4-10

 神奈川県警に呼ばれた警視庁捜査一課の上野恭一郎、原昌也、小山真紀は青木渡の死体が発見されたビジネスホテルの部屋に入った。

遺体は運び出されているがバスルームには飛び散った血痕が生々しく残っている。


『頭部を一発殺られてました。相手はプロです』


 神奈川県警本部の年配刑事から所見を聞いた上野は遺体写真を見た。

青木渡は3年前の静岡連続殺人の関係者だ。

当時の上野の印象では先輩であった木村隼人や渡辺亮の影に隠れていた青木は無口でノートパソコンを抱えた目立たない存在だった。


彼がカオスと関わりがあったとは思いもよらず、しかしそうなると3年前に浮上していた佐藤の協力者は青木だったと考えられる。


 他の刑事から話を聞いていた原が上野を呼んだ。原の手元にはビニール袋に包まれた青木の携帯電話がある。


『携帯とパソコンのデータがすべて消えていました』

『はい。パソコンはまったく動きません。携帯も一応電源は入るんですが、初期化の状態でデータは真っ白。携帯のSDカードも抜かれています』


 南明日香の時と同様だ。こんな芸当ができるのはハッキング能力に長けていると言われる犯罪組織カオスのスパイダーしかいない。


 ベッドや床からは染髪された毛髪が見つかった。テーブルに放置されたコンビニの袋には未開封の飲み物やインスタント食品と共に、封の開いたコンドームの袋があった。使用済みのコンドームはゴミ箱から発見されている。

青木の財布にある現金やカード類は手付かずだった。


 ホテルのスタッフの話では宿泊予約が入ったのは昨夜だと言う。男の声でシングルの部屋を二日間借りたいと電話があった。

電話の主が青木本人かはわからないと電話を受けたスタッフは証言した。


 青木が女を連れてチェックインしたのは午後7時頃。女は大きなサングラスをかけていて顔はよく見えず、見た目は20代くらいの派手な雰囲気の女だったらしい。


女の姿はホテルのどこにもなく、女がホテルを出ていくところをスタッフの誰も見ていなかった。


        *


 現場となった横浜のビジネスホテルを出た小山真紀は指定された横浜市内の24時間営業のファミレスに入った。

深夜だが都会のファミレスは賑わっている。すぐそこのビジネスホテルで殺人事件があったと言うのに呑気なものだ。


「いつも思うけど、あなたの情報の速さには驚くわ……。まさか私の携帯を盗聴でもしてるんじゃないでしょうね?」


奥の席に矢野一輝がいた。矢野は目玉焼きが乗った大きなハンバーグを食べている。

見ているだけで胃もたれしそうなボリュームだ。


『盗聴なんて素敵なことしなくても、マジシャン矢野くんの本職は鍵屋さんじゃなくて情報屋さんだからね。これくらい朝飯前』

「何の話? 鍵屋さんって?」

『こっちの話。それで青木渡、どんな感じだった?』

「私は遺体写真しか見ていないけど、頭を一発。確実に仕留めてる」


 物を食べながらする話ではないことは互いに重々承知している。遺体だの、仕留めるだの、ファミリーレストランでそんな物騒な会話をしているのはこの二人だけだ。


『カオスの上層部が始末したか』

「多分ね。それに青木のパソコンと携帯のデータが全部破壊されていた。カオスのいつものやり口よ。もうこの展開にはうんざり」


 真紀は店員を呼んでチョコレートパフェをオーダーした。矢野も追加のコーヒーを頼む。

オーダーを受けた店員が下がるまでの間に、矢野のハンバーグは半分も減ってしまった。


「青木はホテルに女と一緒に入ったらしいの。部屋から女の髪の毛が見つかってる」

『女って佐々木里奈?』


真紀は難しい顔でかぶりを振った。


「わからない。佐々木里奈だとしたら彼女が青木を殺して逃げたってことになる」

『佐々木里奈にそんなことができるのかねぇ。殺ったのはプロなんだろ?』

「それは間違いない。素人とは明らかに違うもの。佐々木里奈が銃の扱いに慣れていたとは思えないから、殺したのはカオスの上層部じゃないかって見方が有力」


 真紀のパフェと矢野のコーヒーが同時に運ばれてきた。矢野が完食したハンバーグの皿が下げられ、彼は水を飲んで一息つく。


「佐々木里奈を捕まえれば、一連の事件に青木がどこまで関与しているのかもハッキリする。彼女を重要参考人として手配することが決まったよ」

『佐々木里奈は必ず木村隼人の前に現れる』

「どうしてそう思うの?」

『マジシャン矢野くんの勘』


真紀は呆れた顔で吹き出した。

彼は先週から続くマジシャンネタが気に入っているようだ。矢野がマジックをするところを見たことがないが、キザなペテン師と言われると確かに見えなくもない。


「またそのセリフ? いい加減、聞き飽きたんだけど」

『聞き飽きるくらいに俺と一緒にいるってことだろ?』


 矢野が手を伸ばして真紀の口についたパフェのチョコクリームを指で拭う。放心状態の真紀はクリームのついた指を官能的に舐める彼を見つめていた。


『おお、これが真紀ちゃんの味か』

「……ばっかじゃないの!」

『ご馳走さま』


満足げに微笑む矢野を見ていると無性に恥ずかしくなってきた。


「ご馳走さまじゃない! 変態!」

『照れてる真紀ちゃん、かーわーいーいー。なんでそんなに照れてるの? 俺は口についたクリーム舐めただけだよ? 真紀ちゃんを食べたわけでもないのに』

「いやらしいこと言うな! アホ! 変態! ハゲ!」

『変態は事実だけどハゲは酷い……まだこんなにフサフサしてるよ……』

「変態も否定してよね!」


 他愛のない会話を繰り返す夜が楽しいと思えることを、人は“幸せ”と呼ぶのだろう。

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