第六章

第六章

水穂と慶介君は、道路を歩いていた。慶介君がどうしても見せたいものがあると、言い出したからである。本当は、少しばかり疲れてしまったなと感じていた水穂だが、慶介君は気が付かなかった様だ。

暫く道路を歩いた。本当にこの町は小さな町で、何もないという表現がまさしくふさわしく、商店街もないし、コンサートホールもないし、図書館の様な建物もなかった。道中で、人が住んではいないのではないかと思われる、手入れのされていない家に、何回も出くわした。

「どこまで行くんですか。」

水穂は慶介君に聞いた。

慶介君は答えない。答えないというか、答えられないのだ。でも表情はにこやかに笑ったままなので、それ以上聞かないほうがいいのかなとおもった。

しばらく行くと、ちょっとした食堂などが連なっているところに来た。多くの店が閉店してしまっているが、わずかばかり、営業している店もあった。八百屋さん、果物屋さんのような食べ物を売っている店が多いような気がする。そして、その周りには水田もあるのだが、ほとんど手入れされていないような状態で、文字通り、草ぼうぼうであった。所どころに、公共の建物と見られる大きな建物もあったが、すべて人は入っておらず建物だけが残されていた。たぶん、これは鉱山町で、炭坑があったころは盛んに使われていたのだろうが、閉山した今は、使い道がないのだろう。費用が足りないとかで、取り壊すことも出来ないんだろうな。もしかしたら取り壊す業者も撤退してしまったのかな。そんなことを考えながら、水穂は慶介君と一緒に道路を歩いた。時々慶介君はメモを渡した。それによると今回の外出の目的はちゃんとあるらしいのだが、其れは、教えてくれなかった。慶介君はメモに、自分のことをいろいろ書き込んでいた。高校を出て、東京の会社に勤めだしたら、東京の人たちから、鉱山町の出身として大笑いされたこと。ほかの社員と差別的に扱った上司の事。書き出したらきりがない。水穂は歩きながら、それを読んで、返答をすることを強いられた。道路でそんなことをするなんて、危ないじゃないかと思われたが、この地域は、大変な過疎地域であり、クルマなんて全く走っていなかったのである。

暫くいくと、今度はものすごく空気が悪くなってきて、何だか周りが矢鱈ほこりっぽくなってきた。そうなると、水穂もあるくのが苦しくなってくる。それに気が付いた慶介君は、ちょうど近くにあったちいさな公園に水穂を連れていった。公園というものがまだ残っていただけよかったと言える。でもその公園も、もうボロボロで、遊具はすべてさびていた。もしかしたらやたらに遊んだら危険なのではないかと思われるくらいだ。慶介君は公園の端にある、大木の下の小さなベンチに水穂を座らせた。大木は、柳の木だ。二人が座ると、柳の木は、二人を歓迎するように枝を鳴らした。

ベンチに座って、前方を眺めると、少し離れたところに、砂山のような山が立っていた。その周りにはいくつか住宅も見られたので、一寸不自然な風景でもあったが、これは炭鉱で坑道から石炭を採掘するときに、不用品として出る粉を捨てていた場所だ。それがたまりすぎて山の様になっており、いわゆるぼた山とかずり山と呼ばれているものだなとすぐわかった。多分、ほこりっぽいのはそのせいなのだろう。炭鉱自体は、閉山されて、今では解体されているが、このぼた山をどうするかについては、まだ決着がついていないので、ぼた山だけが残ってしまっているのである。そういえば、最近もさほど大規模というわけではないのだが、ぼた山崩落事故というのがあったと聞いている。

それにしても、空っ風が吹いてくるせいか、本当に空気がほこりっぽくて、水穂は時折咳き込んでしまうのだった。慶介君は、自動販売機を探してくれたけれど、どこにもなかった。前述した通りクルマだって走っていないのだから、コンビニも何もないのである。慶介君が、八百屋さんに聞いてみましょうかと紙に書いて、水穂に渡そうとした丁度その時、水穂は、激しく咳き込んで、ベンチから落ちてしまったのであった。

急いで慶介君は口の周りに付いた吐瀉物をハンカチで拭き、水穂をよいしょと抱え上げて、元来た道をかえっていく。本当は病院に連れて行く方がいいのだが、この地域には病院というものはクルマで一時間以上かかる所にいかないとない。それに慶介君は運転免許を持っていない。だから誰か免許を持っている人を探すしかない。

慶介君は、杉三が掘立小屋と言っていた増毛駅の近くまで戻ってきた。丁度、駅の近くでマッサージを営んでいたあの高橋というおじいさんが、草ぼうぼうになっている駅の周りの草刈りを行っていた。

慶介君が、おじいさんの肩を逼迫した様にたたくと、おじいさんはすぐに気が付いてくれた。どうしたの?というまでもなく、咳き込んでいる水穂を見て、これは大変だと、すぐに自宅へ戻って、奥の畳の部屋に布団を敷いて、水穂を寝かせてくれた。止血薬と言われる漢方薬を机の引き出しから取り出して、水穂に飲ませたら、楽になってうとうと眠っている。

