第39話 お茶会②

 

 ティーカップを渡されたソフィアは、すぐに違和感を覚えた。

 いつものフルーティーな香りに混じるのは、微かに香る刺激臭。ソフィアですら殆ど匂わないのだから、周りのご令嬢は全く気が付かないだろう。


(なにかしら?)


 ソフィアはティーカップを自分の前に寄せる。神経を研ぎ澄ませても、殆どわからない程度の僅かな香りだ。テーブルを見渡すと、ヴィヴィアンが淹れた紅茶のティーカップはテーブルの大半以上に行き渡っていた。


(気のせいかしら?)


 もう一度鼻に意識を集中させた。ヴィヴィアンの淹れてくれた『マリアージュ』を何度も口にしたが、やはり違和感が残る。そうこうするうちにテーブルの全員にティーカップが行き渡った。


 ソフィアは少し迷ってから、まわりに気が付かれないようにこっそりと自分の前のティーカップからティースプーンで一滴分を掬い上げ、それをペロリと舐めた。いつものように仄かに甘く、芳醇な味わいが口に広がる。


(美味しい。気のせいだったわ)


 ホッとしてテーブルを見渡す。中央にいるアーサー王子がにこやかにテーブルを見渡し、始めの合図で片手を挙げる。


「では、始めよう」


 皆がティーカップに手を伸ばす直前、変化は訪れた。

 喉と胃が焼けるように痛い。体がぐらりと崩れそうになり、咄嗟にテーブルクロスを握った。テーブルの上の物が倒れてガシャンと音が響き渡った。大理石の床にぶつかった食器が粉々に砕け散る。


「きゃあっ!」


 周囲のご令嬢が突然様子がおかしくなったソフィアを見て悲鳴を上げる。

 ソフィアは体を支えていられず、テーブルクロスを握り締めたまま体を屈ませる。


「ちょっと、大丈夫?」


 驚いた様子のキアラが慌ててソフィアを支えようとしたが、支えきれずにソフィアは膝をついた。慌てた様子のミレーが駆け寄ってソフィアを抱き起こそうとする。


 気のせいではなかった。これを飲ませてはいけない。

 白いテーブルクロスは散乱した食器から溢れた紅茶を吸って、赤茶色に染まってゆく。


 視界が急激に狭まり、暗闇が広がってゆく。

 ヴィヴィアンは口元に手を当てて驚愕の表情で呆然とソフィアを見下ろしていた。

 ヒューヒューと口から空気が洩れる。息が苦しい。


「フィー! どうした」


 アーサー王子が焦ったように叫ぶのが聞こえ、体を抱き上げられる感覚がした。力強く、けれど宝物に触れるように優しく抱き寄せて。あの香りがソフィアの全身を包んだが、もはや瞼を開けることは出来なかった。


    ◇ ◇ ◇


 その翌日、王宮の一室ではアーサー王子が声を荒らげていた。


「ふざけるなっ! ヴィーがこのようなことをするはずがないだろう!」


 花嫁選考会で、飲み物に毒物が混入された。しかも、使われたのは無味無臭を謳う最上級の毒物だ。原液をそのまま飲めば一口で確実に死に至らしめることができるもので、そうそう手に入るものではない。


「殿下。しかしながら、あの場であの紅茶を淹れたのは他ならぬヴィヴィアン嬢でございます。たくさんの目撃者がおります」

「ロバートが淹れろと命じたから淹れたんだ。元々毒物が仕込まれていたに決まっている!」

「しかし、その証拠がない以上、最も疑わしきはヴィヴィアン嬢でございます」


 キーリス特級政務官はアーサー王子を諭すように、淡々と事実を告げる。


「それに、ヴィヴィアン嬢が犯人だとすれば色々と合点がゆきます。これまで、殿下の回りでは不可解な暗殺未遂が多発しておりました。ヴィヴィアン嬢はアーサー殿下の元になんら疑われずに入り込むことができた。全てはヴィヴィアン嬢が仕組んだのです」

「なぜヴィーがそんなことをする必要がある!?」


 アーサー王子は強い口調で問い返した。

 ヴィヴィアンはアーサー王子の恋人だ。度重なるアーサー王子への暗殺未遂事件を受けて、犯人の炙り出しのためにこのようなカモフラージュの花嫁選考会を開催したが、元々ヴィヴィアンが王太子妃になることは内定していた。つまり、こんな真似をしなくとも未来の王太子妃の立場が約束されていたのだ。


「私も色々と考えたのですが──」


 キーリス特級政務官は考えるように顎に手を当ててからアーサー王子を見つめる。


「ロバート殿下が原因ではないかと」

「ロバートが?」

「はい。ロバート殿下とヴィヴィアン嬢は幼なじみとして仲がよいですが、実はそれ以上の関係だったのではないかと。それに、王妃様の子供であるロバート殿下は第四王子とは言え、王位継承権が二位です。だから、殿下とソフィア嬢を纏めて手っ取り早く殺そうとした」

「なぜソフィア嬢まで?」

「ギフトの選んだ相手だということを盾にして側妻入りを騒がれては面倒だからでしょう」


 キーリス特級政務官は痛ましげに眉を寄せる。


「だが、あの場にいたのは俺の姿をしたロバートだ。その理論はおかしいのでは?」

「姿を変えていたので、ヴィヴィアン嬢はあれが姿を変えたロバート殿下だと気が付かなかったのでしょう」


 アーサー王子はギリっと奥歯を噛み締める。ヴィヴィアンが、姿を変えたロバートと本当の自分の見分けがつかなかった? 信じがたいことだ。

 キーリス特級政務官はアーサー王子へ同情するような眼差しを向けた。


「──アーサー殿下。信じたくないお気持ちはわかります。少しお休みください」

「…………」


 キーリス特級政務官が退室し、豪奢な部屋には項垂れるアーサー王子が一人残される。


「くそっ! なにがどうなっている……」


 アーサー王子の絞り出すような呟きは、広い部屋に掻き消えた。

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