第37話 「 入れ替わる心の向かう先 」
「乗馬用の服は戦闘には向いていません。一端着替えられた方が良いかと思います」
そう言ったのはランスロウの娘リリスだった。
言われてよく見てみると、着っぱなしの服はあちこち汚れ気付かぬ所が切れていたりしている。みすぼらしいとまでは言わないが、お嬢様と呼ばれる人の格好にしては少しよれた感じが否めない。
鏡をまじまじと覗くと、部屋を出るときに見た美しい顔もどことなく疲れ汚れているようだった。疲れを感じていなくても体は疲れいるのかもしれない。
「長く使える体になったとは言っても、メンテナンスは必要だよ」
シャイアもそんな事を言う。
(メンテナンスか・・・)
今ではゾンビ村状態のその場所に光の加護はない。そんな場所へ赴くにあたって、戦闘になることも考えた服装は必要かもしれないと皐月も思う。そして、体を労るのも大切な事だ。生きた人なら自然と修復される体も、ゾンビならそうもいかないだろう。
着替えるついでにお風呂にも入ってから行こうと言うことになり、皐月は久しぶりに湯船に浸かった。この世界に来て初めてのお風呂だ。
猫足のバスタブに体を浸し泡にまみれてというのは初体験でリッチな気分になった。
リリスの助けを借りながら柔らかくなめされた革の服を着て、その上から少し重みのある編み込まれた金属を身につける。中世の騎士が着ていそうなジャラジャラした物は、意外に体に馴染み着てみるとそれ程重みは気にならなかった。
彼女は侍女のようにてきぱきと服を揃え、変わった作りの服を着せてくれる。
「何処にどんな服があるかよく分かりますね。あっ、嫌みとかじゃなくて・・・」
他人の部屋の物が何処に何があるかよく分かるわね・・・などと言っているように伝わってしまうのが怖くて、皐月は慌てて補足する。
「人の行動は似たようなものです。置き場所ってだいたい似たり寄ったりですよ、お嬢様」
誠実な笑顔を返してリリスがそう言う。変に勘ぐったりしていない感じが好感を持てた。
もしかしたら、この世界の習わしで何をどこに入れておくかおおよそ決まっているのかもしれない、とも考えてみた。
リリスの言う通りお風呂に入って良かったと、皐月は肌を撫でながら改めて思う。
ローションを塗った体から良い香りがしていて肌がしっとり潤い、すごく心地よい気分になった。それに、気分がリセットされたようなスッキリ感が得られた事も良かった。
髪の編み込みをリリスにしてもらっている時にグロリアが現れた。唐突に、皐月を押しのけて。
(グロリア!)
突然横へ押しやられた皐月は驚き、何事かとグロリアの心に手を伸ばす。
「リリス、貴方は知らなかったの?」
体の主導権がグロリアに移っていた。いや、戻ったと言うべきか。
グロリアは鏡台に置かれた髪飾りを手に取り、大事そうに見つめ懐かしそうにそれを撫でている。
髪飾りにまつわる記憶が湧き上がって、皐月の体を引っかきながら広がって行った。
ヒューイットの掌からグロリアの髪へ飾られ、水面に映り込んで煌めいている。彼の優しい瞳と気恥ずかしそうな仕草。それは、もう嬉しいだけの記憶ではなく、悲しみのベールをまとって心を締め付けた。
リリスがグロリアの肩越しに髪飾りを見つめている。鏡に映ったその姿を皐月は目にした。リリスの瞳がその髪飾りの持つ記憶を知っている、と言っているようだった。
「ヒューイットから何か聞かなかった? 彼の行動の変化に気付かなかった?」
振り返ってリリスの顔を見上げるグロリアが、彼女の表情に些細な変化がないかと注意しているのが皐月には分かった。
両目をふたつの小窓の様に、皐月とグロリアが揃って大写しのリリスを見つめる。
リリスはうなだれて首を振った。誠実な印象をたたえた彼女の瞳がグロリアからそれる。
重なるように側にいるグロリアの心にさざ波が立つのを感じて、皐月はそっとグロリアの心に触れてみた。
(ああ、リリスは・・・)
グロリアの無意識がリリスに関する記憶の断片を集め、皐月はリリスの気持ちに気付く。
(ヒューイットのことが好きだったのね)
常に距離を置いて、遠巻きにしながら心ときめかせているリリスの姿が幾つも漂う。グロリアは彼女の気持ちに気付かない振りをしていたのだろう。
「責めているんじゃないの、リリス。貴方なら気付いたんじゃないかって・・・。貴方なら防ぐことが出来たんじゃないかと思って・・・」
ヒューイットの近くにいたなら、思い人の変化に気付いたのではないか。そう言おうとしながらグロリアは口に出来ずに黙った。
私はラシュワールを継ぐ身、だから・・・
(夫となればヒューイットも戦いに出なければならないから?)