手当てして下さってありがとうございましたと、慶介君が紙に書いて、其れを高橋さんに渡すと、高橋さんは、一寸不思議そうなというより、変な顔をした。

「どうも変だね。いまだにどうしてここまでひどくなる人が出るんだろう。昔炭坑が流行ってた時は、働き過ぎと不衛生でこうなる人はたまに出たんだけど。」

もしかしたら、それに対処する治療もなかったというのも、原因の一つなんだろうが、確かに、これだけ医学の進歩した時代、こうなるのは確かに珍しいのであった。

「まあ、其れじゃなくて、また違うのかもしれないからな。」

と、高橋さんはすぐに考え直してくれた。慶介君が病院に連れて行った方がいいかと紙に書きかけたが、もうこの時間だと病院の診療時間はとっくに終わってしまっている事を思い出す。人がたくさん住んでいないからって、これはある意味病院も、住民をバカにしているのではないかと怒りも感じられた。

そんなことを思いながら、慶介くんが、水穂さんをずっと見つめていると、

「君は確か、あの久保さんとこの、慶介くんだったよね。」

高橋さんは、そんなことをいいだした。慶介くんが、はい、と、声は出せずに頷くと、

「なになに、東京の会社にはいって、いじめられたの?」

高橋さんは、おいてあった筆談ノートをとって、いつの間にか読んでいた。

「あ、ごめんね。勝手に読んだりして。でも、これからまたいじめられることがあれば、君たちは、過密なところで暮らしているから、こんな過疎の町の暮らしなんかわかるまいと大きな声でいってやれ。大丈夫、大きな声は、出そうと思えば、いくらでもできるから。ただし、出そうと思わなきゃだめだよ、ほんとに、その気にならないと、体は応えてはくれないさ。」

高橋さんはにこやかにいった。慶介くんはポカンとして高橋さんを見つめている。

「なるほど、君は上司に、田舎から来たバカなりに努力しろと言われて笑われていたのか。そんなこと気にするなと言われても仕方ないよな。」

高橋さんは、そう、若い人には言いにくい話を始めた。

「気にしないでいいと言われても、大変だろうから、田舎で苦労したことをタップリ聞かせてやろうじゃないか。ここに書いてあるけれど、一日に七本しか電車が走っていないことをバカにされたのなら、電車は走っていないが、その代わり歩いて何処へでも行けるのだと言ってやればいい。町の中をバスが走っていないことを非難されたら、ここにはたくさんの自然もあるし、うまいものも一杯ある。住みにくいところだが、それに頑張って耐えて住んでいると言ってやれ。留萌は決して悪いところじゃないから。そんなことで、自信を無くさないでほしいな。」

慶介君は小さくなっている。

「わしはな、炭坑がこの町に開山したすぐのときからいるんだけど、炭鉱があったときは、鉱山の町として、全国津々浦々から、炭鉱夫さんが、集まってきたよ。当然、炭鉱夫さんたちは、奥さんがいて、子供さんがいる人が多いから、いろんな年齢の子供さんがいたよ。だからすぐに子供同士で仲良くなって、一緒に遊んだりしたもんだ。家同士を往復してご飯を食べさせたりして貰ったこともあった。だけどねえ、30年くらい前かなあ。急に炭坑が相次いで閉山してしまってね。みんな仕事がなくなって、もうどんどん炭坑から離れてしまったんだ。本当は、友達と別れたくなんかなかったのにねえ。それでは、寂しくてしょうがなかったけど、まあそれはもう仕方ないと思った。働かなければ誰でも、生活できないという事は、そこで初めて知った。」

高橋さんはにこやかに言った。

「まあねエ、人生は本当につらいこともあるけどさ。それは、何時の時代もあるんだよ。そういうときは、辛いかもしれないけどさ、頑張って耐えることだな。ただ、絶対にしてはいけないこともある。それはね。」

高橋さんは、其れだけは守ってほしいという感じで言った。

「一人でなんでも抱え込んだり、一人で解決しようとすることだ。人間、一人では、絶対解決何て出来ないんだから、一人で抱え込んだりすることは絶対いけない。」

慶介君は、しずかに続きを紙に書いた。

「何だって、そういう人はどこにもいないって?嫌だなあ。わしは何のためにお宅のとなりの家に

住んでいるのだろうなあ?もう、都会とはそこが違うだよ。身近に気にかけてくれる人がいること。

都会なんて、人がいるようで実はいないでしょう。それでは、絶対にやっていけないと思うよ。変な事件が都会で多いのもそのせいじゃないかと思っている。そういう人が必要って事を、都会の人にアピールしてやらなくちゃ。それが人間にとって一番大切ではないかと思うから。」

一生懸命礼をしようとするが、慶介君はどうしても声を出せなかった。金魚みたいに口が動くが、どうしてもありがとうと声に出して言えない。

「いいよいいよ。今は出来なくても。いずれはしゃべれるようになろうな。」

高橋さんはポンと肩をたたいた。

「ほら、お母さんに連絡しなさい。もうすぐあの人も目を覚ますよ。」

急いで慶介君は、スマートフォンを取る。いつの世の中も人って暖かいなあと思いながら。

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