2-10
君を罪の海に引き摺り込んだのは俺だから
君は俺を許さなくていい
君を手に入れるために
俺は君にも罪を負わせた
だから俺を愛さなくてもいい
愛さなくていいから今はただ二人で
一緒に落ちていこう 深い海の底へ
一夜だけの青い夢の世界に溺れていよう
俺に愛していると囁かれて
哀しげな顔で何も言えない君に罪の意識と愛しさが募る
受け入れてくれるその手は温かくて優しくて
その手を離すまいと、ぎゅっと君の手を握り締めた
利用しろ、なんて甘い言葉で君を惑わせてごめん
君が欲しかったから手に入れた
ただそれだけなんだ
己の欲のために君に罪を犯させた俺は名探偵じゃなく立派な
でもいいんだ
好きな女をこの腕に閉じ込められるのなら、俺は罪人になる道を選ぶ
ごめん、やっぱりどうしようもなく君を愛してる。
――これは人魚に恋をした男のもうひとつの人魚姫のストーリー。
男は優雅に泳いでいた美しい人魚を網で捕らえた罪人だ。
捕らえた人魚との一夜限りの契り。
この白い脚が尾びれに戻る前に。
一夜の魔法が解けるまで、君を感じていたい……
*
アクアトンネルの青色の照明が美月と松田を照らしている。彼は床に寝そべり、頭上を泳ぐ魚の群れを眺めた。
松田の右隣には美月が寄り添って同じように頭上にあるドーム型の水槽を見つめている。
『寒くない?』
美月の上には松田が羽織っていたシャツがかけられている。彼はそれを美月の肩まで引き上げた。
「大丈夫。先輩があったかいから」
もぞもぞと松田の脇の下に入り込む美月は主人に甘える子猫みたいで可愛らしい。
たった一夜の罪のはずだった。でもこの一夜で余計に愛しさが増して美月を離したくなくなってしまった。
彼女がもし恋人と別れて自分のもとに来ることを選ぶのなら決して離したりしないのに。
美月の香りを、美月のぬくもりを記憶するように、この一夜の罪深き恋物語を永遠に記憶するように、何度目かわからないキスを交わして、何度目かわからないほど抱き合った。
足元から少し離れた場所に空になった酒の缶とつまみの袋、口を結んだコンビニの袋が無造作に放り出されていた。
コンビニの袋の中にはくしゃくしゃになったティッシュがあり、そこには解放した男の欲の塊が詰まっている。
好きだからこそ彼女を大切にしたい。
無責任なことはできなくて、最後の最後で引き留めた松田と美月の理性が身体の交わりを
それでも罪悪感と背徳感の象徴でしかないあれはトイレに捨てるしかない。
松田は腕時計を見た。時刻は間もなく午前5時。2時間近くもこの場所に居たことになる。
『そろそろ戻ろう。早い奴はもう起きる頃かもしれない』
美月の手を引き、東側のエレベーターに向かう。
『そんな顔するなよ。離したくなくなるだろう?』
哀しげに松田を見上げる美月の髪を彼の大きな手がそっと撫でた。
「ごめんなさい」
『美月が謝ることは何もない。無理やり引き摺り込んだのは俺。……みんなが起きてきたら何があったかバレないようにするんだよ?』
頷く美月の背後でエレベーターの扉が開いた。美月がエレベーターに乗り込むのを見届けた松田は壁に背をつけて頭を垂らす。
『一度きりでも幸せだったから……』
後悔はない。もし後悔があるとすれば、純粋の結晶のような彼女を罪の一夜の共犯者にしてしまったことだけだ。
東側のエレベーターを降りて通路に出た美月は女子会員達が寝室にしているレクチャールームに入る気にもなれず、廊下の窓から夏の空を見ていた。
たとえ決定的な交わりはなくとも、体に残る松田のぬくもりは消えない。
罪の痕は消せない。消えない。
太陽が少しずつ顔を覗かせて空の色を変える。夏の朝焼けの空は切ない
(先輩……隼人……。ごめんなさい)
サイレントモードにしておいた携帯電話にメールの通知が入っていた。松田からだ。
――――――――――――――
俺はこのイベントで
ミス研引退だけど
卒業までは今まで通り
先輩後輩で宜しく。
それと彼氏以外の男の前で
哀しい顔は見せないこと!
泣くのは彼氏の前だけに
しておくんだよ。
でも何かあればいつでも話聞くから。
ひとりで抱え込むなよ。
――――――――――――――
「先輩……最後まで優し過ぎるよ……」
暑い夏に優しくて切ない恋物語
その物語の題名は〈人魚姫〉
episode2.人魚姫 END
→episode3.蝉時雨 に続く
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