第44話 アーサー王子とロバート王子

 ソフィアを部屋に送り届けた後、ロバート王子はその足で兄のアーサー王子の元を訪ねた。王宮の奥深く、王族と限られた側近しか立ち入れないエリアにその部屋はある。眩いばかりの金箔で装飾された豪奢な扉も、今日はなぜか物寂しく見えた。


「兄上、ロバートです」

「──入れ」


 そっと扉を開けて中に入ったロバート王子は、ソファーに体をもたれ掛けている兄の姿を見て息を呑んだ。

 いつも凛々しく、少しニヒルにも見える微笑みを浮かべているアーサー王子は、常に自信に溢れている。しかし、今はその真逆にも近い姿だった。梳けば金糸のような髪は掻きむしられて乱れており、ほとんど寝ていないのか目元には濃いくまができていた。そして、視線は虚ろでまるで別人のようだ。


「あの子はどうなった?」

「無事です。先ほど目を覚まし、部屋に戻りました」

「そうか……」


 アーサー王子はそれだけ言うと、黙り込んだ。普段はきちんと着こんでいる服も、今日は乱れている。


「兄上、その後捜査は進んでいますか?」

「進んでいるもなにも、キーリスはヴィーが犯人だと言っている。なんでも、ティーポットからも毒は出なかったらしい。さらに、予備で運んだ空のティーカップにも毒は付着していなかった。となると、あの場にいた全てのもののティーカップに毒を混入できたのはヴィヴィアンだけだと」

「…………。ヴィーは今どうしているのでしょう?」

「会えないからわからぬ。恐らく、ヴィーには俺の呼ぶ声が聞こえているはずだが。ミレーは一緒にいるはずだ」

「父上はなんと?」

「『信じられぬ。王太子として、しっかりと調べよ』とだけ」


 再び黙り込んだ兄を見て、ロバート王子は口を一文字に結んだ。

 ヴィヴィアンが一番怪しいとされるのは、ロバート王子にも理解できた。井戸の水はもちろん、運んできたお湯にも毒は混じっていなかった。茶葉も問題ない。

 それに加えてティーポットとティーカップも問題なかったのであれば、あの場で全てのティーカップに手を触れたヴィヴィアン以外に毒を混入できたものはいない。


「キーリスは、ヴィーと恋仲になったお前がわたしを亡き者にしようとしたと言った」

「なんですって?」

「これまでの様々な暗殺未遂は、ヴィーとお前が黒幕だと」


 ロバート王子は言われていることがすぐには理解できず、暫し呆然とアーサー王子を見返した。そして、その意味を理解すると急激に怒りが湧いてきた。


「あり得ません! わたしがなぜそんなことを!?」

「ヴィーと王座を手に入れるためだ」

「兄上!」


 アーサー王子は無言で、睨みつけるロバート王子を見返す。そして、力なく笑うとゆるゆると首を振った。


「すまない。ロバートのことを本気で疑っているわけではないんだ。ヴィーのことも、無実だと信じている。ただ、誰が味方で誰が敵なのかがさっぱりわからない」


 力なくそう言ったアーサー王子は項垂れるように目を伏せる。


「ヴィーは無実です。彼女は兄上を心から愛しています。ヴィーはわたしが兄上の姿を借りて姿を現すと、いつも目を輝かせてこちらを見つめ、その後に少し落胆したような表情を浮かべます。兄上を慕っているからこそです」


 ヴィヴィアンはたとえロバート王子が姿を変えていようとも、その声を聞けばすぐに本人かどうかを判別できる。嬉しそうにこちらを見つめるヴィヴィアンが、少しがっかりしたように落胆する様子を、ロバートは何度も目にしてきた。


 ロバート王子はアーサー王子の向かいにあるソファーに座ると、身を乗り出すように両膝に肘をついた。


「事態を最初から整理しましょう」

「ああ」

「ここ数年、兄上への暗殺未遂が続いていた。しかも、かなり王家の中枢部に近いものが黒幕にいるとしか思えないような方法で」


 食事に毒、呪いの貢ぎ物、歩行中の落下物。その方法は多岐にわたった。


「今回の花嫁選考会ですが、誰の発案でしたか?」

「キーリスだ。なかなか捕まらない犯人を炙り出そうと」

「それで炙り出された犯人が、ヴィーだと。──ヴィーの刺繍を切り刻んだ犯人は、たしかギルモア公爵令嬢でしたか? 二大貴族のギルモア公爵家とエルマー公爵家の両方が今回、不祥事を出したことになる」

「──偶然とはいえ、妙だな」


 アーサー王子の表情が、途端に険しくなる。今回の花嫁選考会で、二大公爵家が共に王家からつま弾きにされるようなことをしでかしたのだ。

 トントントンと、形のよい指が忙しなくテーブルを叩いた。

 アーサー王子は元々、とても理知的で頭の回転が速い。恋人と弟の裏切りを仄めかされて精神的に参っていたが、冷静に状況を整理し始めた今、目まぐるしく思考を回転させていた。


「最初の刺繍を切り刻まれたとき、もしもヴィーがギフトを使わなかったらヴィーは落選した。それに、ミレーやソフィア嬢も落選の可能性が高かった」


 アーサー王子は考えを纏めるように、事実を復唱してゆく。


「つまり、対外的には花嫁選考会は妃選びとしているのだから、ヴィーはその候補から外れることになったわけだ。ミレーはまあいいとして、ソフィア嬢はお前と親しくなる前に田舎に帰っただろう。そして、ギルモア公爵令嬢はあのようなことをやらかしたとして、王族の婚約者対象者から永遠に追放された。もう有力貴族との良縁は望めないだろう」

「そうですね。ただ、本人は否定しているそうです」

「らしいな。お茶会では、下手をすればその場にいた婚約者候補たちが多数死ぬ可能性があった。席は自由席だったか?」

「そうです」

「では、相手は選べるのだな。そこには犯人の他に、ヴィーとミレー、それにソフィア嬢を含む複数のご令嬢がいた。あとは、俺だ。正確に言うと、俺の姿をしたロバートだが、向こうにそれはわからない」


 順序立てて考えると、だいぶすっきりとしてくる。犯人が一貫してターゲットとしていているのは、アーサー王子とヴィヴィアンだ。そして、アーサー王子のことは亡き者にしようとしている。


「もう一度、事実関係を洗う必要があるな」


 アーサー王子はすっくと立ち上がったが、考え込むように動きを止めた。


「この捜査、ロバートに指揮を任せてよいか? 内密に動け」

「承知しました。姿が変えられるわたしが一番適任でしょう」


 ──内密に。


 アーサー王子の意図するところを理解すると、ロバートはしっかりと頷き返した。

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