第四章
第四章
「さ、とりあえずお茶入れますから、なかに入ってください。」
たか子さんに言われて、全員、中に上がった。静岡の家とは違って、ずいぶんちいさな家だけど、綺麗に整理されていて、車いすでの移動は間違いなかった。
「さあどうぞ。」
とりあえず、狭いけれど居間に入る。二人は、小さなちゃぶ台の前に座らされた。お茶を持ってきてくれた、慶介の左手首には、包丁で切った跡があり、多数見られる様な痕跡も見受けられた。
「お前さんはずいぶんやってるの?」
その傷後を見て、杉三はそう質問した。とりあえず、湯飲みを杉三の前において電話台の横にあった、メモ用紙を取る。
「あ、悪いけど、僕は字が読めないので、ちゃんと口で言ってちょうだいね。頼むぜ。」
杉三がはにこやかに笑ってそういうが、慶介は困ってしまった表情をした。
「おい、お前さんは、本来口が聞けないという訳ではないだろう。それなら、無理をしてでも、口を開ける努力をしてください。」
まあ、本来失声症の代表的な症状はそういう事である。ストレスで声を失った状態なので、それを取り除けば、声は戻る、というメカニズムである。でも、それで良いのかというと、単純なことではない。
「あ、そういう事なら。」
不意に、水穂が静かに言った。
「慶介さん、メモに言いたいことを書いてくれれば僕が読み上げて、通訳しますから。」
「なんだよ。そんなに甘やかして、それじゃあいけないじゃないかよ。」
と、杉ちゃんは言ったが、水穂は、初めて会ったばかりだし、まずは彼の望んだとおりにしてやろうといった。これを聞きつけた慶介君は、水穂に早速メモを書いて、彼に渡した。
「何て書いてあるんだ?」
へたくそな字ではあるけれど、次のように書いてあると水穂は読み上げた。
「通訳ありがとうございます。どうしても、今の時点では、口に出して言えないので、申し訳ないです。」
「なんだ、きれいにしゃべれるじゃないか、声に出してしゃべれないという訳か。」
杉三が言うと、
「しょうがないでしょうが。そういう症状があるんだったら、そうするしかないでしょう。医学的にいったら、緘黙という症状になるんだよ。杉ちゃん。」
水穂は静かに言った。
「だ、だけどねエ、何でも症状としちゃうのはどうかと。」
杉三は一般的なことをいったが、
「杉ちゃんだって、失読症という症状になるんだよ、其れと一緒。」
水穂に言われて、はいよ、一度は黙った杉ちゃんであるが、
「僕は何とか症というかっこい名前をもらうほど、高い身分ではないのだから、そういう言い方はしないでください。僕のことについては、ただのバカと言ってくれ。」
と、でかい声でいった。
「そうなのねエ。いまだったら、トム・クルーズとか、オーランド・ブルームとか、そういう人たちと一緒と言えば、今だったら割と認識されてきているんじゃないの?実際、日本でも、大っぴらに読み書きできないとアピールして活動している人もいっぱいいるし。」
たか子さんがそういうと、
「いや、バカは何時まで経ってもバカのままさ。馬鹿を商売にするのはちょっと好きじゃないなあ。馬鹿を商売にするのは、金持ちのすること。一般的なバカは風来坊のままでいい。」
杉ちゃんはにこやかに笑った。慶介君は、このやり取りを、おもしろい人物がうちに来てくれたという顔で見ている。たか子さんはそんな慶介を見て、これでちょっと慶介も前向きになってくれるかなという顔をした。
「おい、どうせならよ。どっかに買い物にでも行かない?どうも僕は、こういう狭苦しい家の中にいるのは好きじゃないのよ。僕は読み書きは出来ないが、買い物は大好きさ。」
と、お茶をガブッと飲み干して、杉ちゃんが言った。
「もしよかったら、ここら辺の民芸品とかそういう物売っている店はないかな?僕、旅行先の名物とかそういうの買うのが大好きなんだ。どっかにそういう物売っているところない?」
「そうねえ。あるにはあるんだけど、留萌の駅近くまで行かないとないわねえ。」
と、たか子さんが言った。
「あるんだったら、一寸行ってみてもよろしいでしょうか。あると言われれば、行きたくなっちゃうのよ。」
杉三が、たか子さんの発言にすぐに行ってみたいと言い出した。
「そうねえ。それはいいけど、留萌の駅近くまで行かないと。ちょっと今日は遅いから、明日行ってみましょうか。明日朝すぐに車を出すわ。ここでは、なんでも車を出さなきゃいけないのよ。それに、大きな店も、留萌まで行かないとないし。」
「そうだねえ、どうせなら、役に立たない電車に乗ってみたいな。」
へへん、という顔で杉三が言った。
「まあ、あんな電車には乗らないほうがいいわよ。どうせ、一両しかないし、一日七本しか走ってないから、帰りの電車を探すのに、二時間以上かかってしまう時もあるのよ。それに、スピードものろいし。」
そうたか子さんがいう。何だかあの電車には乗りたくないという顔だ。留萌線は地元からも不便な電車として、余り慕われていないようだ。
