3


「孝亮ッ!」


 叫んで、俺は自分の声で目を覚ました。


 暗闇を見渡し、ここが自分の部屋なのだと思い出す。


 あの事故から一月半。やっと退院して、今日自分の家に帰って来たのだった。時計を見ると、十一時五十分を示している。


「……イヤな、時間だな……」


 全身グッショリと汗に濡れている。額の汗を袖で拭って、再び枕に頭を埋めた。


 あれから繰り返し見る、事故当日の夢。その中で俺は何度も孝亮と約束を交わし、何度も嫌な予感を口にした。それでも、夢の中ですら孝亮を助けられず、何度も孝亮は俺の目の前で血にまみれてしまった。


 左の頬を触って、大きく縦に入ったキズを指先でなぞる。


 あの事故で、俺の左頬と左腕には、大きなキズか残った。いや、それよりも俺は、取り返しのつかない一番大事なものを、あの事故で失くしてしまった。


「――…孝亮……」


 右腕で両目を覆う。


 ドンッ!


 その瞬間。誰かが蹴った衝撃でベッドが揺れた。


 そして、もう一度。


「なんだ? 兄貴か? いつの間に……」


 帰って来た兄貴が、様子を見に来たのかと思った。大学に入ってから毎日帰りが遅いのだと、母さんがボヤいていた。


 でも、泣いた顔を見られたくない。


 元々孝亮は、兄貴の友達だ。孝亮の死でショックを受けているのは、兄貴も俺と一緒だった。俺同様、辛そうな顔をしている兄貴なんて、見たくなかった。


 だが予想を反した声が、上から降り注ぐ。


「おい。クソガキ」


 訊き慣れた声に、忘れられないその声に、俺は飛び起きた。


 そこには、やはり思ったとおりの人物が、立って俺を見下ろしていた。


「ウソだろ! おい。……孝亮! あんた、死んだはずじゃあ…」


 腕を組んだ孝亮は、カカッと笑って、片足をドン! とベッドの上に乗せた。


「ああ。死んだとも! 俺、幽霊なの。知ってっか? 幽霊にも足がちゃぁんとあんだぜ?」


 その足に腕をついて、俺に顔を近付けてくる。


「実は俺。ホントは、お前の顔も見たくねぇんだ」


 ニヤリと笑いなから、孝亮は囁くように低く言う。


「またそんな悪態コト言って。……死んでも変わんないのな、あんたは」


 暗闇に立つ、いつもと変わらぬ親友の姿。それを確かめるように伸ばした手を、孝亮が弾き返した。


「一言だけ言いたくて、ここへ来たんだ。それだけ言ったら、俺は消えてやんよ」


 俺の胸倉を掴んだ孝亮は、さらに顔を近付けてきた。


「お前、昼間あの十字路に来ただろう」


「え……、ああ」


「目障りだ! よけいな事すんじゃねぇ。いいか、あの場所へは、二度と来んじゃねぇぞ!」


 カッと目を見開き低く言った孝亮は、突き放すようにして胸倉から手を離した。


「なんで……そんな事……」


「ああ?」


「だって! あそこはあんたを見た最後の場所じゃないか。あんたの『思い』が残ってる場所じゃないか!」


「あんな場所にッ、俺の思いは残ってやしないッ!」


 聞いた事もないような鋭い声に、見た事もない程険しい顔に、俺は動けなくなった。


「俺等はもう、親友じゃねぇ! 俺は死んだんだぜ。……おい、知ってるか? バカ野郎が! 俺はなあ、あの晩、お前さえケツに乗せてなかったら、死ぬ事もなかったんだぜ! 今も、テメェの所為で地獄へも行けやしねぇ!」


「違う! 俺等は親友だッ!」


 シーツを掴んで叫んだ俺に、孝亮が目を剥いた。ガッと、乗せていた足で勢いよくベッドを蹴り上げる。


「寝ぼけてんじゃねぇぞ! いいか! あそこへは、もう二度と来んじゃねぇ! もし来たら……」


 ベッドに手をついて、ズイと顔を寄せてくる。


「お前のその命。無いものと思え!」


 俺の頬のキズを右手でなぞり、孝亮はそのまま姿を消した。

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