第三章
第三章
杉三たちは、新千歳空港にいた。
「さて、ついたのはいいんだが、一体どこで待っていればいいんだろうね。久保さんって、どんな容姿をしている人だろう。」
そんな事を言いながら、二人は、空港のターミナルビルを歩いていると、
「あ、多分あの二人だわ。杉三さん、影山杉三さん!」
前方から一人の女の人が駆け寄ってきた。
「初めまして、私、久保たか子です。この度はいらしてくださって、本当にありがとうございます。」
そういう久保たか子さんは、一見すると、かわいらしくて明るくて、とても、重大な問題を持っているようには見えなかった。
「秀明さんの代わりに、二人の人たちが来てくれる何てうれしいわ。それでは、うちへご案内いたしますから、こちらへいらしてください。」
「はい、わかりました。」
それではと、二人もたか子さんの後についていく。空港の広い駐車場の、一番端に止めてある軽自動車が、たか子さんの車だった。先ず、杉三を車いすごと後ろの席に乗せて、水穂は助手席に乗った。昨日、札幌の、レンタカーで、こういう車両を借りてきたのだという。
「こうして車に乗るのも一苦労するなんてたいへんね。」
たか子さんは、そういったが、ある意味それは、相手の尊厳を傷つける発言ともとれる可能性もあった。本人もそれにすぐに気が付き、
「あ、あら、ごめんなさい。私ったら、すぐにそういう事言っちゃって、、、。」
と、申し訳なさそうに言った。
「いや、いいって事よ。いつもこれで当たり前なんだから、気にしないでくれ。」
杉三がそういうと、改めてごめんなさいというたか子さん。杉三だからこそ言えるセリフで、ほかの人であったらちょっとがっかりしてしまうかもしれなかった。
「じゃあ、行きますよ。ちょっと時間はかかるけど、ゆっくりしていってください。」
と、たか子さんの合図で車は動き出す。空港周りの市街地を走って、高速道路を走って、出口から出て暫く走るともう田園風景になってしまった。道路だって、アスファルトであることは確かだが、歩道が整備されて、ところどころに横断歩道や信号機が、規則正しく整備されているという道路からほど遠くなってしまった。杉三は、お、田舎にやってきたぞ、なんて喜んでいたが、水穂はこの何もない区域にやってきてしまったと、不安で仕方なかった。
時折、田んぼで作業をしている人たちから声を掛けられることもあった。たか子さんはそのたびに車を止めて、それぞれに応じた。声をかける人がいるなんて、なんて危険なことをするのだろうかと思われるが、ここは北海道の田舎で、道路を車が飛ばすなんてことはめったにないのである。せいぜい走っても、時速50キロ位だ。それくらい田舎であった。何だか、挨拶を丁寧に交わしているたか子さんを見て、山岳登山をしているようだと杉三は言った。事実、山道の多い土地なので、その通りに見えてしまった。
「こんな田舎に来て、よくこんな山の中に人が住めるなあと思ったかしら?」
と、たか子さんに聞かれて、
「おう、まったく。全部田んぼばっかりで、もう飽きちゃう。」
杉三が冗談っぽく答えた。杉ちゃん、すぐにそんな風にポンポン答えるなよなと、水穂はあきれてしまう。
「まあそうよねえ。田んぼばっかりは、すぐ飽きるかあ。」
たか子さんは、明るく言った。でも、その明るさは何かわざとらしくて、来客のために、一生懸命演技をしているような気がした。
「何だか、無理をしてお話しているようですけど、息子さんというのは、どんな問題があるんでしょうか?」
水穂が杉三の話のついで、という感じで聞くと、
「そうなのよ。うちの子、高校を出て、就職したのはよかったんだけどね。その直後から徐々に体調を崩し始めて。」
と、たか子さんは答えた。
「へえ五月病にでもなったの?」
杉三がちょっとおどけた感じで言うと、
「まあねエ。そうなるのかしらね。でも、いきなり東京に出させたのが間違いだったのかなあ。何だか、北海道出身ってッことに、引け目を感じたらしくて。」
「はあ、そうなのね。でも、北海道出身の有名人は一杯いるし、北海道から東京に出て働く人はめずらしいことじゃないと思うけど。」
たか子さんは、わざと明るく答えるが、杉三の言う一般的な答えがある以上、問題はおおきいなという事がわかった。確かに、今の時代であれば、男性が家にいることは、十分に問題がある。
「むずかしいところですね。じゃあ、今は、息子さん、久保慶介君でしたっけ、何をしているのですか?」
水穂が聞くと、たか子さんは、今は通信教育を受けていると答えた。でも、勉強をするのはほんの数時間で、あとは炊事したり、洗濯したり、掃除したりしているという。
「じゃあ、家計の事は?」
杉三が、本来なら聞いてはいけない質問をした。
「ええ、あたしがちょっと保育園にパートに出て、あとは主人の月収で。」
と、たか子さんは答える。つまりまだ定年するような年ではないらしい。
「危ないねえ。ほら、八〇五〇問題って知ってる?引きこもりの子供が50歳で、親が80歳貯金も年金も尽きてしまって、もう食うかてがないっての。そうなったらおしまいだって、一家心中する家もあるんだぞ。僕みたいに、国からの公的補助や、水穂さんの様な、疾病の医療費補助金などを早く受給して、将来に備えたほうが。」
「杉ちゃん、よくそういう事言うな。人の前でそういう答えを出しちゃうなんて。そういう事って、人前で言う答えかな。」
水穂は、そういうが、杉三の話は、非常に実用的というか、現実的なものであった。でもそれは、口に出したらタブーというか、そういう事をしていると、現在の日本では、恥ずかしい人、普通の人より一段格が低い人とみなされるのである。
「まあ、恥ずかしいだろうけど、それを堂々と言えるようにするためには、まず実行して堂々と言う事から始めるんだな。」
杉三はそういうと、炭坑節を口笛で吹き始めた。
「そうね、、、。」
たか子さんは、少しため息をついた。
「さて、もうついたわよ。」
と、田園風景の中に十数軒の家が建っているところに来た。でも、その中にはすでにヤブガラシが巻き付いている、ボロボロの建物も少なくなく、空き家になってしまっているんだなというのがすぐにわかった。十数件家があるけれど、人が住んでいる家は、果たして何件あるんだろうか?
