第51話 花嫁選考会の終わり②

 ソフィアはご令嬢達と会話を終えると庭園へと向かい、辺りをきょろきょろと見渡す。


「フィー、お待たせ」

「ボブ!」


 王宮の庭園の一角には緑と花のアーチがあり、その奥まった場所には鉄の柵がある。その前に佇んでいたソフィアは、件の騎士様──ボブの登場に表情を綻ばせた。


 ボブは初めて会ったあの日、体調が悪くなければ一緒に散歩にでも行こうとソフィアを誘ってくれた。そして向かった先がこの柵の向こう側だ。王宮の庭園はどこも手入れが行き届いていてとても美しいが、ここは格別だと思う。

 白い石造りの見事な噴水、その傍らには大きめのガゼボ、そして周囲にはしっかりと手入れされた緑と花。まるで花と緑が溢れるメルヘンの世界に迷い込んだかのような錯覚を覚える。

 ソフィアがそこをいたく気に入ったせいか、翌日以降もボブが毎日のように散歩に誘ってくれた。今日もソフィアはボブと並んでゆっくりと庭園の小道を歩く。


「明日が舞踏会でしょう? だから、皆さん落ち着かないみたいなの。朝からみんな『どうしましょう、どうしましょう』って言っているのよ」

「へえ、そう」

「キアラ様なんて『ソフィア様、わたくしが選ばれても泣くんじゃなくてよ』ですって。なんでも、つい先日アーサー殿下とお話しする機会に恵まれたみたいで、自信満々だったわ」


 ソフィアは扇子を取り出すと、少し高飛車にそう言い放つキアラのモノマネをする。ボブは「なんとなく、言っている姿が想像できる」と苦笑した。


「あ、でも、ヴィー様とミレー様は落ち着いていらしたわ」

「ふうん?」


 ソフィアが先ほどのご令嬢達の様子を次々と話すと、ボブはその様子を思い浮かべているのかくすくすと笑った。ボブは笑うと目じりが下がってとても優しい表情になる。ソフィアはその笑顔を見るたびに胸がキュンとした。まだ出会って数日しか経っていないのに、不思議なことにずっと昔から知っているような気がする。


「ボブは明日の舞踏会に出るの?」


 ソフィアはボブを見上げた。ボブはアーサー王子の近衛騎士なのだから、舞踏会の会場にいてもおかしくはない。


「ああ、参加するつもり」


 ボブはそう言うと、歩みを止めた。ソフィアは不思議に思い、一歩後ろにいるボブを振り返る。小道に佇むボブは、心なしか緊張したような表情をしていた。


「どうしたの?」

「──フィー。明日、俺はきみを驚かせることになるかもしれない」

「驚かせる? まあ、何かしら?」


 その意味ありげな発言に、ソフィアは首を傾げる。ボブは苦しげな表情でソフィアを見下ろすと、こちらに片手を伸ばした。大きな手が優しく頬を撫で、ソフィアは擦り寄りたいような衝動を覚えた。


「フィー。俺は、決してフィーをからかっているわけじゃない。会って数日で『信じてくれ』なんて言うやつは信用できないかもしれないけれど……。信じてくれ」


 真摯な眼差しに胸がドクンと跳ねるのを感じた。


 ──信じてくれ。


 そう告げたボブの瞳は、ソフィアの不安を全て吸い込んでしまいそうなほどに透き通っていた。


「──明日、全てを話す。だから、もしも全てを知った上で俺を受け入れてくれるなら、ダンスを申し込んでも?」

「…………。わかったわ」


 ソフィアは頷いた。いったいなんの話なのかと気にはなったけれど、ボブがソフィアを傷つけるようなことをするはずがないと思ったのだ。ボブはホッとしたように表情を綻ばせると、ソフィアの手をそっと取った。


「フィー。俺は、フィーのことがどうしようもなく好きなんだ」


 低い声が鼓膜を優しく揺らす。


「──だから、お願いだ。俺を選んで」


 唇が指先に触れ、柔らかな感触が脳天を痺れさせる。ボブは顔を上げると、にこりと微笑んだ。 


「あっちに行こうか」

「ええ。──見て。あそこにリモネが咲いているわ」


 ソフィアは真っ赤になった顔を隠すように、わざとはしゃいだように視界に入ったリモネを指さした。


「フィーは昔からリモネが好きだよね」


 ボブが優しく表情を綻ばせる。また、トクンと胸が跳ねた。昔の話をボブにしたことがあっただろうか? でも、ボブといるといつもドキドキするから、緊張して無意識に話したのかもしれない。

 ソフィアは「ええ、そうなの」と笑いかける。二人は自然に手を握り直すと、ゆっくりと歩き始めた。


    ◇ ◇ ◇


 その僅か二時間後。ソフィアは混乱していた。ボブとの散歩から戻ってきたソフィアを待っていたのは、思いがけない報せだった。


「アーサー殿下から? わたくしに?」


 ソフィアは訝しげに眉を寄せる。メルによると、先ほどアーサー王子からの使いの政務官が来たという。不在だったソフィアに残されたメモには戻り次第アーサー王子の執務室を訪ねるようにとの指示だった。


「まさか……」


 ソフィアはそのメモを見て青ざめた。今日顔を合わせたご令嬢は皆、婚約者に内定した場合は今日中に連絡があるはずだと言っていた。そして、このタイミングでこの報せ。嫌な予感が拭えない。


「ねえ、殿下はなんの用事かしら?」


 ソフィアは案内のために先導する政務官に尋ねる。政務官は振り返ったが、「わたくし共も存じ上げません」と言うだけだ。

 ソフィアは目まぐるしく頭を回転させていた。もしも婚約者に選ばれてしまったら、どうやって断ろうか。


 ──田舎者なので荷が重いです。  

 ──わたくしなどよりもっとふさわしい方がいます。


 色々と策をめぐらせたが名案は浮かばない。

 そうこうするうちに部屋の前に到着し、カチャリとドアが開いて中に入るように促された。部屋に到着し、政務官がドアをノックする。


「ソフィア嬢か。入ってくれ」

「はい」


 ソフィアはおずおずと中に入る。

 初めてお目にかかる──正確に言うと初めてではないものの、ソフィアは覚えていないので初めてと同じようなものだ──アーサー王子は、金糸のような艶やかな髪を緩く結い、ボブのような青い瞳をした美丈夫だった。かっこいいな、とは思うけれど、それ以上はなにも感じない。アーサー王子はソフィアを見ると自身の前の席に座るようにと促した。


「ソフィア嬢。体調はどう」

「お陰様でよくなっております」

「そう。よかった」


 アーサー王子は頬杖をつくと、ソフィアを観察するように見つめる。ソフィアは居心地の悪さを感じてソファーに座ったまま身じろいだ。


「きみはここ数日の記憶がなくなっているね」

「え?」


 ソフィアはアーサー王子の問いかけに、意表を突かれた。てっきり『きみが花嫁だ』と言われるのかと思っていたのだ。


「戻したいとは思わないか?」

「戻す?」


 その質問は全く予想外だ。記憶を戻す? そんなことができるのだろうか。

「ソフィア嬢の記憶は『忘却』のギフトで消されている」

「『忘却』のギフト?」


 ソフィアは訝しげに眉を寄せた。ソフィアの記憶は高熱でなくなっているはずだ。


「ソフィア嬢が望むなら、俺の『無効化』のギフトでソフィア嬢にかかっている『忘却』のギフトの力を消し去ろう。ただし、その場合は楽しかった記憶だけでなく、怖かった記憶や苦しかった記憶も戻る」


 ソフィアは驚きで緑の瞳を大きく見開いた。

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