1‐5

 ――黒百合の花言葉〈呪い〉には黒百合伝説と呼ばれる伝説が由来している。


戦国武将、佐々成政には早百合と言う名の美しい側室がいた。しかし早百合は密通をしていると噂を流され、激怒した成政に殺されてしまう。

彼女は呪いの言葉を残して死んだ。

「立山に黒百合が咲いた時、私の恨みであなたを滅ぼしましょう」――


        *


 美月は友人達とキャンプを楽しみ、柴田があきる野市内のビジネスホテルにチェックインした5月4日の午後9時。

ゴールデンウィーク真っ只中の夜の新宿。クラブの店内は淫らで妖しげな光を纏っている。


『君、ひとり?』


 クラブの隅で飲んでいた明日香は若い男に声をかけられた。細いフレームの眼鏡をかけた知的な印象の男はこの喧騒の世界には不似合いに思える。

しかし知的なだけではない、独特の妖しさを感じる男だった。


 柴田に送ったメールの返信が来ないことに彼女は苛立っていた。大阪に出張だと嘘をついて柴田は今どこにいるのか、何をしているのか、気になって仕方ない。

男と何度か言葉を交わし、明日香は今夜の遊び相手をこの男に決めた。この苛立ちを鎮めるには別の男で埋めるしかなかった。


 クラブを出てそのまま近場のホテルへ。シャワーも浴びずに明日香は男の唇に吸い付き、二つの身体はベッドに沈んだ。

なかなか男だった。明日香が最近遊んだ男の中ではテクニックが断トツだ。この男とは身体の相性がいい。


 最後は後ろから突かれて果てた。男のテクニックに骨抜きにされた明日香は枕に顔を突っ伏して肩で息をしている。


「あなた、かなり遊び慣れてるでしょ」

『そういう明日香ちゃんもね』

「ね、お掃除してあげる」


射精したばかりの男のモノを明日香は躊躇なく口に咥えた。付着する体液をペロペロと舐め、しゃぶり尽くす。


「何してる人?」

『何してる人に見える?』


 頭上から聞こえる低音の声が心地いい。

明日香は男のモノから口を離して上目遣いに彼を見た。外していた眼鏡をかけた男の顔をまじまじと眺める。


「サラリーマンには見えない。大学生?」

『そうだね。パソコン叩いてる人かな』

「なにそれぇー」


 名前も知らない男との会話が楽しかった。今夜の相手はアタリを引いたようだ。

掃除を終えて元気を取り戻した男のモノが再び明日香の中に入ってきた。続きをするともしないとも言わず、暗黙の了解で行為が再開される。

明日香が下になり、男が明日香の上で揺れている。


『明日香ちゃんは大学生?』

「高校生だったらどうする?」

『それはさすがにヤバいなぁ。でも大学生でしょ?』

「うん。もうすぐハタチ」


二人の息が上がってきて、会話も途切れ途切れになる。二度目の射精の後、今度こそ二人はベッドに倒れ込んだ。


『大学楽しい?』

「ぜーんぜん楽しくない。ムカつく女がいるんだよね」


 情事の余韻が残るけだるい身体で、だらだらと続ける意味のない会話。

男が相槌を打って話を聞いてくれるのをいいことに明日香は柴田と美月の愚痴を語り始めた。今日初めて会ったばかりの人間にしか話せないこともあるものだ。


『先生の手帳からその女の写真がねぇ』

「学校にいる時の写真や道を歩いている時のとか……」

『うわぁ盗撮じゃん。その先生、明日香ちゃんが嫌いな女のこと好きっぽいね』

「嫌! そんなの絶対に嫌! あの子に先生は渡さない。私は先生がいないと生きていけないの。あんな子にはあげないっ!」


激しくかぶりを振って激昂する明日香を見て男は苦笑し、ベッドを降りた。


『その女のこと相当嫌いなんだな』

「嫌いよ。浅丘美月なんて大っ嫌い」

『……浅丘美月?』


 冷蔵庫で冷やした缶ビールに手を伸ばした男は美月の名前に反応した。彼は冷蔵庫から二本取り出したビール缶の一本を明日香に渡してベッドに腰掛ける。


