第19話 美貌の従者(前編)

 避けられている。

 行く先々で「美貌の従者」の噂話は聞くのに、本人は通り過ぎた後なのだ。


「本当にお美しくて。流れるような黒髪に、神秘的な氷のような瞳……」


(本人がそれなりに神秘の使い手ですし。そういう雰囲気くらいはあるかもしれないですね!)


「それでいて、微笑まれると大輪の花も色褪せるかのような魅力にあふれていて……」


(大輪の花を一瞬に色褪せさせるのはふつう、邪法の類だと思います)


「本国にいらっしゃる大魔導士アリエス様という方もお美しいとは聞きますけど、まさかあれほどの方はこの世に二人といないでしょう……」


(そこはさすがに疑ってくださいよっっっ。疑うところーっ。同一人物、です!!)


 すれ違う女官や下働きの者たちの話し声を耳にし、ときには実際に話しつつ、すべての話題は「美貌の従者」一色で、エリスの表情はどんどん険しいものになりつつあった。

 事情はわからないなりに、エリスから漂う緊迫感ある空気に対し、ファリスもまた口数少なくなっている。


「姫君もお美しい方でしたが、これだけ話題になっている『美貌の従者』とは、いったいどんな方なんでしょうね。エリスは気になります?」

「気に……気に……気に……」


 口元を歪めて、壊れたように繰り返すエリスを見て、ファリスは「えーと……?」と半笑いを浮かべた。


「僕の質問がいけなかったんでしょうか。お会いしたいですか? という意味で尋ねました」

「お会……っ」


 エリスの態度は、ただただ不自然。「うーん」とファリスは掌で額をおさえる。


「今のエリスが僕にはよくわかりません。別に、その男に興味があるのかと言いたいわけではありません。単純に、美人を見ると気持ちが潤いませんか。寿命が延びそうといいますか」

「ファリスさんは寿命を延ばしたいんですか」


 エリスは思わず食ってかかった。

 ごく穏やかな口調で、ファリスが答える。


「それは少し、感じ悪いですよ」

「大変失礼しました。本当に申し訳ありません」

 

 言った直後に、自分の失言に気付いていたエリスは、深々と頭を下げた。


「今のは僕も悪かったと思います。エリスが王宮を少し歩きたいと言って、皆さんからお話を聞いていたので、てっきり噂の御仁にお会いしたいのかと考えてしまいました。失礼しました」


(ファリスさんは全然悪くないです……)


 焦りや苛立ちからの暴言に、エリスは顔を上げられないままうなだれていた。


「少し休みましょうか。あなたの記憶が戻るならそれに越したことはないけれど、無理はさせるなと、陛下が。今日は手がかりを一つ掴みましたし、あとは遊びましょう」

「遊び……」


 顔を上げないエリスの肩をすべった髪を一房指先で摘まんでごく軽く引っ張り、注意をひいてから、ファリスは秘密を打ち明けるかのように言った。


「ご存知ないかもしれませんが。実は僕、先の大戦の勝利のご褒美に、ここには休暇を兼ねて来ているんです。大手を振って遊べるんですよ」


 * * *

 

 会おうと思えば会えるはずの人と、奇跡的に完璧なすれ違いを繰り返す。

 これはもう絶対に避けられている。「まだ不肖の弟子とは会わない」と。


 気持ちが腐りはじめているのは感じていたので、エリスはファリスとともに街へと向かった。

 出がけに簡単に着替えたファリスは、落雷に撃たれた右手に指部分のない手袋をしていて、ついでのように指輪をいくつかつけていた。身なりはごく普通の青年、とエリスは思うのだが、街でそれなりに人目を引いていたのにはさすがに気付いた。


「もしかしてファリスさんって……」

「どうかしました?」


 いえ、なんでも、とエリスはもごもごと口の中で呟いた。


(育ての親がアリエス様のせいで、わたしたぶん人の見目がよくわかっていない……。ファリスさん、かなり美形なんだ)


「どこかで食事をして帰りましょう。どうしようかな……。お酒はダメだって陛下から聞いているけど」

「情報共有が完璧ですね」


 健やかに寝てしまった気まずい話が知れ渡っている事実に、エリスは多少すねて足元を見た。

 陽が落ちる時間帯、薄暗くなりかけた道、ファリスもまたエリスの足元にさりげなく視線を向けつつ、口を開く。


「今晩、二人だけの秘密を作りましょうか。僕は構わないですよ」

「それは嘘ですね。絶対ジークハルトに報告すると思います」

「どうして?」


(どうしてと言われましても)


