第48話 真相究明④
今まさに会いに行こうと思っていた人の突然の登場に、ソフィアはポカンとした表情で見上げた。キーリス特級政務官はソフィアを見下ろし、頭から足元まで視線を走らせた。
「ソフィア嬢。体調はいかがです?」
「体調? それなら、すっかりよくなりましたわ。ありがとうございます」
お茶会で倒れたソフィアのその後の様子を確認しに来たのだとすぐに気づき、ソフィアは笑顔で握りこぶしを顔の横に作って元気であると見せた。
「それはよかった」
穏やかに微笑むキーリス特級政務官を見上げ、ソフィアも笑顔を返す。
「ありがとうございます。わたくしも、ちょうどキーリス様に用事があったのです」
「ほう。なんでしょう?」
「あのお茶会なのですけど、やっぱりヴィヴィアン様は犯人ではないと思うのです。となると、違うご令嬢が怪しいのですけれど、ちょっとこれを見ていただけますか?」
ソフィアは手に持っていたメモをキーリス特級政務官に差し出すと、茶こし用のフィルターの件も含めて、リアンヌが怪しいと思うと伝えた。それに対し、キーリス特級政務官はそのメモを凝視したまま、眉間に皺を寄せて難しい顔をする。
「しかし、リアンヌ嬢にはこんなことをする理由がありませんね?」
「それは、そうなのですけど……」
痛いところを突かれてソフィアはぐっと黙り込む。けれど、すぐにヴィヴィアンの顔が脳裏に過り、なんとしても解決しなければと思い直す。もっとしっかりと調査すべきだと進言した。
「…………。このことは誰かに話しましたか?」
「いいえ」
ソフィアは首を横に振る。正確にはこれを調べ上げたメルは内容を知っているのだけれども、そこまで言う必要もないだろう。
「キーリス様、医薬院の方からお話を聞くことはできませんか? なにか糸口がつかめるかもしれないと思って──」
「医薬院の? ……いいでしょう、わたしに付いてきてください」
キーリス特級政務官に色よい返事を貰え、ソフィアはホッとした。片手で付いてくるように手招きされ、慌ててその後ろを追いかける。途中で通った亘り廊下からは、ソフィアの部屋からは見ることができない『王家の園』が少しだけ見えた。
(なにか糸口が掴めたら、ロバート殿下のお役に立てるかしら?)
少しでも役に立てたら、とても嬉しい。ソフィアはやる気を漲らせると、長い廊下の奥へと足を進めた。
キーリス特級政務官に案内されながら歩くこと十五分。最初はきらびやかな装飾が施された豪奢な廊下が続いていたが、いつの間にか壁はシンプルな白塗り、床は質素な木貼りへと変わっていた。そこからさらに足を進めると、足元は石造りになった。石造りと言っても、ソフィアが滞在しているエリアのような大理石貼りではなく、灰色のゴロゴロとした石だ。
「キーリス様。目的の場所はこんなに遠いのですか?」
「調べものをするなら、書庫がよいかと。政務官も何人かいるはずです」
「ああ、なるほど」
ソフィアは小さく頷くと、また無言でキーリス特級政務官の後を追いかける。書庫であればこのような目立たない場所にあることも納得できる。暫くそのまま歩き続け、キーリス特級政務官はひとつのドアの前で立ち止まった。
「こちらですよ」
ドアが開き、ソフィアは部屋の中に入った。室内はシーンと静まり返っていた。広い部屋には背の高い書棚が何台も並んでいる。その書棚には、たくさんの本が収納されていた。
「誰もいらっしゃいませんわ」
「おかしいですね? 奥まで見てみましょう」
キーリス特級政務官が構わず奥へと進むので、ソフィアは仕方なくその後に続く。最奥まで行ったが、やはり誰もいなかった。
「やっぱり誰もいませんわ。戻りましょう」
ソフィアが踵を返そうとしたとき、ぐいっと腕が引かれた。
「キーリス様?」
ソフィアは腕を掴むキーリス特級政務官を訝しげに見上げる。キーリス特級政務官は、苦々しい表情をしていた。
「三次選考で大人しく帰ればよかったものを。あなたは色々と、知り過ぎた」
「え?」
腕を掴んでいない方の手がこちらに伸びてくるのを見て、ソフィアは体を硬直させた。なぜだかわからないが、その光景に既視感を覚えて恐怖を感じ、力一杯突き飛ばす。
そういえば、さっきキアラはキーリス特級政務官にリアンヌが『聞いていない』と詰め寄っていたと言っていた。なにを聞いていなかったのだろう。もしかして、自分が重大な国家犯罪に手を貸していたことに対してではないだろうか?
「来ないで!」
「ここは誰も来ません。なにも怖くはありませんよ。少しだけ忘れて、元の生活に戻るだけです」
ひっ、と声にならない音が口から洩れる。少しだけ忘れる? 何を忘れるかなんて、聞かなくてもわかる。きっと、王都に来てからの記憶を消そうとしているのだ。
「嫌! 来ないで!」
逃げようと後ずさると、背中に本棚がトンっと当たった。ソフィアは咄嗟に、力いっぱい本棚を揺する。収納されていた本が崩れ落ち、キーリス特級政務官が避けるように手を離して顔の上に腕を上げた瞬間、ソフィアはおもいっきり体当たりして逃げ出した。
「待て!」
王宮にいるため少し華やかなドレスを着ているのが邪魔だった。スカートの裾を掴まれ、体がガクンと倒れる。
「ボブ!」
咄嗟に叫んだのは、最愛の人の名だ。
「ボブ! 助けて!」
また忘れるなんて、絶対に嫌だ。まだ僅かな時間しか共に過ごしていないけれど、それは全てソフィアにとって美しく彩られた記憶となっている。雨の中を手をつないで走ったことも、頬を触れられたときのときめきも、抱き寄せられたときの幸福感も、あの魅惑的な香りも、全部忘れたくない。それに、ヴィヴィアンがこのまま犯人にされるなんて絶対に許せない。
(どうにかして逃げ出さないと)
ソフィアはスカートの裾を力いっぱい引く。ビリっと布が裂ける嫌な音がしたけれど、そんなことを気にしている場合ではなかった。
「おいっ! 待て!」
なおも追ってくるキーリス特級政務官に向かって、力いっぱい本棚を押して倒す。
(どうしよう。どうしよう……)
女性と男性では、力の差は明らかだ。早く逃げ出さないと、取っ組み合いになれば負けることは目に見えている。無我夢中で出口を目指し、取っ手に手をかけようとしたところで背中を強く引かれて引き剥がされる。
「やめて!」
スカートが捲れ上がるもの気にせず、思いっきり蹴り飛ばす。貴族令嬢とは思えぬその動きに、キーリス特級政務官は顔を憤怒に染めた。
「このっ!」
手が伸びてきたのが見えて、ソフィアは咄嗟にぎゅっと目を閉じた。
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