第29話 最終選考の始まり③

「ボブ、どうしてここに?」

「フィーがここに着いたと聞いたから、様子を見に来たんだ。それに、──謝罪に来た」

「謝罪?」


 ソフィアはなんのことかわからず、首を傾げた。


「ああ。先日の三次選考で、フィーの刺繍が切り刻まれた件だ。犯人が捕まった」


 ソフィアはひゅっと息を呑み、目を見開いた。あの事件の犯人が捕まった?


「一体誰が、なんのためにあんなことを?」

「あそこにいた令嬢の一人がやったようだ。本人は知らないと言っているようなんだが、嫉妬ではないかと……。アーサー殿下がフィー達のテーブルで話している時間が長かったらしい。既に自宅謹慎処分になっているが……フィーには悪いことをした」


 ソフィアはそれを聞いたとき、おやっと思った。

 ソフィアはその匂いから犯人を緩やかにウェーブした黒髪のご令嬢だと思ったのだが、そのご令嬢は先ほどの集合場所にいた。ということは、真犯人は別の人間だということだ。


「一体、どなたが?」

「ギルモア公爵令嬢」


 ソフィアはその名前を聞き、もう一度ひゅっと息を呑んだ。ギルモア公爵家はヤーマノテ王国で最も由緒正しき公爵家の一つだ。この国には強い権力を持つ二大公爵家があり、一つがヴィヴィアンの実家であるエルマー公爵家、もう一つが件のギルモア公爵家だ。


「すまなかった」

「なぜボブが謝るの? あなたのせいではないのに」

「…………。近衛騎士の俺が、しっかりと各テーブルの時間を計ってアーサー殿下へ移動を促すべきだった」


 ソフィアはまじまじとボブを見上げた。

 頭一つ分近くソフィアより背が高いので、俯いていても顔がよく見える。唇を噛み、本当に後悔しているのが窺い知れた。

 なぜこの人がこんなにも後悔しているのだろう。いうなれば、これはとばっちりだ。

 昨日、順番にテーブルを回ってご令嬢達に声をかけていたアーサー王子の傍には確かに近衛騎士がいたが、ボブはいなかった。その場にいなかったのだから、ボブに非はないように思える。

 それでもソフィア達の作品が切り刻まれたことを悔しがり、こうして謝罪してくれる目の前の人に、なんだか心が温かくなるのを感じた。


「あなたのせいではないわ。でも、ありがとう」


 ソフィアは、ふとテーブルに置かれたポットを目に留める。


「ちょうどお湯が届いたの。一杯いかが? それとも、もう戻らないといけないかしら?」


 ボブは表情を綻ばせた。


「頂こう」


 ソフィアがティーポットに紅茶葉を入れお湯を注ぐと、中からは芳醇な香りがした。


「いい匂い」

「この匂い、好き? 王宮で一番よく使われている、ロイヤルブレンドだな」

「そうなの? とてもいい香りだわ」


 ソフィアは二人分のティーカップをならべ、紅茶を注ぐ。だんだんと嵩を増す紅色の液体が波紋を描いて揺れた。


「お砂糖は使う?」

「ああ。ありがとう」


 ソフィアが砂糖を差し出すと、ボブはそれを受け取りティースプーン二杯のお砂糖を入れてそれをかきまぜた。結構な甘党なのだなと思いながら、ソフィアはそれを眺める。そして自分の手元のティーカップを口に寄せ、一口含む。


「──美味しい」


 苦みが全くなく、すっきりと上品な味わいはこの紅茶が最高級品であることを窺わせた。貧乏なせいで安物の紅茶しか飲まないソフィアは、その違いに驚いた。


「だろう? 気に入ったなら、たくさん用意させよう」

「え、本当? ありがとう」

「どういたしまして」


 ボブはソフィアを見つめてにこりと笑った。

 ボブはいつも、目じりが下がってとても優しい笑い方をする。その笑顔を見たソフィアはまた胸がキュンとするのを感じ、胸に手を当てて首を傾げたのだった。


    ◇ ◇ ◇


 翌日のこと。

 ヴィヴィアンに誘われてお茶会に参加していたソフィアは、目の前のテーブルに置かれたティーカップを手に取った。中を覗くと、透き通った赤茶の液体が揺れている。口に含むと、甘い味わいが口いっぱいに広がった。