『明日香ちゃんが嫌いな女って美月って名前なんだ?』

「うん。満月の夜に産まれたから美月なんですぅーって可愛いこぶって自己紹介で言ってた。ホントにうざい。消えればいいのに」


 プルトップを乱暴に開けてビールを呷る明日香の横で彼は記憶の海に潜る。

スズキやタナカならともかく、アサオカと呼ばれる苗字はそれほど多くない。さらに下の名前がミツキとなれば、ひとりだけ彼の記憶に残っている女がいる。


(ひょっとして浅丘美月か? 明日香が今年ハタチってことは年齢を考えるとそうなるよな)


『明日香ちゃんて大学どこ?』

「明鏡大」

『良いとこ行ってるね』

「別に行きたくもなかったんだけど親が世間体のために行けって言うからさぁ。そういう親なの」


 明日香の話は美月の話から親の愚痴に切り替わり、男は話を聞くフリをしながら別のことを考えていた。酔いが回って赤い顔をした明日香と彼はキスを交わす。


「また会いたいな。あなたのこと気に入っちゃった」

『俺もだよ』

「名前……まだ聞いてなかった。教えて?」

『……わたる』

「わたるくん?」

『呼び捨てでいいよ。明日香』


 明日香との出会いが青木渡の心の奥でくすぶっていた悪魔を目覚めさせた。明日香を部屋に残してシャワーを浴びる青木は雫の滴る髪を掻き上げてほくそ笑む。


(まさかここで浅丘美月の名前を聞くことになるとはな。久しぶりにしてみるか)


 彼の顔は悪意に満ちていた。


        *


5月24日(Sun)午後10時


 自宅にいた明日香の携帯電話がメールの着信音を鳴らした。アドレス帳登録外のメールアドレスは明日香の知らないアドレスだ。


 件名は〈ageha〉、アドレスのドメイン名にもagehaが使われていた。迷惑メールかもしれないと読まずに削除しようとした明日香の指が削除ボタンの寸前で止まる。

メールの内容が気になった。本文を読むだけならばコンピューターウイルスに感染することもないだろう。

削除をキャンセルして本文を開く。


 ――〈南明日香様、初めまして。agehaと申します。〉

その一文で始まったメールには写真データが添付されていた。


「なんなの……どうして……?」


 添付された写真データには柴田と浅丘美月が写っていた。ラブホテルとおぼしき看板の側を二人が腕を組んで歩いている。

本文の末尾に綴られた呪いの一文。


 ――〈南様。浅丘美月を破滅させたくないですか?〉


 魅惑的な呪いの言葉が明日香の脳内を占拠する。破滅?浅丘美月を?

気付いた時には返信設定にしたメール画面に文を打ち込んでいた。


 ――〈agehaさん。どこの誰だか知りませんが何が目的ですか?〉


すぐにagehaから返信が来た。


 ――〈私も浅丘美月に恨みを持っている者です。南様、私と手を組みませんか?〉

 ――〈手を組む?〉

 ――〈柴田雅史はあなたの嫌いな浅丘美月を愛している。写真を見ておわかりでしょう? 二人はこのホテルで愛し合ったのです。浅丘美月は男を手玉にとる悪女ですよ〉


耳を傾けてはいけない悪魔の囁きが明日香の思考を浸蝕しんしょくする。


 ――〈あなたの大好きな先生を寝盗ったあの女が憎いでしょう? あなたが嫌いな浅丘美月を抱いたあの男を許せますか?〉


憎い。許せない。憎い、許せない。二人とも……許せない。


 ――〈浅丘美月と柴田雅史、二人を裁くお手伝いをさせてください〉



 それから4日後の5月28日午後4時、明鏡大学構内で事件は起きた。



第一章 END

→第二章 毒牙 ‐ロベリア‐ に続く

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