3-8

 真紀から連絡を受けた早河仁は新宿の人混みの中で矢野を見つけた。


『おー……ダーリン、こっちー』


道端で座り込む矢野が手を挙げている。早河を見つけた彼は弱々しく笑っていた。


『誰がダーリンだアホ。また随分ボコボコにされたなぁ』

『ね。俺様のこのビューティフルフェイスに傷を付けてくれちゃって、どうしてくれようか』

『そこまで口が回るなら大丈夫そうだな』


 早河が矢野に手を差し出し、矢野がその手を取る。矢野を立ち上がらせた早河は負傷する彼に肩を貸して停めてある車まで歩いた。


『小山、泣きそうな声で俺に電話してきたぞ』

『泣きそうっつーか泣いてた。全部俺のせい。関係ないって言って冷たくしちゃったんだ』


ハァ、と溜息を漏らす矢野の姿に早河は口元を上げた。大学時代から女遊びを繰り返してきた矢野がひとりの女にこれだけ一喜一憂する姿は初めて見る。


 矢野を車の後部座席に寝かせ、早河はハンドルを握った。


『病院行くか?』

『行った方がいい?』

『行った方がいいだろうな。念のため精密検査は受けとけ』

『……へーい』


 矢野は大人しく早河に従った。早河は刑事時代に知り合った外科医に連絡をとる。夜間だったが、彼が勤めている病院に連れてくればすぐに治療と検査ができるよう手配してくれるそうだ。


『何人だった?』


矢野を襲ってきた人数を早河は聞いた。


『あれは……軽く十人はいたかな』

『ひとりに対して十人か』

『殺されなかっただけマシかも。やっぱりカオス周りのネタ集めはスリリングだねぇ。久しぶりにマジの身の危険を感じた』


 後部座席に仰向けで寝ている矢野は額に腕を乗せた。真紀の泣き顔が頭から離れなかった。


『小山を突き放したのはまだ追っ手が近くにいたからか?』

『早河さん、まるで一部始終を見ていたみたいに言うよねー。そう。いくら真紀ちゃんが刑事でも……ね。俺のせいで危険な目には遭わせたくない。あの後も追ってきた二人巻いた。ケルベロスの手下は執念深いというかしつこいというか』


 今回、矢野が探りを入れたのは犯罪組織カオスのキング、貴嶋佑聖の側近と言われているケルベロス。貴嶋の父親、辰巳佑吾の時代のカオスではケルベロスはhit man(殺し屋)の存在だった。


『カオスを外側から崩すには幹部の情報へのアクセスが肝だ。幹部の正体が掴めれば貴嶋に辿り着ける』

『ケルベロス、スコーピオン、スパイダー、このうちのひとりのネタでも掴めればいいんだけど。ああ、でも……ケルベロスについて、わかったことがある』


矢野は顔をしかめて身体を起こした。腹部に走る激痛に堪えて彼はシートに背を預ける。


『前に和田組に潜らせていたショウって奴、覚えてる?』

『ショウ……ああ、あいつか』


 数ヶ月前に和田組に潜入調査で潜り込ませたショウの風体を早河は思い出していた。任務を完了したショウは組関係に狙われるのを避けるために海外に避難させている。


和田組は犯罪組織カオス、そしてキングの貴嶋と密接に関係している暴力団だ。


『ショウから聞いた話だと、和田組に薬の摘発情報や銃の裏ルートの情報を流しているのはケルベロスらしい』

『摘発情報……なるほどな』

『しかも和田組に流れてる薬や銃は警察の押収品の可能性が高いってさ。これってどう思う?』


バックミラー越しに早河と矢野の目が合った。


『ケルベロスが警察と通じてるってことだろうな』

『あるいは、ケルベロス自身が警察関係者か……』


 矢野はポケットから煙草を出して咥えた。吸い込む時に腹部にまた痛みが走るが今はニコチンの接種で気を落ちつかせることを優先した。


『あーあ。真紀ちゃん泣かせちまったなぁ……。俺、サイテーな男じゃん』

『お前さ、小山に冷たくしたのはあいつを巻き込みたくないだけじゃなくて、ボコボコに殴られたカッコ悪い姿見られたくなかったのもあるだろ?』

『ははっ。早河さんはなんでもお見通しか』


苦笑いして彼は紫煙を吐き出した。

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