3-2
上野恭一郎は浅丘家のリビングのテーブルに一読した手紙を置いた。手紙はデジタルの文字で書かれており、感情の読み取れない淡々とした文章だった。
向かいに座る美月が上野を見据えている。
「上野さん……この手紙に書いてあることは本当なんですか?」
『本当だよ。確かに佐藤瞬はある反社会的組織に所属していた』
「それがカオスって組織なんですね?」
ついに美月に話す時が来てしまった。佐藤のこと、犯罪組織カオスのこと、貴嶋佑聖のこと。
『美月ちゃん。今から俺が言う話は君には信じられないことかもしれない。でも最後まで聞いてほしい』
「……はい」
『お父さんとお母さんも、聞いていてください。ただし、ここでの話は他言無用でお願いします』
上野はリビングにいる美月の父と母にも目を向けた。彼女の両親は神妙に頷いた。上野は居住まいを正して、何から話そうか思案していた。
『まず、犯罪組織カオスについて話さなければいけないね。カオスは約40年前に創られた犯罪組織だ。創設者は
美月も、美月の両親も無言で上野の話を聞いている。上野は美月に焦点を合わせた。
『辰巳にはひとり息子がいてね。辰巳の死後は息子が組織のトップを引き継ぎ、現在に至っている。カオスのトップは“キング”と呼ばれているんだ』
「キングって……」
『3年前、君は“キング”に会っている。彼の名前は……』
「“きじま ゆうせい”、ですよね?」
上野は驚いた。どうして美月が貴嶋の名前を知っている?
うつむいた美月は隣にいる両親の視線を気にしながら、とつとつと語る。
「ごめんなさい。上野さんにずっと黙っていたことがあって。私、あれからまたキングに会っているんです」
『またって……3年前の冬にもう一度会ったとは聞いているけど……』
「その後に、もう一回。高校三年の夏休み……予備校の帰りに雨宿りをしていた時にキングが迎えに来てくれたんです。その時に名前を教えてもらいました」
『貴嶋は他に何か言っていた?』
「私が大学生になったらまた会おうって……。キングともう会えなくなるのは私も寂しかったから、大学生になったらまた会えるのかなぁって、ちょっと楽しみだったりしてたんです。でもそのキングが……犯罪組織の?」
ひどく動揺する美月の肩に母の手が置かれた。
上野は貴嶋との直接的な面識はない。貴嶋の人柄は彼の高校時代の友人だった早河の証言だけを頼りにしているが、犯罪組織を率いる男が何故、当時は高校生だった一般の少女にここまでこだわる?
『貴嶋はカオスのキングだ。そして貴嶋の部下が佐藤だと俺は考えていた。この手紙でそれがハッキリしたよ』
「じゃあ本当のこと? 全部……」
『君には思い出させてしまって酷だが、3年前に小説家の間宮さんが佐藤に殺されたよね。あの殺害は貴嶋が佐藤に命令して殺させたんだろう。間宮さんはカオスの内情を探っていたようだ。間宮さんの死後に発表された遺作の小説にはカオスと思われる犯罪組織も登場している』
間宮の遺作【混沌の帝王】ならば美月も発売当時に読んだ覚えがある。あの小説は間宮の作品の中ではあまり好きにはなれなかった。
『佐藤の殺害も貴嶋が部下に命じたんだ。佐藤を殺したのは彼の口から組織の情報が漏れるを防ぐためだろう。貴嶋が殺した人間の数は計り知れない。奴は平気で人殺しをする犯罪者だ』
「そんなの……そんな簡単に人を……佐藤さんを……」
美月の声は嘆きと涙を含んでいる。彼女の目からポタポタと、涙の雫が落ちた。
できれば美月に真実は伝えたくなかった。佐藤の正体や貴嶋の素性を何も知らずに、3年前の出来事を思い出すこともなく、平穏に過ごしてほしかった。
「佐藤さんは悪い人なんですか? 確かに佐藤さんは人を殺したけど、でもそれは彩乃さんを亡くしたことがショックだったから……。佐藤さんにはああするしかなかったんです」
美月の言葉の端々に佐藤への想いが溢れていた。今が幸せでも、他に愛する人がいても、過去に愛したあの時間は永遠だ。
美月と佐藤は愛し合ったまま、この世とあの世で離れ離れになってしまった。
『3年前に君は俺に言ったよね。“どんな理由があっても人を殺すのはいけない”と。美月ちゃんにはいつまでもその気持ちを持ち続けてもらいたい。君を大切に想ってくれる人達の為にもね』
美月の父は難しい顔つきで腕を組み、母はすすり泣く娘を抱きしめている。
「ただいまー」
玄関から元気のいい声が聞こえた。美月の7歳下の妹の希美だ。学校の体操着姿の希美は泣いている姉を見て驚いていた。
美月に早く元の穏やかな日々が戻ることを願って上野は浅丘家の門を出た。
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