第53話 わたくしの王子様②
大広間に入った瞬間、ソフィアはほうっと感嘆の息を漏らした。柔らかな感触の、上質な絨毯、鈍く煌めく金の装飾、随所に描かれた美しい絵画、高い天井からぶら下がるシャンデリア。
つい先日この部屋を訪れたはずだけれど、ただただ圧倒されてしまう。入り口近くで立ち尽くしていると、背中をこつんと小突かれた。
「何やっているのよ? ぼさっとしていると、田舎者だとバカにされるわよ? ソフィア様は知らないかもしれませんけど、こういうときは自信満々に、優雅に歩くものなのよ」
片眉を上げたキアラがツンと澄ましてそう言った。
(くっ! この人は本当に!!)
ソフィアは慌ててその後を追いかける。
ソフィアはこの三週間弱で完全に理解した。キアラは呼吸をするのと同じくらい自然に嫌味を混ぜこむ人なのだ。しかも、本人はあまり嫌味を言っているつもりがなさそうなのがたちが悪い。
会場内には
「ソフィア様、あれはクーリア伯爵家のご子息よ。それで、あちらがマルチアーナ侯爵家──」
「へえ……」
ソフィアは知らない人ばかりだけれど、キアラによると全員が高位の爵位を継ぐ予定がある人達で、社交界ではあこがれの存在として見られている人達のようだ。キアラはその一人ひとりソフィアに教えてゆく。ソフィアは横で扇片手にひそひそ話をするキアラを見つめた。
わかりにくいけど。凄くわかりにくいけど。物凄くわかりにくいけど!
もしかしたらキアラって、ちょこっとひねくれているだけで親切な人なのでは?
ソフィアはキアラを眺めながら、そんなことを思った。思い返せば、布が切り刻まれた日も馬車に乗れと声を掛けてくれたご令嬢はキアラだけだった。
自分をじっと見つめるソフィアを見返し、キアラは片眉を器用に上げた。
「ソフィア様。いくらわたくしが美し過ぎるからって見すぎよ。田舎者だからここまでの美人が見られなかったのね。お気の毒に」
「…………」
うん、やっばり親切じゃない気がする。
「フィー!」
不意に呼び声がして振り返る。そこには淡いブルーのドレスを着たヴィヴィアンがいた。
「ヴィー様!」
ソフィアはパッと顔を明るくする。豪華に着飾ったヴィヴィアンは、同性のソフィアから見てもとても美しかった。ヴィヴィアンはソフィアの方へと歩み寄る。
「フィーは……その、体調を崩していたでしょう? 大丈夫なの?」
「はい。大丈夫です」
ソフィアはヴィヴィアンを心配させないように、にっこりと微笑んだ。
暫くすると、会場内がさざめいた。ソフィア達が入り口に目を向けると、凛とした雰囲気の美しいご令嬢が入場してきた。赤みのある金髪を美しく結い上げ、晒された真っ白な首とうなじが彼女の美しさをより際立たせている。
「あれはギルモア公爵令嬢のエリザベート様よ」
またもやキアラがソフィアにそっと耳打ちする。
「三次で落選したのだけど、選考に手違いがあったみたいでここにきての復活よ。何があったのかしら?」
キアラは扇子で口元を隠しながら、眉を寄せた。ギルモア公爵令嬢と言えば、ソフィア達の刺繍を切り刻んだとして謹慎処分になっていたご令嬢だ。ここに現れたということは、晴れて疑いがはれたのだろう。
会場内では王室お抱えの楽団が音楽を奏で始める。その演奏が始まってすぐに、ひときわ大きな騒めきが起きた。
「アーサー殿下だわ」
高い位置にある入り口を遠目に眺めるキアラが呟く。ソフィアはその声に反応するように大広間の奥の階段を見つめた。装飾が見事ならせん階段を、白地に金の飾りが施された豪奢なフロックコートに身を包んだアーサー王子がゆっくりと降りてくる。その前後には白い騎士服を着た近衛騎士の姿もあった。
(ボブ、いないわ……。参加するって言っていたのに、どうしたのかしら)
ソフィアはアーサー王子の周囲に視線を走らせた。一通り会場内を見渡したが、ボブはいなかった。
アーサー王子がゆっくりとこちらに近づき、ご令嬢とご子息達が道を空けるようにぱっくりと割れる。そして、一人のご令嬢の前で立ち止まった。
「愛しい人、ダンスのお相手を願えますか?」
「もちろんです」
ヴィヴィアンが満面に笑みを浮かべて手を差し出す。
「なにこれ。完全に出来レースだわ……」
小さな声で、キアラが不満げに呟くのが聞こえた。それに関しては仰るとおりなので否定はしない。まさに、まごうことなき出来レースである。
美男美女の二人がダンスを終えると盛大な拍手が起こる。おめでとうございます、と祝辞が次々と沸き起こった。それと同時に、他のご令嬢、ご令息達は今宵のダンスの相手を探そうと動き出した。
「ソフィア様、ぼやっとしてると壁の花になるわよ。そのドレスは壁飾りかしら?」
キアラはそう言うと、早々に近くにいたご子息とダンスフロアへと消えてゆく。
(どうしよう……)
ソフィアはもう一度ボブを探そうと辺りを見渡した。そのとき、後ろからくいっと腕を引かれた。振り向くと、凛々しい近衛騎士がソフィアを見下ろしている。
「ソフィア様、こちらへ」
その声に聞き覚えがあり、ソフィアは目をしばたたかせる。
「え? ミレー?」
近衛騎士はしっと内緒話をするように人差し指で口元を押さえると、肯定するようにニコリと笑い、テラスへとソフィアを促す。あまりに凛々しい女騎士姿に見惚れながらも、ソフィアはおずおずとその後に続いた。促されるがままに外に出ると、この季節特有の生暖かい湿った空気が体を包んだ。
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