第21話 純情可憐狂騒曲

 最初に姿を見せたのは、銀の髪のロアルドだった。

 ドアからその巨躯をすべりこませると、エンデと無言で視線を交わしてから、部屋の中へと進んだ。

 その後から、ロアルドとさして遜色のない長身の男が、ゆっくりと足を踏み入れた。


 最大限警戒していただろうに、それでも一同息を飲むなり、目を瞠るなり、した。

 数日会わなかっただけの、見慣れているエリスでさえ、ひるんだ。


 いつも体の線の出ない紫紺のローブを身にまとっていたが、今日は極めて簡素な従者然とした濃紺のシャツに黒のズボン。似合わなくもないが、却って均整のとれた体つきと美貌を際立たせる要因となっている。

 艶やかな黒髪は後頭部で一房軽くとって束ねており、精巧に整い過ぎた彫りの深い顔には、凍てついた湖面を思わせる群青の瞳が、長い睫毛に縁どられて収まっていた。

 アリエスは部屋の中を見回すと、結んだままの唇からゆっくりと笑みを広げる。

 視線はエリスに長くとどまることなく、平等に通り過ぎた。

 そして、ジークハルトへと向けられた。形の良い唇から、張りのある硬質な声が紡がれた。


「『血と鋼』に呪われし狂戦士か」


 その場の全員のまとう空気が、一層張りつめたものになった。


「やはり、ただの従者ではないな。ずいぶん王宮を歩き回っていたようだが。何が目的だ」


 アリエスに視線を合わせたまま、ジークハルトが鋭く言い放つ。エリスを抱き寄せた腕に、さらに力が込められた。


「探し物を。万が一にでも、『血と鋼』がいたら面倒だからな。さすがにあいつを俺一人で滅ぼすのは荷が重い」


 そこで、アリエスはようやく、エリスに目を向けた。


 エリスに向けたまなざしは、おそらく本人にもどうしようもないほどの慈しみに溢れていた。 

 限りない、ありったけの愛しさが込められているかのようなその目つきだけで、それを目にした者の胸を締め付けた。

 そこにある感情は、誰の目にも火を見るよりも明らかだった。

 まさかそれに気づけない人間がこの地上にいようとは。

 そんな切ないことがこの世にあるとは思えないほどに。


「殺し合いが、はじまるのかと………………」


 エリスは、声を震わせて言った。


「俺のことがそんなに信用できないのか」

「何をするかわからないので。馬鹿だから」

「今どさくさに紛れてなんて言った」

「お師匠様……、ときどきすっごい馬鹿だから……っ。喉に、変な魔法かけるし……。なんですかあれ……」


 言いながら、エリスは両手で顔を覆ってしまった。

 こらえながらも、しゃくりあげるような、どこか悔しそうな泣き声が指の隙間から漏れた。


「泣かせたな」

「泣かせましたね」


 ジークハルトとファリスが、ぴたりと息の合った会話をした。


「陛下も昼間、間接的に泣かせたんですけどね……」


 エンデはごく小さな声で呟いた。

 一方のアリエスといえば、何も聞こえていないようで、いささか余裕を失した強張った笑顔のまま氷結していた。

 エリスはエリスで、両の掌で滅茶苦茶に顔をこすりながら、陰陰滅滅とした声で言った。


「泣きたくて、泣いているんじゃないので。誤解しないでください……っ。みなさん、ちょっとどこかに消えてください……っ」

「すごいとばっちりな気がしますが、消えるべきでしょうか」


 ファリスがぽつりと言った。


「オレは男を試されている気がする」


 苦みばしった表情で、エンデは天井を仰いだ。

 エリスは、ジークハルトの腕から逃れると、数歩進んで距離をとり、顔を上げて居並ぶ面々を赤らんだ顔と潤んだ瞳で睨みつけた。

 本人は威嚇しているつもりのようだった。


「全員、目を瞑るように」


 ジークハルトが厳かに言ったが、即座にファリスが却下した。


「その命令はきけませんね。自分だけ目を開けてるつもりでしょう。いやらしいなぁ」


 責められたジークハルトは、瞑目して頬を染め、掠れた声で言った。


「可愛い。結婚したい」

「さっき申し込んでいたじゃないですか」

「あれは別に。当面の生活を保障しようというだけで、迷子を保護したのだから当然のことで。仕事を見つけて諸々の心配をなくして、それから」

「うわ。馬鹿ですか。それ本気で言ってるんですか。後悔しませんか。俺のそばにいろとまで言って、告白じゃないとかふざけるのも大概にしましょうか馬鹿王子。王子のものじゃないっていうなら、僕もエンデも手加減しないですよ」


 まるでジークハルトの繊細さに配慮をしない暴言を繰り出すファリス。

 眼帯の上に手を当てて、もう見えていないはずの目を覆っていたエンデは、


「ちょっとそこの男子ー、純情可憐の度が過ぎていっそ破廉恥だからそういうのやめてくれるー」


 死ぬほど小ばかにしくさった態度でそれだけ言って、そっぽを向いた。

 ロアルドは静かにひとり、目を瞑っていた。寝ていたのかもしれない。


「お師匠様の馬鹿! ド阿呆! どう落とし前をつける気ですか!!」

「俺そこまで罵られるようなこと、したのか……?」


 アリエスは顔を引きつらせて呟いた。

 気を取り直し、余裕も取り戻したジークハルトが、アリエスの肩を優しく抱いて笑顔で言った。


「したんじゃないのか。俺にもその辺詳しく教えてくれ。まずは二人のなれそめと関係性から」

「慣れ慣れしくするな。呪うぞ」


 そこにファリスが、すっと果実酒を注いだグラスを差し出した。


「飲みますか?」

「手、怪我」


 アリエスはファリスの右手に手を重ねる。瞬きよりやや長いくらいの間を経て手を離すと、そのままグラスを受け取って唇を寄せた。


「へー。さすが大魔導士は治癒魔法も完璧ですね。痛みがひいた」

「やはり大魔導士アリエスか。なるほど。で? エリスとの関係はなんなんだ?」


 ジークハルトが視線を鋭くして問いかける。

 くいっと酒を飲み干しているアリエスに代わり、エリスが真っ赤にした顔も涙目もそのままに声を張り上げた。


「その人は、親です。わたしの! 育ての親です!! ばかなんですうううう」


 感情が昂っているせいか、冷静な会話にならない。

 ジークハルトは軽く吐息して「何か飲み物か食べ物を用意して仕切り直そう、夜が長そうだ」と言った。

 請け負って、待機しているであろう女官を呼びにエンデがドアに向かう。

 歩き出してすぐ、ロアルドの横で足を止めた。手を伸ばして、ロアルドのシャツの襟の折れを整えつつ、独り言のように呟いた。


「親……。親ねぇ。あれが基準なら、そりゃ美的感覚おかしくなるな。なるほど、それでエリスは自分のこともよくわかってないわけだ」


 軽く身を引いて、ロアルドの襟の具合を小首を傾げて確認してから、再び歩き出す。

 そして今一度呟いた。


「ああいう顔されるの、本当に困るんだよな。可愛いは暴力だろ」


 落ち着かない様子で、整っていたはずの自分の髪はぐしゃぐしゃとかきむしりながら。

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