 顔を上げて、そう言おうとしたら、思いがけず真摯な瞳が自分を見ていたことに気付いて、エリスは言葉を失った。


「足元気を付けてください。何度転ぶ気だよ、ってエンデが言ってましたよね。僕も、転ばせる気はありませんけど。あなたのすぐそばにいますから」

「サンダル、違うのにしたので、大丈夫だと思います」

「ちょうど行こうと思っていたお店がありました。あそこにしましょう」


 さっさと行先を決めたファリスに、唱える異もなく、エリスはともに歩き始めた。


「おい。オレもまぜろ」


 背後から、知った声が聞こえた。


「立ち止まらないで」


 ファリスが小声で言って、エリスの背に軽く腕をまわす。 


「一応、夜からはオレの仕事なんだよな。聞いてんのかそこの若作り」

「ファリスさん、無視でいいんですか」

「いいんですよ。どうせついてきますから」


 後ろから近づいてきたそのひとは、ファリスの腕を掴むと、エリスとの間に実にしなやかに身を挟んだ。


「オレもまだ食ってないんだよな。どこ行くつもりなんだ。ハズレの店だったら大笑いしてやる」


 ファリスの肩を抱いてにやにやと言った黒の眼帯の男に対し、ファリスはおっとりとした笑みを浮かべて応戦した。


「エンデ。少し香りを変えましたか。どこかの若いお嬢さんに、オッサンくさいって言われたんでしょうかね」

「真逆。惜しかったな。惜しくもないか。お前こそ相変わらず薬草くさいな」


 エリスは少し距離を置いて、巻き込まれないよう遅れて歩きながら、この二人はやっぱり仲が良い、との感想を抱いていた。


(楽しそう)


 * * *


 ファリスが向かったのは、小高い丘の上に建つ魚介中心の料理店。

 テーブルは天井のない屋外のテラス席で、海に面している。

 魚介どころか、食べ物全般にさほど詳しくないエリスは二人に注文を任せて、暗い夜の海を見た。


 店内には賑やかな笑い声が響いていたが、遠くからは潮騒が聞こえる。

 この国に着いて以来ずっと感じていた海の匂いが、時おり、風にのって強く届いた。


「ところでエリス嬢。メオラの姫君と鉢合わせたんだって? どうだった」


 仕事と言った手前、お酒を飲むつもりはないのか、シトラスを浮かべた水のグラスを傾けて、エンデが言った。噂話に敏いのはさすがだった。


「わたしの感覚では美少女だったと思います」


 わたしの美形麻痺した感覚で美少女だと思うのだから、おそらく相当な美少女です、とエリスは心の中で付け加えた。


「積極的な様子でしたね。かなりぐいぐいいく感じの」


 濃い色の果実酒のグラスを片手に、ファリスが補足する。 


「なるほど。で、エリス嬢としてはそれを受けてどうする? この縁談が成功すれば良いと、まだ考えているのか」

「そういえば、そんな話をしましたね、わたし……」


 ジークハルトが自分を構うのは、周りに対する罪滅ぼし。

 本来あるべき縁談をきちんと受け止めれば、誰もエリスに変な期待をかけず、すべてがうまく回るのではないかと。


「ジークハルトが決めることだとは思います。姫君は、別にジークハルトを怖がってる感じもなかったと思いますし、もしかしてうまくいくかもしれませんね」


 二人の顔を見渡したとき、ファリスが顔を引きつらせて笑いをこらえていることに気付いた。


「なんですか」

「いえ……。エリス、あのとき、ちゃんと陛下のこと見てました?」


 問い返されて、エリスは口をつぐむ。

 見ていなかったわけではないが、頭の中は違うことでいっぱいだったので、正直よく覚えてはいない。


「泣ける」


 エンデが乾いた目元を過剰な仕草で手で覆った。


「そうは言いますけど、ジークハルトは、その、怯えられるのが嫌だったんですよね?」


 男二人にからかわれまいと、エリスは慎重に言葉を選んで様子を伺った。

 ファリスはテーブルに片肘をつき、指先でこめかみを押しつつ「えーとですね……」とだけ言った。表情は少しばかり悩ましかった。

 溜息をついたエンデが引き継いだ。


「獣のような男に脅える女もいるが、獣に愛されたい女も世の中にはいる。どちらにせよ、陛下は予想を裏切るだろ。怖がられると傷つくくせに、ぐいぐい来られてもひくからな」


 なかなかにあけすけとした物言いだった。ファリスがとりなすように言った。


「繊細なんです」


 エリスは膝の上に置いた手でぐしゃっとスカートの布を握りしめた。


「そこはたしかに、本人の気持ちが大切ですね」

「繊細すぎてもこの先やっていけるのか、って気はするけど」


 君主に対して無礼なことを言うエンデだったが、ファリスもうんうん、と頷いていたので、エリスもまた納得して引き下がることにした。


「わかりました。余計な口出しをしないように気をつけます」


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