く報告した。
「エンデはすっとぼけているが、実際、事務仕事はできないのではなく、やらないだけだ。一人であれを片づけられるはずだから、明日以降は他の仕事も考えておく」
ジークハルトは、エリスがそこで何を見たかを問うことはなく、ただ簡潔に告げた。
「明日以降といえば、そろそろ撤収も視野に入れて動かないといけないですね」
ドアにほど近い位置に、腕を組んで立っていたエンデが言った。
「撤収というのは……」
「城に戻る。こちらでの用事はほぼ片が付いた」
エリスの疑問に、ジークハルトがすかさず答える。
「たしか、休暇でいらしてたと……」
聞きかじっていた情報を口にすると、お茶を一口飲んで、カップを小テーブルに置き、ジークハルトが告げた。
「ここに残っても、どうせ身元捜しは手詰まりだ。エリスも来ると良い」
エンデは何をするでもなくドアの方へと目をやり、果実酒のグラスを手にしたファリスは、椅子に座るジークハルトの背後に立ち、窓の外に目を向けながらグラスを傾けた。
「お城に、ですか」
小テーブル越しに向き合い、エリスは居住まいを正す。
正面から見ると、恐ろしく綺麗な目をしたジークハルトが、真剣な様子で続けた。
「身元がわからないなら、作れば良い。城で過ごすにあたり、一度適当な貴族の養女にするなり、必要な身分はこちらで用意する。何も不自由はさせない。どこかへ帰る必要はもうない。俺の側にいれば良い」
(この申し出を受けると、わたしは海の国の人になるのかな)
お師匠様の老後とかどうしよう、と間の抜けた悩みが浮かんで、すぐに馬鹿なことを、と気付いた。
「少し考えさせてください」
「そのつもりだ。エリスの気持ちが決まったら、教えてほしい」
エンデとファリスが、同時にジークハルトに視線を投げた。
休暇を兼ねてお妃候補を探しにきていた次期国王が、唯一人の女性に決断を求めた、その瞬間だった。
その時、控えめなノックの音が響いた。
エンデがすぐにドアに歩み寄り、小さく開いて用件を請け負った。
「陛下、メオラの噂の従者殿が、面会を求めているそうです」
「こんな時間に不躾だな。会う必要はない」
「それが、陛下ではなく……。陛下の気持ちを射止めたと専らの噂の姫君にお会いしたい、と」
「なおさら却下だ。なぜ女性の部屋にこのような時間に顔を見せようとする」
「自分のところの姫君がコケにされた文句かもしれませんが、確かに無粋ですね」
淡々とした二人のやりとりを聞いていたエリスは、血の気が引くのを感じた。
(来た)
「あの」
今にもエンデが伝言の使者を追い返してしまいそうだったので、エリスは思い切って椅子から立ち上がり、声を上げた。
全員の視線が来る。
動悸がした。喉が干上がっていた。
「会います」
ジークハルトが静かな声で言った。
「何故だ」
エリスはぎこちなく首を巡らせて、座ったままのジークハルトを見た。
「怖いからです」
息詰まるような空気。遠くで波の寄せて砕ける音がする。それほどの静寂を経て。
ジークハルトは音もなく立ち上がり、エリスの正面に立つと、肩にそっと手を置いた。
「そんな心細い顔をするな。抱きしめたくなる」
エリスは、慈しむような笑みを浮かべたジークハルトを見上げて、声を絞り出した。
「なるべくみんなでいるときに会った方が。すごく危ないので。何をするか、わからないので」
尋常ではない様子のエリスに、ジークハルトは軽く眉を寄せる。
小テーブルにグラスを置いたファリスが、低い声で言った。
「昼間から気になっていたんですけど。もしかしてエリス、心当たりがあるのではないですか。噂の従者に」
「ファリスさん……」
身を乗り出そうとしたエリスを、ジークハルトが片手で抱き留める。
エンデに目配せをした。
軽く頷いて、エンデが答えた。
「通します」
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