「其れだからいいじゃないか。そういう電車は、意外におもしろい駅がたくさんあって、たのしいぜ。」
杉三がそういうと、慶介君が、この人おもしろいな、という顔をして、声のない声でにこやかに笑った。
「まあ、慶介がそんな顔をするなんて久しぶり、、、。」
思わずそういってしまうたか子。すると、慶介君が、またなにか紙に書く。水穂がその紙を受け取って、中身を読み上げる。
「より面白いのなら、宗谷本線に乗ったほうが、より楽しいと思います。」
「はあ、そうなのね。今回は、ここへ来させてもらったんだから、その留萌線というのに乗ってみたいな。宗谷本線は、また次に北海道に来たときに乗ってみる。」
水穂の通訳を聞いて、杉ちゃんはにこやかに言う。そういう人の話をちゃんと聞くところも、杉ちゃんの魅力でもあった。
「まあいいじゃないか。そういう田舎は楽しいよ。のんびりしていて、空気はいいしうまいもんはあるし。」
杉三がそういうと、たか子が嫌そうな顔をして、こう切り出した。それは田舎者であればよくいう愚痴であった。
「もうね、ここは田舎だから、何でも通販に頼るしかないのよ。大きな店もないし、有名な観光スポットがあるわけじゃないから、大して人が来るわけでもないしね。冬は雪も多いし、もう、ほんと、最悪と言えばいいのかな。近くにある羽幌町は、人が来てくれるように、対策をしっかりしているようだけど、ここは遅れているからねエ。」
「はあ、羽幌町ですか。」
と、水穂が聞く。
「そうよ。留萌管内の中心都市といえばいいのかしら。もうこっちの留萌市よりも、ずっと人口対策とか、観光対策とか、いろいろやってて羨ましいくらい。留萌振興局の中心は留萌だっていわれているけど実際は、羽幌よ。」
「なるほど、永遠のライバルってわけね。」
たか子さんがそういうと、杉三がそう口を挟んだ。
「まあね、意識しているって言えば意識しているかなあ。まあもともと、羽幌のほうが海はきれいだし、炭坑都市として、にぎわってたし、閉山して人がいなくなっていた後も、すぐに、観光地を作ったりして、人を呼んでるし。」
「なるほど、そうか。」
と、杉三は、ボケっとした。慶介君がまた紙に書く。
「ああ、こういう事ですか。留萌も、増毛も、炭坑のせいで、大規模な街になったり、テレビドラマで用いられたことからちょっと浮かれていたところがあったんです。その間に羽幌町は、いろんなところをやり直しして。」
「なるほど。」
水穂が通訳すると、杉三は腕組をした。そういう風に、人口対策というか、過疎化対策をしっかりしている町と、そこをおろそかにしている町とでは、ぜんぜん印象も違ってしまうようなのだ。そういえば、北海道には過疎化も原因のひとつで財政が崩壊してしまった町があるが、そこを教訓にしているのかもしれない。
「北海道って、のんびりしている様に見えるけど、意外に問題が多いんだな。僕たちから見たら、すごくきれいなところのように見えるけど、」
杉ちゃんはうーんと考えこんだ。住んでいる人に言わせれば、大変不便で住みにくく、嫌な街になっつたとしか言いようがないんだと思われる。
「まあねエ、昔は石炭の町として、鉱山がすごく栄えていたんだけどねえ。もう石炭は、要らなくなっちゃったし、タコ部屋労働みたいな劣悪な労働環境も問題になったし、それに、落盤みたいな炭鉱事故だってすごいいっぱいあって、もうこんなところで働かせるのは、まずいのでは無いかという意見が続出しちゃって。もうね、炭鉱はあるだけでも人権侵害!なんていう、外国のお偉い人も珍しくなかったのよ。そんなわけだもん、こんなところ、人何か来ないわよ。だからあの、電車だって、一日に七本しか来ないんだわ。あれはもともと、石炭を運ぶために、勝手に作った電車なんだから。」
たか子さんはちょっと愚痴っぽい話をした。でも確かに北海道の歴史というのはそうなのだ。もちろん、酪農とか、魚を取るとか、他にも産業はいろいろあるが、大体の北海道の都市は、炭坑のおかげで発展してきたようなものである。其れと同時に、大規模な炭坑事故も並行して起こっているのである。
その炭坑がなくなると、多くの住民にとって、労働場所がなくなってしまい、結局過疎化ということになってしまったのだ。そうなると、お年寄りにとっては住みやすいと言えるが、若い人にとってはどうだろう。いろんな意味で負担は大きく、住みにくいと言えば住みにくいと言えるかもしれない。
「それでは、明日留萌本線に乗って、留萌の民芸品店に行ってみましょうか。駅近くに、ショッピングセンターのようなものがあったはず。」
あったはずというのがおかしな言い方だけど、そういう言い方をする様になっているらしい。たか子さんは、そういった。
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