1-7
合宿を終えて東京に帰って来た僕を杏奈が出迎えた。杏奈には合鍵を渡していたから、僕がいない間も彼女は金魚の餌やりの名目で僕の部屋に出入りしていた。
今夜も僕のベッドで杏奈は無邪気な寝顔を見せている。杏奈が寝入ったことを確認してベッドを出た。
眼鏡をかけ、デスクのパソコンの前に座る。電源を入れたパソコンの画面は青白い光を放っていた。
予備校のバイトの他に、僕はもうひとつ、誰にも内緒である仕事をしている。本音を言えばこの〈もうひとつの収入源〉の仕事さえあれば、企業に勤めて会社員をやらなくても杏奈を養っていける。
指がキーボードの上で踊る。やがて画面に現れたアルファベットと数字の羅列。
15%……40%……65%……80%……100%
[セキュリティ解除が完了しました]
解除完了の文字を見て一息ついた。パソコンのメール作成画面にURLを張り付けてある人物宛にメールを送信する。
これで今回の仕事は終わりだ。たったこれだけの仕事で30万円が貰えるなら、卒業後にサラリーマンをやるのが馬鹿馬鹿しく思えてくる。
マウスを動かして別のサイトを開いた。杏奈の父親が経営する桜井物産のホームページだ。
ホームページには社長である杏奈の父親の顔写真が載っていた。戸籍上は父親であっても彼は杏奈との血の繋がりはない。
サイトのどこをクリックしても表向きの企業理念や会社の詳細が書いてあるだけのつまらないホームページだった。やはり情報がないから一般閲覧用のページしか開けない。
僕にもうひとつの収入源である仕事を与えてくれる
Keyについては多くを知らない。顔も本名も性別もわからない。そんな繋がりがインターネットには溢れている。
Keyはもちろん相手のハンドルネーム、僕もネット上の名前でKeyと取引している。
「何してるの?」
目をこすりながら杏奈が起き上がった。暗い部屋の中で異様に明るいパソコンの光に彼女は目を細める。
『ごめんね。起こしちゃった?』
「ううん。パソコンやってたの?」
『ちょっとした調べもの』
素早く画面を切り替えてパソコンをシャットダウンした。間接照明をつけると室内が淡いオレンジの灯りに包まれる。
冷蔵庫から缶ビールを取り出した。ビールを飲む僕を杏奈が見つめている。
「一口ちょうだい」
『ダメ。未成年だろ』
「ええー。ちょっとだけ」
僕の服の裾を引っ張り、上目遣いに見上げる彼女は顔の前で手を合わせてお得意のお願いポーズをしていた。その顔に僕が弱いと知っていてやっているのなら、杏奈はとんだ小悪魔だ。
「じゃあ口移しでちょうだい?」
『口移しと普通に飲むのと、どう違うんだ?』
「違うよぉ。口移しなら先生とちゅーしただけになるからビール飲んだことにはならないよっ」
『すごい屁理屈だなぁ』
結局、いつも杏奈のお願いを聞いてしまう僕は我ながら彼女にだけは甘い。ビールを口に含み、杏奈にキスをした。杏奈の喉がゴクリと動く。
『……飲めた?』
「ん。……初めて飲んだけどビールって苦い」
ぺろっと舌を出す杏奈の表情が可愛くて、また口移しでビールを飲ませた。そのままベッドに倒れ込み、僕と杏奈はひとつになる。
季節は8月最後の一週間を迎えようとしていた。
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