「ねえ、向こうにある、掘立小屋みたいなのは何なの?」
杉三がそういって、集落の向かい側にある、小さな建物を指さした。
「あれはね、駅。」
たか子さんが答えると、
「駅?」
杉三は素っ頓狂に言った。
「あんな草ぼうぼうのところに駅があるんか?」
たしかに、その建物の周りには、まるで刈り取る人を阻むように、大量のパンパスグラスが生えていて、草ぼうぼうという表現がぴったりだった。
「本当だ、確かに駅ですね。増毛駅って書いてある。」
文字が読める水穂が、そう言うとおり、今にも消えそうな文字で、増毛駅と書いてあるのが見えた。
「一体何の駅なんだ?いわゆる一般駅?それにしては草ぼうぼうで、周りに住宅がなにもなかったら、究極の秘境駅だな。」
杉ちゃんは、意外に鐡道好きだ。時折そういう秘境駅を見ると、おもしろいなと感じてしまうのである。
「増毛駅よ。留萌線という鉄道路線の駅なのよ。深川からここまでを、結んでるの。一日に四本か五本くらいしか走らない、何の役にも立たない電車。」
たか子さんは、駅からすぐ近くの小さな家の前で車を止めた。すぐに後部座席のドアを開けて、杉三を降ろしてやる。隣には、小さな店を開業しているのか、一階は店舗で、二階は住居になっていると思われる作りの建物が建っていた。ここは、電気がついているので、どうやら営業しているらしいが、周りの建物で電気がついているのは、一つか二つ。あとは全部空き家になっているのが、住人がどこかに行っているのか、何処も電気はついていなかった。ちなみに駅も、無人駅なのだろうか、何も電気はついていない。
「駅は誰もいないのか。何だか、すごいところへ来ちゃったようだぜ。」
「そうなのよ。もうこんなに過疎化が進んじゃって、この電車もまったく役に立たないし、あとは好きなように暮らしていればいいって感じかな。さ、お二人とも、なかにはいって。すぐにお茶を入れるから。」
たか子さんに言われて、杉三たちは、「久保」という表札がある、家の中に入らされた。
「こんにちは!」
杉三がでかい声であいさつすると、
「慶介、お客様よ。ほら、秀明さんの代理で来てくれた人たちよ。影山杉三さん。早くこっち来て挨拶なさい。」
と、たか子さんに言われて一人の青年がやって来た。青年は、確か成人していると聞いたが、男としては小柄な男で、なんだかまだ、15才くらいのあどけなさがまだ残っていた。それは別の表現をすれば、委縮しているというのかもしれない。
「ほう、お前さんが慶介君かあ。僕は影山杉三だ。杉ちゃんって言ってね。よろしくね。」
慶介君は、しずかに頭を下げる。
「ほらあ、頭を下げているだけじゃ、いかんだろ。何かいう事あるだろう。」
ところが、慶介君は、黙って首を横に振った。そうなると、慶介君が抱えている問題の一部がわかったような気がした。
「ほう。そうか。耳は遠くないが、口が利けない、つまり唖何だね。」
「今でいえば、失声症というモノなんですけどね。」
杉三がそういうと、たか子さんがすぐにそう解説した。水穂がいつごろからですかと聞くと、ええ、会社を辞めて、こっちへ帰ってきた直後からですとたか子さんは言った。
「そうですか。よほど、ショックが大きすぎたんでしょうか。」
そういった水穂を、慶介はそっと見つめている。水穂も慶介のほうをずっと見た。彼は、なにか水穂に対して、なにか思いがあるのではないかと、思われた。
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