第25話 帰路にて

 王都の治安は決して悪くないと聞いているが、夜道を女だけで歩いては何があっても文句は言えない。

 しかも、よりによってこの格好。花嫁選考会に参加するために、持っている中でも特に上等なドレスを着ている。貴族令嬢もしくは金持ちのご令嬢であることは一目瞭然だろう。


 背後からは王宮を出てきた馬車がひっきりなしに追い越してゆく。そのうちの一台がソフィアの横に停まったので、ソフィアは不審に思って顔を上げた。馬車の小窓がパシンと開いたのを見て、心の中で「げっ」と声を上げた。


「あらあら、こんな夕暮れ時に歩き回っている方がいらっしゃると思ったら、あなたでしたのね。田舎にずっといると知らないかもしれませんけれど、都会では移動は馬車に乗りますのよ。覚えておくといいわ」


 馬車の中から勝ち誇った笑顔でこちらを見下ろしているのは、赤い髪飾りの女だ。


「よろしかったら乗せて差し上げましょうか?」

「結構よ。間に合っていますから」


 この女の世話にだけはなりたくない。ソフィアはツンと澄ましてそう言い切った。


「あら、そう。昼間にあんなことがあったし手助けをと思ったのに、田舎の方が考えることはよくわかりませんわ。ごきげんよう」


 車輪の音を響かせながら、馬車が颯爽と去ってゆく。その拍子に泥がドレスに跳ねた。


(あったま来るわね!)


 ソフィアは両手でパンとドレスを叩く。あの女、許すまじ。横で困惑気味にそのやり取りを眺めていたメルが、「ソフィア様。『あんなこと』ってなんのことですの?」とおずおずと尋ねてきた。


「ああ、実はちょっとした事件があったのよ。お昼ご飯を──」


  ソフィアが事情を話し始めようとしたそのとき、またしても後ろから走ってきた馬車がソフィア達の横に停まった。


(もしや、さっきの頭にくる赤い花女の友達の、ぽっちゃりの女?)


 ソフィアは咄嗟に身構えた。しかし、馬車から姿を現したのは思いがけない人物だった。


「ソフィア嬢。それに侍女の方も。こんな夕暮れ時に女性二人だと危ない。送るから乗ってくれ」


 そこに現れたのは先ほどの近衛騎士だった。

 驚くソフィアに、彼はもう一度「通行の邪魔になるから早く乗って」と促した。


「あの……、ありがとうございます」

「構わない。なにかがあってからでは取り返しがつかないから」


 ソフィアはおずおずと馬車に乗り込むと、チラリと斜め前に座る近衛騎士を窺い見た。ふわりとした茶色い髪は柔らかそうで、思わず触りたくなる。鮮やかな青い瞳の少し垂れた目元は優しそうな印象を受ける。


(この香り、本当にいい匂いだわ)


 ほのかに香るのはソフィアを惹きつけてやまない、爽やかで魅惑的な香り。アーサー王子を始めとする多くの男性が付けている香水だ。


「リンギット子爵家だっけ?」

「はい」

「よし。では、このままリンギット子爵家に頼む」


 近衛騎士が御者に声をかけると、馬車は颯爽と走り出した。


「あの……。馬車乗り場がひどい混雑でしたけれど、抜けて大丈夫なのですか?」

「大丈夫。部下に任せているから」


 近衛騎士は安心させるようににこっと笑う。その眼差しに、ソフィアは胸がドキンと跳ねるのを感じた。


 ソフィアは胸の鼓動を確認するように、右手を胸に当てる。


(何? わたくし、こんなに惚れっぽかったの!?)


 つい先日、大雨に遭遇したところを助けてくれたアーサー王子に胸を鷲掴みにされたような衝撃を受け、これぞ運命の恋だと思った。今日声を掛けられてやはりあの人はアーサー王子なのだと再認識し、頑張ることを胸に誓った。それなのに、数時間後には颯爽と現れた近衛騎士にときめいた? 


(ない、ない、ないわ!)


 自らの気の多さにソフィアは愕然とした。もしやこれは『ちょっと優しくされるとすぐ好きになっちゃう女』というやつではなかろうか? 


(絶対にそんなはずはないわ!) 


