第54話 わたくしの王子様③


「フィー」


 心地よい低音が、優しく音を紡ぐ。


「──ボブ?」


 振り返ってその姿を見たとき、ソフィアは息を呑んだ。

 ソフィアの知るロバート王子は、いつも白い近衛騎士の制服を着ている。しかし、今日は王子に相応しい濃紺のフロックコートを着ていた。アーサー王子と対になるような豪奢なものだ。


「花嫁選考会が終わる。明日、ソフィアは王宮を去るだろう? その前に、フィーに話さなければならないことがある」


 ロバート王子は一旦口を噤んで目を伏せたが、すぐに意を決したように顔を上げてソフィアをまっすぐに見つめた。


「秘密にしていたけれど、俺は王子だ。第四王子」


 ソフィアはロバート王子を見返した。この告白に、少し緊張したように顔が強張っている。


「話せばソフィアが気安く接してくれなくなると思って、言い出せなかった」


 どこかで聞いたようなセリフに、ソフィアは表情を綻ばせた。


「存じております。ロバート殿下は……ボブは、いつだってわたくしの王子様でしたわ。いつも颯爽と現れて、わたくしの心を鷲掴みにするの。庭園で出会った幼い頃も、花の咲く丘で出会ったときも、病室で見守ってくれていたときも、いつもよ」


 ロバート王子はソフィアを見つめたまま、目を見開いた。驚きのあまり、口元を手で押さえている。


「──フィー、もしかして……思い出したのか?」

「アーサー王子の『無効化』のギフトで、『忘却』のギフトの力を打ち消してもらったの」


 ソフィアはふふっと笑う。ロバート王子は全く予想外だったようで、絶句していた。


 今ならわかる。ギフトが最愛だと告げた相手の記憶が目の前で消された。自分のことをすっかり忘れてしまった挙げ句、会いに行くことも許されなかったことは、幼いロバート王子にとってどれほど辛かっただろう。そして、やっと出会えて親しくなってきたと思ったらまた自分のことを忘れてしまったのだ。


 ──それなのに、また最初からやり直そうとしてくれた。


 きっと、これから先、この人より自分を愛してくれる人などいないだろう。ソフィアに未来を読む力などないが、そう確信できた。


「キーリスに襲われたときのことも?」

「覚えています」

「怖かっただろう。間に合わなくて……済まなかった」


 ロバート王子は唇を噛み、俯く。本当にこの人は……自分が悪いわけでもないのに、いつもこうして自分のことのように気遣い、後悔してくれる。そんな優しさが、好きだと思った。


「わたくしね……、ボブのことが好きなの。ずっと昔から、好きだわ。確かに怖い記憶もあるけれど、それ以上に楽しい記憶が多いの。とても……、あなたがとても大切だわ」


 ソフィアの言葉にロバート王子がひゅっと息を呑む。そして、少し前かがみでしゃがみ込むと確認するようにソフィアと視線を合わせた。


「フィー。俺は王太子である兄上の影武者を務めているから、王都を滅多に離れられない。これから先も、ずっとだ」

「ええ。でも、わたくしを傍に置いてくれるのでしょう?」

「もちろん。フィーが傍にいてくれるなら。──だが、これからも目立たないように、俺は騎士の道を歩むことくらいしかできないような、あまりぱっとしない第四王子として居続けることになる」

「本当は誰よりも凄い人だって、身近な人は知っているわ」

「──先日、フィーを守れなかった」

「一番に助けに来てくれたわ」


 ロバート王子は泣き笑いのような表情で、ソフィアを見下ろした。


「フィー、きみを愛している。結婚してくれ」

「喜んで。わたくしは、あなたがいい」


 そう言った瞬間に、体が包まれるような感覚がして、ぎゅっと抱きしめられた。いつかのように顎に手がかかり、唇が重なり合う。


 あの香りが強く香り、ふわふわしたような幸せな感覚。ソフィアはおずおずと手を伸ばし、ロバート王子の背中に回した。抱きしめる腕に、力が籠もる。

 暫くして体が離れると、ロバート王子は気恥ずかしそうに笑い、手を差し出した。


「名残惜しいけど……、会場に戻ろうか」

「ええ」

「みな、俺とフィーの登場に驚くかもしれない」

「そうですわね」


 戻ったら「いつの間に!?」とキアラが驚いたように目を見開く様子に想像がついて、なんだがおかしくなる。ロバート王子にエスコートされてテラスから大広間に戻ると、会場内の視線が一斉にこちらに向いて辺りがさざめいた。


「ええ! いつの間に!!」


 思った通りの反応を示す人に思わず笑みが浮かぶ。これまでのちょっとした意趣返しに、ソフィアは舌を出してあっかんべーをしてやった。すると、すぐに腰を強く引かれる。


「フィー。俺に集中して」

「あら、ごめんなさい」


 拗ねたように口を尖らせるロバート王子は、なんだか新鮮だ。


「仕返しをしてやりました」

「仕返し? フィーとキアラ嬢は、結構気が合いそうに見えるけど? いつも楽しそうだ」


 気が合う? 楽しそう? これは異なことを仰る。

 訝しげに見上げるソフィアに、ロバート王子は「そんなことより」と、にこりと笑いかける。


「よろしければダンスをお相手いただけますか?」

「もちろんよ」

「今宵だけでなく、フィーがこれから過ごす全ての夜がほしいと思っている」

「──わたくしでもよければ、よろこんで」

「フィーじゃないと、だめなんだ」


 差し出された手に自分の手を重ねると、ロバート王子は満面に笑みを浮かべた。

 くしゃりと崩れるこの笑い方がとても好きだ。その笑顔を見たら、やっぱり自分はロバート王子が好きだと改めて思った。見た目も、中身も、全てを愛しく感じるのだから。


 今日もこれからもずっとずっと、自分はこの人とダンスを踊り続けるだろう。ダンスフロアに立つと、しっかりと腰をホールドされて、ソフィアはロバート王子と向き合った。


「ねえ、ボブ。知っている?」

「なにを?」

「わたくしね、忘れても忘れても、何度だってあなたに恋するみたい」


 驚いたように目を見開いたロバート王子は嬉しそうにはにかむと、ソフィアの耳元に口を寄せた。


「知っていると思うけど、忘れられても忘れられても、何度だって俺はフィーを口説くよ」


 二人は顔を見合わせるとくすくすと笑い合う。ワルツの音楽が始まり、くるりくるりと体が回る。シャンデリアが煌々と輝き、愛しい人が笑顔でこちらを見つめている。


「愛しているよ、フィー。今までも、これからもずっと」


 耳元で囁かれた優しい言葉が心地よく鼓膜を揺らす。


「わたくしもだわ」


 出会ってからおよそ十年。それは、長い長い初恋がやっと実った幸せな瞬間だった。


〈了〉

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王子様に一目ぼれしたら、おかしなことになっています! 三沢ケイ @kei_misawa

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