第28話 最終選考の始まり⓶

 皆、牽制し合うように周囲に視線を走らせる。


「ここからは事前に書面で通知したとおり、王宮で過ごしていただき、その中でいくつかの項目についてチェックさせていただきます。具体的には音楽の素養、お茶会の作法、ダンス、日々の生活態度です。また、滞在中はご自由にお過ごしいただいて構いませんが、折をみてアーサー殿下が皆さんのもとを前触れなく訪れます。自然な姿を知りたいというご意向です」


 ソフィアはこくんと唾を呑んだ。


 わざわざ王宮に滞在させて日常の生活態度を見るということは、ここにいる間は一挙手一投足を未来の王太子妃としてふさわしいかどうか、誰かしらが監視しているということだ。それに加えて音楽やダンスなども技術力を見るといっている。

 さらに注目すべき点はアーサー王子が突如訪ねてくる可能性があるということだ。ここでアーサー王子との距離を縮めることに成功すれば、かなり選考に有利になることは想像に難くない。


「二週間後の夜に小規模な舞踏会を開催いたします。そこで、アーサー王子がファーストダンスに誘った女性が最終的に選ばれた女性です。ご質問はありますか?」


 説明を終えたキーリス特級政務官が部屋の中を見渡す。皆シーンと静まり返っていたが、一人のご令嬢がおずおずと手を挙げた。


「アーサー殿下は全員に平等に会いに来てくださるのですか?」

「全員に一回は会いに行く予定ですが、二回目以降は殿下の御心次第です」

「こちらからアーサー殿下をお茶にお誘いしても問題はありませんか?」

「構いませんが、行かれるかどうかも殿下の御心次第です」


 なかなかシビアだな、とソフィアは思った。つまり、アーサー王子と一度会ったチャンスを上手くいかせずに興味を持たれなければ、王子は二度と会いに来ないし、誘っても来てくれる保証はないと言っているのだ。


「お連れになった侍女の方とは別に、王宮侍女も皆様のお世話をさせていただきます。生活のことで困ったときは彼女達になんなりと申し付けください。王宮内は立ち入り禁止区域を除き、好きに歩き回っていただいて結構です。立ち入り禁止区域は施錠されていますからすぐにわかるかと。他にご質問はありますか?」


 キーリス特級政務官がぐるりと部屋を見渡す。ご令嬢達は誰も手を挙げなかった。


「それでは、これより皆様を部屋へとご案内します」


 キーリス特級政務官が片手を挙げて手招きするようにゆったりと動かす。その場にいたご令嬢達が一斉に立ち上がり、カツ、カツと床を鳴らす小気味いい音が鳴り響いた。


 案内されたのは王宮内にある来客用の客室だった。長い廊下には同じようなドアが等間隔に並んでいる。一人、また一人とご令嬢が政務官に廊下に並ぶ部屋へと案内され、ソフィアが宛がわれたのはちょうど真ん中らへんの部屋だった。


「お連れの侍女の方はもう少ししたらいらっしゃるかと思います。侍女の方は続き間の寝室をお使いください。部屋に備え付けられているものは全てご自由にご使用なさって構いません。部屋にある以外の銘柄でご希望の茶葉があれば、それもご用意します。お湯を使いますか?」


 ソフィアを案内したまだ年若い政務官は、部屋の入り口からティーセットが置いてあるテーブルを指し示す。


「ええ。お願いしていい?」

「かしこまりました。すぐに侍女に申し伝えます。それでは、どうぞごゆっくり」

「ありがとう」


 ソフィアは軽く会釈して案内してくれた政務官を見送る。

 部屋の内部はさほど豪華ではないが、使用している調度品は全て一目で上質なものとわかる高級品ばかりだ。艶やかに光るテーブルの上には籠が置かれ、中には瑞々しいフルーツが入っていた。その脇には水の入ったタンブラーとグラス、そして茶葉とティーセットが置かれていた。


 トントントントンとノックする音がしてソフィアはドアを開けた。王宮侍女がポットにお湯を入れて持ってきてくれたようだ。


「お湯が足りなくなったら、遠慮なくお申し付けください。近くにいなければそこのベルを鳴らしてくださいませ」


 部屋の入り口の壁には、ベルが引っ掛けられていた。王宮侍女が見当たらない時もこれを鳴らせば誰かが来てくれるのだろう。


「ええ、ありがとう」


 ソフィアはお湯が入ったポットを受け取ると、お礼を言う。ポットは熱をつかさどるギフトの加護でも受けているのか、中は熱々なのに表面は熱くなかった。

 ポットをテーブルに置くと、ソフィアはなんとなく籠に入ったオレンジに手を伸ばし、その皮をむいた。周囲に甘く、爽やかな香りが漂う。


 ソフィアを惹きつけて止まない香りは柑橘の香りに似ているけれど、もっと魅惑的だ。上手く説明できないけれど、まるで魂を捕らわれたかのように、強く惹きつけられる。


(一体あれはなんの香水なのかしら? 柑橘に似ているようで違うのよね……)


 皮をむいたオレンジを一口かじると、口の中にじゅわっと甘さが広がった。窓の外には、綿のような白い雲がゆっくりと右から左に流れているのが見える。雲の背後には抜けるような青空が広がっていた。


(庭園は自由に歩き回ってもいいのよね?)


 ソフィアは窓際に寄り、外を覗いた。


 二階に位置するこの部屋からは王宮の庭園がよく見えた。芝生が敷かれた庭園が広がっており、四角く剪定された木が左右対称に美しく配置されている。そして、芝生の一角には花が植えられているのが見える。花の色まで計算しつくされた、美しい庭園だ。さらに、合間には彫刻が飾られていた。


 ソフィアの実家であるマリオット伯爵家はこの十年、庭師も雇えなくて庭はほぼ畑と化していた。友人の家で手入れされた庭園を目にしたことは何度かあるけれど、こんなにも美しい庭園を見るのは生まれて初めてだ。いつまででも見ていられるような、不思議な魅力がある。


 そのとき、ドアをノックする音が再び聞こえた。ソフィアはメルがやっと部屋に来たのだと思い外を眺めたまま「どうぞ」と軽く返事をした。


「メル、庭園がとても綺麗よ。たくさんお花が咲いているわ」


 ソフィアはメルに声をかける。しかし、返事がない。それに、なんだか爽やかな香りがする。今さっき噛り付いたオレンジと似て、少し違う……。


「──そうだな。今度、フィーを案内しよう」


 鼓膜を揺らす低い声に、ソフィアは驚いて振り返った。


「ボブ!」


 そこには一昨日、屋敷まで馬車で送ってくれたボブがいた。

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