 ソフィアは青くなって自らに言い聞かせる。

 なぜなら、ソフィアは生まれてこのかた十八年間、アーサー王子に出会うまで胸のときめきなどただの一度も感じたことがなかったのだ。それなのに、これはもしかして変な方向に目覚めてしまった?


「ソフィア嬢は……」


 沈黙していた近衛騎士が声をかけてきたので、ソフィアは慌てて顔を上げた。


「以前王宮に来ていた時の記憶がないと面接のときに言っていたね。今も全く記憶はないまま?」

「ええ、そうなのです。何度が来たことがあるらしいのですが、全く覚えていなくて」

「そう……」


 近衛騎士は目を伏せると、暫し考え込むような仕草を見せてから再び顔を上げた。


「久しぶりの王宮はどう?」

「とても豪華で驚きました。わたくしは田舎の貧乏貴族ですから、本当はここに来ることにあまり気乗りしていなかったのです。でも、こんなにも素晴らしいところなら来てよかったわ」


 ソフィアは、馬車の外の移りゆく景色に視線を移した。既に日は落ちて、辺りはすっかりと暗くなっている。あのまま辻馬車を拾おうとしても、なかなか捕まえられなかったかもしれない。馬車の灯りに照らされて、沿道にはリモネが咲いているのが見えた。


「リモネだわ」

「リモネは今も好き?」

「はい。アーサー王子と出会ったときもリモネを摘んでいたのです。雨よけのコートをお返ししたいと思います」

「雨よけのコート? 俺から返しておこうか?」

「いえ。直接お返ししてお礼を言いたいのです」

「──そう。わかった、伝えておく」


 近衛騎士はすんなりと頷く。


 いつの間にか馬車はリンギット子爵邸の前に到着していた。門の中では、なかなか戻ってこないソフィア達を心配して、コーリアが迎えの馬車を出そうとしているところだった。


「コーリア叔母様、遅くなりました」


 ソフィアは馬車から降りると、コーリアに呼びかける。コーリアはハッとしたような顔をして振り返り、ソフィアの顔を見ると安堵したように微笑んだ。


「ソフィア! あまりにも遅いから、今迎えにいこうと思っていたのよ。よかったわ」

「親切な近衛騎士の方に送っていただいたのです」

「それはよかったわ」


 ソフィアが振り返ると、先ほどの近衛騎士はちょうど馬車を出そうとしているところだった。


「待って!」


 ソフィアは慌てて門の外にいる馬車に駆け寄った。動き出そうとしていた馬車がその声に反応して停まる。


「騎士様、お名前は?」


 ソフィアは二度も親切にしてもらいながら、まだ彼の名前すら知らない。窓から少し顔を出した近衛騎士は名を聞かれ、目を見開く。


「名前?」

「ええ」


 驚いたように言葉に詰まる近衛騎士を見上げ、ソフィアは小首を傾げる。


「……そうだな。ボブと呼んでくれればいい」

「ボブ様、ですね。お礼はなにを差し上げたら?」

「お礼? なんでもいい?」

「はい」


 ボブは口元に手を当てて考え込む。

 ソフィアはその沈黙をどうとらえればいいのかと戸惑った。

 正直、ソフィアの実家であるマリオット伯爵家は貧乏だ。大したものは渡せない。一番高価な私物は、子供の頃に買ってもらった貝彫刻の入った鏡だ。


「では、名前を。これからはソフィア嬢を『フィー』と呼ぼう。俺のことは先ほど言ったとおり、『ボブ』と。様はいらない」

「え?」

「お礼はなんでもいいのだろう? 決まりだな」


 ボブは楽しげに笑う。


「ああ、もう一つ。男に向かって『お礼はなんでもいい』などと言うのは以後禁止だ。では、またな。フィー」


 ボブはそう言うと、片手を挙げて顔の横で少し振る。ソフィアは豪華な馬車が走り去る後ろ姿を呆然と見送ったのだった。


    ◇ ◇ ◇


 一方その頃、王宮の一室ではキーリス特級政務官を始めとする多くの者達が険しい表情をして向き合っていた。テーブルの上にはたくさんの刺繍の力作が積み重なっている。そして、テーブルの端には切り刻まれた布切れも置かれていた。


