2
フウーと長く息を吐いた孝亮の口から、冷たい銀色の煙が夜の闇へと昇っていく。その行方を目で追うと、煙は空に浮かんだ月と同化して、消えていった。
木の柵に腰かけた孝亮の肩越しに、街のネオンがキラキラと光っている。
「この山からの夜景はイケるな」
呟いた俺に、孝亮はクスリと笑って、チラリと後ろのネオンを見遣った。
「なに? 僚紘。お前に景色を堪能する情緒なんてモンがあったのかよ?」
タバコをくわえたまま、目を伏せるようにした微笑み。
「バーカ! この景色を理解できないのは、あんたぐらいだよ」
言って、からかうような目で俺を見た孝亮の口から、タバコを奪い取る。
「だいたいなー、こんな
取り上げたタバコを咥える。ゆっくりと吸い込んで、ホゥと煙を吐き出した。
「カカッ。いんだよ、お前で。俺は景色じゃなく、バイク走らせに来たんだからよ。——それより、十六のガキがそんな美味そうにタバコを吸うんじゃねぇ」
その台詞に俺はフンと鼻を鳴らして、孝亮の隣へと腰を降ろした。
「何言ってんの。俺と二つしか違わない未成年が。それにこれ、俺に教えたのあんたでしょうが」
呆れて言う俺に、孝亮がククッとくぐもった笑い声をあげる。
「そうだっけ?」
ワザとらしくとぼけてみせて、孝亮は新しいタバコを取り出した。
「僚紘。火」
「なになに。自分で火ぐらい着けらんねぇのかよ、あんたは」
孝亮のタバコにライターを差し出しながら、溜め息混じりに言ってやる。
「さあてね。イヤなら、出さなくてもいんだぜ。別によ」
重い瞼を閉じるようにして笑う孝亮は、美味そうにタバコをのんでいる。それを見ていられなくて、俺は視線を逸らした。悔しさに、唇を噛む。
「なあ、孝亮」
「ん?」
顎を上げてフゥッと煙を吐く孝亮を、チラリと見る。
「ここを出て行くってのは、ホントなのかよ?」
「ああ?」
「昨日おばさんに会ったら、あんたが家を出るって言ってるって……」
「ああ」
足を組んだ孝亮は、そこに肘をついて顎を支えた。
「ホントだとも。やっと高校も卒業した事だしな」
なんでもない事のように言って口の端でタバコを咥えると、俺を見てニンマリと笑う。
「何かご不満でも?」
「……なんでだよ」
「なに?」
高校を卒業するというのに、進学も就職もしない孝亮を不思議に思ってはいた。だが、いつものいい加減な性格が出ただけなのだと思っていたから。
まさか、家を出ようとしているなんて、思ってもみなかった。
そして親友である筈のこの俺に、今まで何も言ってくれなかった事が只、悔しくて仕方なかった。
「なんで家出る必要があんだよ。どっか遠くへ行くつもりなのか?」
絞り出すように言った言葉に目を閉じた孝亮は、少しの間を置いてガリガリと頭をかいた。そうしてゆっくりと瞼を上げると、フイッと俺を見た。
「行くぜ。俺はレーサーになるんだ。イギリスでレーサーやってる叔父がいる。そいつんとこに行く事になってる」
「イギリス……!」
驚く俺から視線を外した孝亮は、ペッとタバコを吐き捨てた。
「二年だ!」
「えっ?」
ズイッと俺の目の前に、指を二本突き出す。
「二年でおっさんに俺を認めさせてみせる。そしたら、お前もイギリスへ来い!」
「はあ?」
再びニンマリと笑った孝亮は、眉を寄せる俺の胸に、コツンと
「お前はこれから高校卒業するまでの二年間、死にもの狂いでバイクの勉強するんだ」
「なんで?」
「この天才レーサーのバイクを整備すんのは、お前だ」
親指で自分を指差した孝亮は、勢いよく立ち上がった。
「二人なら、どこでだってきっと楽しめる。バイク乗って、タバコ吸って……。そうして…ずっと……。なあ僚紘。俺が、お前に世界を見せてやんよ」
自信満々の孝亮が俺を見下ろし、ついて来いと手を差し伸べる。
「勝手な事ばっか言いやがって! 人の人生まで勝手に決めてんじゃねぇぞ」
「そうか?」
俺は孝亮の手をガッと掴んで、立ち上がった。
「バッカやろ、孝亮。大事なモン忘れてるだろ」
「ん?」
「タバコにバイク。それに、あんたの大好きなビールもいるだろ?」
「ああ! そりゃ、欠かせないぜ。安心しろ。向こうのパブは世界一だ!」
俺と孝亮は目を合わせて、プッと吹き出した。
二人の影が、薄く揺れる。
曇り始めた空は、震える月を隠そうとしていた。
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