第五章
第五章
その翌日。
「ほんとにいいの?車で行かなくてもいい?」
たか子は杉三に聞いた。
「ああ、気にせんでくれ。僕はクルマというものはちょっと苦手でして、こういう,、電車のほうがいいんだ。それに、電車のほうがまた面白いものがあるからさ。気にしないで行ってください。」
にこやかに笑って、そういう杉三。でも、本当は、過去の嫌な思い出もあり、たか子には車のほうがいいのだったが、杉三は平気な顔をして、例の草ぼうぼうの駅舎にはいっていった。
増毛駅は、無人駅だ。ただ、思ったほど段差はなく、ホームも非常に低い高さであるので、ちょっと努力すればホームに気がるに入ることができるようになっていた。無人駅であるので駅員はいない。そのため、切符は電車内で、買うことになる。切符の自動販売機もないし、自動改札機も設置されていなかった。
ホームには誰も人はいなかった。とりあえず、たか子が、電車の時間を調べて置いてくれたため、あと15分くらい待てば、電車がやってくる時間になるのだった。
「それにしても何もない駅だな。」
そう杉三は、感想を漏らした。本当にこの駅はただ、コンクリートの低いホームがあるだけで、それ以外何もない。自動販売機もないし、お客さんが待つための椅子もない。
二人は、そこで電車を待った。時刻表と駅名標は置かれていたが、それもボロボロにさびて文字が消えかかっていた。たか子は、とりあえずほかにも乗客はいるだろうと予測していた。その客に杉ちゃんを乗せるのを手伝ってくれと頼もうかと考えていたのだ。しかし、乗客は誰もいないので、どうしようと少し焦った。一方杉ちゃんのほうは、何も言わないで、にこやかにしている。そこが彼女にはもどかしかったのだが。
それにしても、この駅は、本当に、掘っ立て小屋のような駅舎と、盛土のようなホーム、それしかない。終点駅なので、電車をしまう車庫すらない。すべての電車は、この駅で折り返し、起点の深川駅まで戻る設定になっているのだ。
駅内アナウンスすらならず、不意にガタンゴトンと音が鳴って、くたびれた感じの一両電車が、増毛駅にやってきた。いつか乗った、あの久留里線の駅よりも、もっとくたびれた、年老いた老人が船をこいでいるのと同じくらいのスピード。それくらいくたびれた電車だった。
電車はホームに入って停車した。たった一両しかない小さな小さな電車で、中に乗客は一人もいない。これでは、杉ちゃん乗せられない、やっぱり車のほうがいいわ、と言いかけたその時、中年の運転手が、電車の中から出てきて、
「あ、お客さん、乗っていかれますか?」
と声を掛けた。
「は、はい。」
たか子が思わず、そう答えると、
「わかりました、今、車いす用の渡坂出しますので、ちょっと待っててね。」
と、運転手は、そういって、運転席から車いす用の渡坂を出してきてくれた。そして、一番前のドアを押しボタンで開けてくれて、杉三を、電車の中に乗せてくれた。たか子は、それに合わせて電車に乗り込み、ロングシート座席の端に座った。
「えーと、お客さんは、どちらまでですか?」
運転手がそう聞いてきた。この電車は、電車というより路線バスのようなシステムになっていて、電車に乗るときに整理券を受け取り、運転席近くの運賃表で、整理券の該当する番号の運賃を確認し、下車するときに運賃箱に払っていくようになっている。スイカなどの、ICカードは、使用することができないらしい。杉三たちは、運転手から、整理券を貰った。
「もう一度聞きますが、どちらまでですか?深川?」
と、また聞いてくる運転手。なんだかうるさいなと思ったたか子であるが、そうか、降ろすときにまた渡坂が必要だからだと考え直した。それも運転手が聞いてくるなんて、そうなると、ほぼすべての駅が、無人駅であることがわかる。
「留萌駅までだよ。」
たか子より先に杉三が言った。
「わかりました。じゃあ、留萌駅に着いたら、降ろしてもらうように、連絡しておきます。」
と、わざわざスマートフォンまで出して、連絡を始める運転手。一般的に言ったら、駅員同士の連絡はトランシーバーでやるものであるが、この路線ではそれすらないようである。
とりあえず、留萌駅には、駅員がいることがわかって、たか子は少しホッとする。
運転手は、スマートフォンをきって、カバンの中に入れた。
「よし、発車時刻になりましたので、行きますよ。」
と、運転手がそういって、電車のドアを閉めた。電車というか、キハと呼ばれるいわゆる気動車であり、首都圏をついーと走っているりっぱな電車とは程遠いスピードの田舎電車だった。ああ、どうしてこんなにのろいのか、たか子はちょっとイライラする。快速とか中央特快とかそういう優等列車も全くなく、すべて各駅停車しかない。その駅も、駅というより、まさしく掘っ立て小屋にOO駅と書いてあるだけではないかと思われる建物ばかりであった。
