第49話 目覚めたら

 大急ぎでギルモア公爵家から王宮へと戻ってきたロバート王子は、まずアーサー王子に会いに行った。アーサー王子は執務室でなにかの報告書に目を通しているところだった。


「兄上、今少しよろしいでしょうか?」

「もちろんだ。俺も話したいことがある」


 アーサー王子はロバート王子の来訪を待ちわびていたようで、姿を見とめるとすっくと立ち上がって近づいてきた。そして、手に持っていた紙をロバート王子に差し出す。


「これは?」

「報告書だ。分析のギフト持ちの者に再調査させた。ロバートの言うとおり、茶こしからは毒が検出された。中央部は茶を注ぐときに流れてしまっていたようだが、端の部分はまだ残っていた」


 ロバート王子はそれを受け取ると、パラリと捲った。

 洗わずに証拠として保管されていた茶こしからは、高濃度──恐らく原液のままの毒が抽出されたと書いてあった。あの日使っていた茶器はポットに直接茶葉とお湯を入れ、注ぎ口とティーカップの間に茶こしを置いて茶葉を掬い上げるタイプだった。つまり、最初に淹れた紅茶が一番毒の濃度が高くなり、それを受け取るのは誰が淹れようとも最も高位のアーサー王子の可能性が高かったのだ。


「よっぽど俺を殺すことに執着しているようだ。茶こしを落としたというリアンヌ嬢についてはまだ調べ切れていない」


 アーサー王子は眉間に皺を寄せたまま、忌々しげにそう吐き捨てた。


「そっちはなにか収穫はあったか?」

「実は──」


 ロバート王子は先ほどのことを話し始める。最初はじっと話に聞き入っていたアーサー王子の表情は、途中から険しいものに変わった。ギルモア公爵令嬢が『そのときのことだけ、思い出せない』と言っていることに、アーサー王子も妙だと感じたようだ。


「ギルモア公爵令嬢の聴取は、たしかキーリス直々に行ったのだったな? キーリスに話を聞こう」


 二人は立ち上がるとすぐにキーリス特級政務官の執務室に向かった。ドアの前でノックをしたが、返事はない。たまたま近くを通りかかった政務官に確認したが、会議に入っているわけでもなさそうだ。


「いないですね。出直しましょう」


 顔を見合わせた二人は、後からもう一度出直すことにした。


(フィーの顔でも見に行くか)


 そんなことを思ったのは、なにかの虫の報せだったのかもしれない。まっすぐそのまま部屋に向かってノックすると、なんの返事もなく勢いよくドアが開いた。


「ソフィア様!」


 顔を上気させた侍女──メルが出てきてロバート王子は呆気にとられた。メルもここにいるのがロバート王子──ボブだとは思っていなかったようで、目をぱちぱちと瞬かせると「あら、ボブ様。失礼しました」と頭を下げた。


「ソフィア嬢はいるかな?」

「それが、見当たらないのです」

「見当たらない?」

「はい。キアラ様とお茶をしに行くと言って数時間前に部屋を出て、その後一度戻られたようなのですが、また姿が見えなくって。ソフィア様は普段、お一人で外出されるときは行き先をメモに残してくださるのです。でも、それもなくって」

「なぜ一度戻ったとわかる?」

「メモがなくなっていました」

「メモ?」

「はい。実は──」


 ロバート王子はメルの話とそのメモの内容を聞き、表情を険しくした。リアンヌ嬢の実家のエモニエ伯爵領は、たしかに医薬品の産地だ。毒を入手するのも容易いかもしれない。


「キアラ嬢に、フィーの行き先を知らないか確認しよう」


 ロバート王子がメルとキアラの居室を訪ねると、最初は訝しげな表情をした侍女が現れた。そして、ロバート王子の顔を見るや否や驚いた様子で中に戻り、すぐにキアラが現れる。


「ようこそいらっしゃいました」


 丁寧にお辞儀をして顔を上げると、キアラは素早く視線を周囲に走らせた。アーサー王子が近くにいないかを確認したのだろう。そしていないとわかると、少々がっかりした表情をした。


「キアラ嬢。ソフィア嬢を知らないか?」

「ソフィア様? 先ほどまで一緒でしたけれど、今は部屋にいるはずですわ」

「それがいないんだ。心当たりはない? 彼女が探しまわっている」


 ロバート王子の横に立つ困った表情のメルを見ると、キアラは眉を寄せて考え込み「そういえば」と両手を打つ。


「庭園の大きな彫刻の裏手の木の陰かもしれませんわ」

「庭園の大きな彫刻の裏手の木の陰?」

「はい。わたくし、先ほど重大ニュースをソフィア様に教えて差し上げたんですの。実は、リアンヌ様とキーリス特級政務官は恋仲ですわ」

「は?」


 あまりに突拍子もない話に唖然とするロバート王子をよそに、キアラは得意げに話し始める。


「わたくし、見たのです。庭園の大きな彫刻の裏手の木の陰でリアンヌ様がキーリス特級政務官に『聞いてないわ』って詰め寄っていたんですの。あれはたぶん、キーリス様が浮気する現場をリアンヌ様が見てしまったに違いありません。きっと、ソフィア様もその話が気になって現場を見に行かれたのだわ」


(キーリス特級政務官にリアンヌ嬢が詰め寄っていた……?)