「ヴィーの作品が切り刻まれたと言うのは間違いないのか? 昼に会ったときはそんなことは言っていなかったが」


 少し苛立った様子のアーサー王子がカツカツと人差し指でテーブルを叩く。キーリスはアーサー王子を見つめ、頷いた。


「間違いありません。この目で確認しました。ただ、ヴィヴィアン嬢はご自身のギフトで修復されましたが」

「よりによってヴィーの作品を狙うとは、いい度胸だな」

「ヴィヴィアン嬢の作品を狙ったかどうかはわかりません。切り刻まれた方はヴィヴィアン嬢を含めて三名おります。もし私がギフトを使うことを禁止すれば、恐らくヴィヴィアン嬢はここで落選でした」

「そんなことになったら、理由をつけてこの選考会は流す」

「──アーサー殿下。なんのためにヴィヴィアン嬢にまで協力していただきこの選考会を開催したとお思いですか……」


 キーリスは眉間を指で押さえながらはぁっとため息をつくと、アーサー王子を嗜めた。アーサー王子はムッとしたように眉を寄せ「わかっている」と呟くとドシンと背もたれに寄りかかる。


「他の二人は、残念ながらここで──」


 キーリス特級政務官がそう言いかけたところで、アーサー王子は「待て」と声をかけた。


「他の二人とは誰だ?」

「マリオット伯爵家のソフィア嬢と、同じテーブルにいたミレーですね」

「ミレーを落とすのはダメだ。さっき作品を見たが、それなりの仕上がりだったぞ。それに、ソフィア嬢も。──あの作品は多少個性的ではあったが」

「通過させますか? あのお二人よりよい仕上がりの作品は多数ありましたが……」

「ああ、させる。それに、この選考は作品のよしあしの問題ではないはずだ。このような嫌がらせ行為で被害者が落選すれば、行為を増長させる可能性がある」


 キーリス特級政務官は多少不満げな顔をしたが、アーサー王子に命じられて了承するように頭を下げた。


「ところで、以前の献上品に混じっていた例のものと同じ特徴の刺繍はあったのか?」

「残念ながら見当たりません。向こうも前回の失敗から同じ罠を二回仕掛けるのは避けたのかもしれません」

「そうか……。ここまでやっておいて今更だが、本当に今回の花嫁選考会でこちらが思う通りにことが動くだろうか?」

「必ずや動くかと。この後は選考に残った者達を王宮に滞在させますから、間違いなく何らかの動きがあるかと」

「なら、いいのだが」


 前代未聞の花嫁選考会。表向きはそういうことになっているが、この選考会の真の目的は別にある。ここ数年アーサー王子への暗殺未遂が多発しているのだ。これまでも年に一、二回の事件はあったものの、最近になって急にその頻度が上がった。毒、呪いの品、投石……。その手法も多岐に亘る。

 王宮の騎士団が懸命に調査をしたものの、黒幕のしっぽを掴むことは未だにできず、そこで考えられたのがこの花嫁選考会だ。多くの令嬢がアーサー王子に近づけるこの機会を黒幕が利用しないわけがないからだ。


 そして、ヴィヴィアンは元々のアーサー王子の婚約者であり、ミレーはその護衛に付けた女性騎士だ。


 アーサー王子は憮然とした表情を浮かべていたが、ふと思い出したかのようにぐるりと部屋を見渡す。


「さっきから、ロバートを見かけないな。どこへ行った?」

「ロバート殿下は帰宅するご令嬢の様子を見に行かれました」

「そうか。苦労をかけるな。ロバートには日中の令嬢達の様子を聞きたかったのだが、あとで聞くとしよう」


 第四王子のロバートは極めて貴重な『変身』のギフトを持っており、アーサー王子の近衛騎士だけでなく影武者も務めている。今日の日中も、ロバート王子が代わりを務めていた。


 アーサー王子は小さく息を吐くと、切り刻まれた布切れを摘まみ上げた。バラバラになったそれらの一部ははらりと床に落ちる。


「切り刻んだ犯人はわかっているのか?」

「現在調査中です。今夜中に明らかになるでしょう」

「全員を徹底的に調べろ。犯人は厳正に処分するように。それと、ミレーを呼んでくれ。今日のことについて、話を聞きたい」

「かしこまりました」


 キーリス特級政務官はアーサー王子に向かって、深々と頭を下げた。

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