白状すると、たか子は、こんな田舎電車なんて乗りたくないとおもった節がある。北海道へ嫁いだのは良いものの、まさかこんな過疎地域にやってくるとは思わなかった。増毛なんて、変な名前の町名を有する町ではなく、せめて札幌とか人の多い街に住みたかった。何しろ自分の家の周りなんて、何何軒か家が建ってはいるけれど、住んでいる人がいない家がどんどん増えていく一方で、人が住んでいる家は、駅の近くでマッサージ治療院をしている、高橋さんの家だけである。その高橋さんだって、かなりの高齢であり、いつ倒れるかわからないから、そうなったら、あたしたちはどうしたらいいのか。そればかり、考えてしまうのであった。
暫く走って、電車は朱文別駅というところで止まった。それまで人は乗ってくることもないし、降りることだってなかったが、
「おい、人が乗って来るぞ。」
と杉ちゃんが、言う。たか子がはっとして、外を見ると、80歳くらいのおじいさんが、よいしょと言いながら乗ってきた。過疎地域なのに、たか子は、おじいさんの名前を知らなかった。
「こんにちは。」
杉三はすぐに声を掛けた。たか子はなんだかタクシーに相乗りしているような、そんな恥ずかしい気がしてしまった。おじいさんが整理券を受け取って、たか子の隣に座ると、またがったん!と音を立てて、電車は走り出した。
「おう、車いすなのに、観光旅行なんて、物好きだねえ。あ、一緒に乗っているのは、久保さんのお嫁さんかな。」
おじいさんは、にこやかに言う。たか子は、答えが出なかった。
「その通り。僕は影山杉三。杉ちゃんって言ってね。宜しくお願いします。」
「おう、わしは橘です。橘平蔵、宜しくね。」
杉三が自己紹介すると、おじいさんがそう名乗ってくれたので、ああ、朱文別駅の近くに住んでいる、橘平蔵さんだったのかと考え直す。確か、駅の近くに広い土地を持ち、大きな農場をやっていたはずだ。
その橘さんが、なぜ、こんな電車に乗っているのか。たか子は疑問に思う。
「杉ちゃんはここに観光旅行に来たのかい?ここでは観光客もめったに見かけないし。」
「おう、ここでの、名物を買いに行くのさ。このたか子さんに、案内してもらってな。何か名物をしらないか?」
杉三がそう聞くと、
「ああ、名物ならぜひ留萌の数の子を食べてもらいたいなあ。この留萌は数の子がおいしいんだよ。」
と橘さんは答えた。
「ほう、数の子か。それは良いな。じゃあ、それを買っていくよ。ヒント教えてくれて、ありがとうな。嬉しいな。」
と、嬉しそうに言う杉ちゃん。その顔はいかにもうれしいという顔をしている。
「あの、橘さん、どうして電車なんかに乗っていくんですか?」
たか子は、今まで黙っていた疑問をやっと口にする。
「ああ、運転免許証を自主返納してさあ。もうすぐ80になるから、自主返納しろしろって、東京にいる娘がうるさくて。」
と、橘さんは答えた。
「へえ、自主返納したんですか。」
たか子がオウム返しに返すと、
「そうだよう。だから毎日この電車で、買い物行ってんだけどさ、とても不便で不便で仕方ないのよ。だって、今乗ったので留萌に行ってもさ、帰りの電車は、二時間以上待たなきゃいけないもの。だから必ずどこかの定食屋で昼飯を食べることになって、もう大変。」
と、橘さんは答えた。
「そうよねえ。ここでは車がないと、留萌の町にはいけないですもんね。」
「何だ、電車があるから大丈夫じゃないの?」
杉三が、そういうと、橘さんはうーんという顔をする。
「だけどねえ。電車がもうちょっと、本数があればいいのですが、もう一日七本しかないとなると、最悪ですよ。もう乗る人もいないし、誰が使うんだこの電車って、感じですよね。この留萌の町へ行くにしても、これでは不便すぎますよ。もう70であれ、80であれ、車はなくちゃいけませんよ。」
「いやいや、そうじゃなくて、そのために電車があると思わなきゃ。少なくとも、電車さえあれば、留萌まで連れて行ってくれるんだからよ。たとえ次の電車が二時間後であろうと、乗せてくれるんだからありがたく思わなきゃ。もし、二時間待たされるのが嫌だっていうんなら、留萌には公園とかそういう自然を感じられる場所はないのかい?そこでゆっくり、風を感じて少し歩いてみれば?」
「あら、面白いこと言うねえ。本当に。」
意外なことを言われて、橘さんは面白そうな顔をした。
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