 そのときだった。 


 ──ボブ!


 僅かにそう聞こえた気がしてロバート王子は耳に全神経を集中させた。


 ──ボブ! 助けて!


 今度は間違いなく聞こえた。切羽詰まった様子の呼び声。


「悪い。その話は後で聞く」


 ロバート王子は踵を返すと、横にいるメルを見下ろす。


「メル嬢。フィーが危ない」

「え!?」

「このメモを持って、急ぎアーサー王子のもとにいけ。さっきのメモの話を全て包み隠さずに話すんだ。これを持って、ロバート王子からの使いだと言えばすぐ通される」


 ロバート王子は着ていた服についているボタンをひとつ引きちぎると、それをメルに渡す。


「キアラ嬢も、一緒に行って今の話を」

「え? この話、そんなに重大情報ですの!?」

「え? え? ロバート王子??」


 ボタンには王室の紋章である火を吐くドラゴンが刻印されている。おかしな方向に勘違いしているキアラと状況が呑み込めずに呆然とするメルにもう一度「早く行け!」と促すと、ロバート王子は声が聞こえた方へと走り出した。



    ◇ ◇ ◇



 目を開くと、知らない場所にいた。目に入ったのは、真っ白な天井。そこからは五つランプが組み合わされた、落ち着いた雰囲気の照明がぶら下がっている。ゆっくりと視線を移動させると、広い室内には上質な家具がセンスよく設えられている。


「ソフィア様!」


 大きな声がしてそちらを向くと、メルが目を見開いてこちらを見ていた。みるみるうちにその瞳に涙が浮かび、澄んだ滴が頬を流れ落ちる。


「よかった」

「どうしたの、メル?」

「ああ、ソフィア様。お体はいががです?」

「体?」


 ソフィアは自分の体を見下ろした。言われてみれば、体の節々がなんだか痛い。記憶にないが、どこかで転んだのだろうか。ソフィアがそう聞くと、メルは「お医者様を呼んできますわ」と言って、大慌てで部屋を出て行った。

 暫くすると、ひげをはやした中年の男性がきて、ソフィアの体を軽く触れる。すると、痛みは嘘のように消えた。


「まあ、凄い! 治癒のギフトかしら」


 ソフィアは初めて目にした治癒のギフトの加護に大喜びではしゃぐ。そうこうしていると、部屋のドアをノックする音が聞こえた。


「どうぞ」


 先ほどのお医者様かと思って軽く返事をすると、今度は近衛騎士服を着た若い男性が現れた。

 ソフィアはその人を見たとき、瞬時に目を奪われた。

 薄茶色の髪はふわふわと柔らかそうにうねり、瞳は冴え渡る空のようなブルー、とても整った容姿をしているけれど、少し下がった目尻のせいで優しい印象を受けた。そう、まるで……、胸を鷲掴みにされたかのような衝撃を受けた。


「フィー」


 こちらを見つめるその人は満面に笑みを浮かべ、すぐ近くまで歩み寄ってきた。

 ソフィアの前に膝をついて座ると、優しくソフィアの手を取って握りしめる。


「気が付いてよかった」


 男性はそう言うと、重なっているソフィアの手を持ち上げて、その甲にキスをした。ソフィアは突然のことに戸惑った。胸が早鐘を打ち、おかしくなりそうだ。それに、目の前の男性からはとてもいい匂いがして擦り寄りたいような衝動を覚えた。


「あなたは?」


 ソフィアがおずおずとそう尋ねると、その人は驚いたように目を見開き、瞬時に表情を強張らせた。しかし、それは一瞬のことで、次の瞬間にはソフィアを見つめてにこりと笑う。


「これは挨拶が遅れて申し訳なかった。俺は近衛騎士をしていてソフィア嬢が倒れているところを発見してここまで運んだものだ。──そうだな……、俺のことはボブと呼んでくれ。ソフィア嬢のことはフィーとよんでも?」

「──ボブ?」


 ソフィアがこくりと頷くと、ボブは嬉しそうに笑う。


「きみと親しくなりたいと思っている。まずは友達になってもらえる?」

「ええ、もちろん構いません」

「ありがとう、愛しい人フィー


(『フィー』だなんて、変わった愛称だわ)


 けれど、不思議と嫌な印象は全く受けなかった。むしろ、とても心地いい。

 包むように握られた手は心地よく、その呼び方はこれまで聞いたどの呼び名よりも優しかった。 

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