第26話 メルの情報


 リンギット子爵邸に戻ったソフィアは、部屋でゆっくりとしながらメルと今日あったことを話し合った。


「まあ! では、ソフィア様の作品が何者かに切り刻まれたと?」

「そうなのよ。でも、犯人がよくわからなくって」

「許せませんわ!」


 メルは怒りで顔を赤くして悔しがる。

 思い返してみても、あれは本当に酷かった。よくもまあ、人の作品を躊躇なくザクザクと切り刻んでくれたものだ。


「でも、犯人はよく誰もいないうちに切り刻めましたわね? お昼休みとはいえ、そんなに部屋が無人になる隙はなかったでしょうに」


 メルは不思議そうに首を傾げる。


「そうなのよね……」


 メルが指摘したことは、ソフィアも気になっていたことだ。ソフィア達はそこまで長く席を外したわけではない。ソフィアの予想では、犯人はあの黒髪のご令嬢で間違いないが、時間が限られていたのは彼女も同じはずなのだ。


 黙り込んで考えるソフィアに、メルが内緒話をするように顔を寄せた。


「わたくし、今日、ソフィア様を待っている間に気になることを聞いたのです」

「気になること?」

「はい。ソフィア様が本日仲良くなられたという、エルマー公爵令嬢のヴィヴィアン様のことです」

「ヴィヴィアン様の、いったいどんな?」

「ヴィヴィアン様は、アーサー王子の恋人だったと」

「恋人? ヴィヴィアン様が?」


 ソフィアはにわかには信じられず、メルを見つめ返した。


「ヴィヴィアン様は公爵令嬢よ? 恋人だったのならば、結婚することになにも問題はないはずよ。こんな花嫁選考会をする理由がないわ」

「はい。だから、もっぱら社交会では二人が破局したのではと噂になっていたそうです。ところが、今回の選考会にヴィヴィアン様が参加されたでしょう? だから、振られたヴィヴィアン様がアーサー王子への未練を断ち切れずに追い縋っているのではないかと」

「追い縋る……」


 今日の昼間、ソフィアとヴィヴィアンが座るテーブルにもアーサー王子はやってきた。ヴィヴィアンにそのことを伝えたとき、ヴィヴィアンはアーサー王子のことを咄嗟とっさに『アーティー』と呼んだ。王太子を愛称で呼ぶなど、その親しさ具合は自然と窺い知れる。


 ただ、『追い縋る』というのには疑問を覚えた。ソフィアは今日の昼に見た二人の様子を思い浮かべる。彼らからはぎこちなさや険悪さは一切感じなかった。むしろ、『文鳥』を刺繍するといったときの二人の意味ありげな態度は、親しさを感じさせた。しかし、それはあくまでも友人であるかのような雰囲気で、恋人同士のような甘さはなかった。


「それ、本当に?」

「複数の侍女の方が同じようなことを仰ってましたから、信頼性は高いかと」

「そう……」


 腑に落ちない様子のソフィアの方に、メルはさらに身を乗り出す。


「だからわたくし、先ほどのことを聞いてヴィヴィアン様が怪しいのではないかと思いまして」

「なんですって?」

「だって、考えてもみてくださいませ。ヴィヴィアン様は『修復』のギフトがあるなら作品を傷つけられても困りません。むしろ、意地悪なことをされても黙って耐える可哀想なヒロインといった演出になりますわ。それに、お昼を食べに行ったときにヴィヴィアン様は席をはずしたのでしょう?」

「ええ、……まぁそうね。でも、どうしてわたくしやミレーの作品まで?」

「一人だけ切り刻まれるのもおかしいから、同じテーブルの方を巻き添えにしたのでは?」

「うーん……」


 ソフィアは腕を組んで天井を見つめた。真っ白な天井から釣り下がるランプの中で、炎が揺らめいている。


(本当にそうなのかしら?)


 ヴィヴィアンがあれをやった? ソフィアには、あのときの顔面蒼白な様子が演技だとは思えなかった。


 それに、腑に落ちないのはソフィアの作品からはヴィヴィアンの匂いはしなかったことだ。ソフィアの鼻はとても利くので、触られてさほど時間が経っていなければ残り香を感じるはずだが、切り刻まれた作品からはヴィヴィアンのものとは明らかに異なる香水の匂いしかしなかった。


「あと、あの嫌な二人組についても調べてきましたわ。昨日、ソフィア様と口論になりかけた」

「ああ、あの二人。どこのご令嬢なの?」

「茶色い髪に赤い髪飾りをつけた方がスリーサン伯爵令嬢のキアラ=スリーサンですわ。今日、わざわざ馬車を停めて嫌味を言ってきた方」

「あの方、伯爵令嬢だったのね」


 ソフィアは顔をしかめた。よっぽど高位貴族なのかと思っていたら、同格の伯爵令嬢だったとは。


「もう一人はミルシー=サンワート。サンワート子爵令嬢です」

「サンワート子爵令嬢……」

「キアラ様とは幼なじみのようですわ」

「ふーん。なるほどね」

「そのサンワート子爵家は鉱山事業の失敗で、今資金繰りが苦しいらしいですわ。サンワート子爵は爵位売却の危機で金集めに奔走しているとか。こちらのことを貧乏貴族とバカにするような態度を取りながら、自分達だって同じだったのですわ」


 悔しそうに歯ぎしりするメルを、ソフィアはしげしげとみつめる。


「メルってば、たった一日でそんなに情報を集めるなんて凄いわね。女スパイになったら凄腕なんじゃない?」


 メルがこれらの情報を集めたのはたった一日だ。ソフィアが黙々と刺繍と裁縫を行っている間、色々な侍女たちと会話して言葉巧みに聞き出したのだろう。いくら『安心』のギフト持ちとはいえ、なかなかできることではない気がする。


「え? いやですわ、ソフィア様ったら!」


 褒められたメルの頬はほんのりと赤くなり、顔に両手を当てていやいやと顔を横に振る。『いやですわ』と言っている割にはまんざらでもなさそうに見える。


 ソフィアは立ち上がり、窓の外を見た。すっかりと夜のとばりがおり、雲がかかった月がぽっかりと空に浮いているのが見える。


「送ってもらえてよかったわ」

「そうですわね。助かりました」


 もしあのまま町を目指していたら戻る頃には真っ暗になっていたし、ソフィアを迎えに行こうとしていたコーリアとすれ違いになるところだった。


(親切な人だったな)


 こちらを見つめてにこりと微笑む、ボブの顔が脳裏に浮かぶ。すると、胸がキュンとした。見た目はアーサー王子と全く違うし、たった少し話しただけなのにいったい自分はどうしてしまったのだろう。


 ソフィアは視線を外すと、窓際に置かれた花瓶に生けられたリモネの花に目を留めた。


(王都のリモネって、マリオット伯爵領のものとは品種が違うのかしら?)


 リモネは切り花にすると日持ちの悪い花だ。それにもかかわらず、アーサー王子との出会いの日に摘んでいたリモネの花は、丸二日も経った今日も摘み立てのように瑞々しく咲き誇っていた。

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