「わたくしの部屋の紅茶と、種類が違う気がするわ」


 昨日ボブに出した紅茶は芳醇な香りながらすっきりとした味わいだった。今日のこれは、フルーティーな香りがする。


「ええ、王宮侍女に言って用意してもらったの。わたくし、この紅茶が大好きなのよ。ヒムカ商会の特製茶葉『マリアージュ』よ」

「へえ……。よく飲まれるのですか?」

「ええ。よく一緒にお茶をする方がこれを好きだから」

「ふーん。美味しい」


 こくんと飲み込み、ほうっと息を吐く。些細なことだけれど、人に淹れて貰った美味しい紅茶はとてもリラックスできる気がする。昨晩からチクチクと痛む胃痛も少し和らいだ気がした。


「よかった」


 紅茶を淹れてくれたヴィヴィアンはふわりと笑う。珍しい金色の瞳が嬉しそうに細まった。


「ところで、今日の音楽の審査だけど、ミレーとフィーは何を? わたくしはピアノにするわ」


 テーブルの中央にあるクッキーを手元のソーサーに移し、ヴィヴィアンは手に付いたかすを落とすように指を払う。ソフィアはその様子を見ながら、また胃がチクリと痛み出すのを感じた。


 王宮滞在初日となる昨日の夕刻、王宮侍女を通して最初の選考試験項目が通達された。それは、ヤーマノテ王国の貴族女性にとって欠かせない教養のひとつ、音楽だ。本日の夕方、アーサー王子もいる広間で順番に一人ずつ披露することになっていた。使用する楽器、演目は自由だ。


「わたしはホルンにします」とミレーが言った。

「あら、いいわね。他の方とは被らないからいいアピールになりそう」

「ホルン? ミレーはホルンが演奏できるの?」


 にっこりと微笑むヴィヴィアンに対し、ソフィアは驚きの声を上げた。

 ホルンとは金管楽器の一種だが、貴族令嬢がたしなむ楽器としては一般的ではない。恐らく、庶民の女性だったとしても一般的ではないはずだ。音楽隊が貴族の屋敷で開催されるサロンに呼ばれて演奏したり、軍楽隊で演奏されたりするが、ソフィアが知る限りでは演者はいつも男性だ。


「はい、できます。結構得意なのです」


 ミレーはそういうと、朗らかに笑う。


「そう……」


 ホルンの演奏は、確かにヴィヴィアンの言う通り他のご令嬢と被ることがなくいいアピールになりそうだ。


(いいなぁ)


 ソフィアは胸の内で独りごちた。これは、ミレーにだいぶ後れをとってしまいそうだ。


「もしもミレーが最終的に選ばれたら、ヤーマノテ王国建国以来初の平民出身の王太子妃になるわね」


 これまで、王太子妃は隣国の王女、または公爵家か侯爵家から選ばれるのが通例だった。ソフィアの知る限りでは平民出身はいないはずだ。それを聞いたミレーはゲホゲホッとむせ返った。


「ちょっと、ミレー。大丈夫?」

「すみません、ちょっと驚いてしまって。わたしが王太子妃だなんて、あり得ません」


 ミレーがすかさずそう言ったので、ソフィアは驚いた。まるで、王太子妃という立場に興味がなさそうに見えたのだ。


「ミレーは王太子妃になりたくてここにいるのではないの?」

「違います」


 ミレーはさばさばとした様子でそう言い放った。

 ミレーは平民だけれども、父親は王宮に勤めているそうだ。つまり、平民の中では特権階級だ。となると、ミレーは父親にこの既得権をさらに盤石なものにするように王太子妃を目指すように命じられたに違いないとソフィアは考えた。


「まあ。それは気が利かずに変な質問をしてしまってごめんなさい」

「いえ。お構いなく」


 ミレーは朗らかに笑う。その笑顔はいつもと変わらず自然に見えて、ソフィアはホッとした。


「でも、アーサー殿下の目に留まって側妻として迎え入れられるかもしれないわ」


 ソフィアがこそっと囁くと、ミレーは心底驚いたように目をみはる。


「あり得ません」

「あり得ないわ!」


 ミレーとヴィヴィアンの悲鳴に近い断言がほぼ同時に響き渡る。

 ソフィアはその二人の反応に圧倒されてしまった。


「え? でも、王太子殿下は側妻も娶れるでしょ? だから、気に入られたらわからないじゃない? ミレーは綺麗だし」

「絶対にありません!」

「そうよ。ないわ!」

「そ、そう?」


 手をブンブンと振り全否定するミレーとヴィヴィアンを、ソフィアはポカンとして眺めたのだった。

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