彼のために、身を引いたつもりだったのに・・・
穏やかで草花の好きなヒューイットの姿でグロリアの周りが埋まっていく。花を手折ることさえ悲しむその人に剣を持たせたくないと、グロリアの心が呟く声が聞こえる。
様々なグロリアの思いが皐月をかすめて行った。
「ごめん。これ、付けてくれる?」
「はい、お嬢様」
リリスが髪飾りを付けている間に、グロリアが皐月の側をそっと離れていくのが分かった。
皐月はグロリアの切なさにくるまれて悲しかった。声を掛けることも抱きしめることも出来ないことがもどかしかった。
グロリアは気配を消してしまい、皐月は今自分がしたいこと出来ることに気持ちを向けて動き出した。
あの村へ・・・。
馬にまたがって小さな隊列がゾンビ村へと向かって進んで行く。皐月とシャイアの後をマリウスとリリスが乗る馬が続き、その後を6人の騎士が着いて行く。
「空模様がいまいちだな」
そう言ったのはシャイア。
村に近づくにつれて雲が増えていくのが嫌な気配を感じさせた。
「光で清める訳じゃないから、曇ってても気にしなくていいんじゃない?」
皐月の言葉にシャイアが肩をすくめる。
「もしも奴が現れたりしたら君の持っている聖剣の方が威力がある。僕のは剣で触れる必要があるからな」
時空ドラゴンはあれからどうしているのか。
館から離れ光の加護の無い場所へ出向いていったら、あのドラゴンはまた現れるだろうか。
「厄介な相手だ・・・。もしもの時は、村の者達を天に帰すよ。光の力を使えるなら一気にね」
皐月の瞳をじっと見つめ確かめるシャイアに、皐月は黙ったままだった。
馬の背に揺られ心も揺れたが、生きた人の命と生き返る希望を持つ命・・・どちらを生かすかは明らかだ。頷かないながらも、口を真一文字にした皐月の表情を見れば腹をくくったと感じることは容易だった。
なだらかな丘を越えると、緩やかな下り坂の向こうに村が見えた。
近づいていくと村の入り口に騎士がひとり。皐月が村にいた時にやってきた騎士とは違う者が立っていた。
「シャイア様! お嬢様!」
若い騎士は体を堅くして最敬礼をする。
「いいよ、楽にして」
馬から下りながらシャイアが声を掛ける。しかし、敬礼をしたまま微動だにしない騎士にシャイアがため息を付いた。
館に着いたときの情景を繰り返す様が何だか滑稽で、皐月は声を殺して笑った。
「直ぐに本題に入りたいのに、いつもこうだ」
シャイアがうんざりした顔で「休め」と言って、騎士が休めの姿勢になる。
「コントを見てるみたい」
「コントって何?」
くすくすと笑う皐月にシャイアが疲れた顔を向ける。
「気にしないで」
シャイアが皐月に呆れて首を振る。こんなことで笑ってられるなんて・・・と言いたげだ。
「シャイア様!」
鋭い声と共にマリウスがシャイアの前へ走り出る。
「ぐっ・・・わ・・・・・・ぁ」
今話していた騎士が口から血を吐きくず折れた。
背を上から下へ、真っ直ぐな深く赤い筋が引かれている。地に倒れた騎士を吹き出る血がどくどくと包み込んでいった。
彼の後ろに立つゾンビ騎士が切った姿勢のままこちらを見ている。
「クロウ・・・お前がゾンビに・・・!」
マリウスの口から騎士の名がこぼれた。悔しさの滲む声に怒りがこもる。
先に動いたのはゾンビ騎士。
剣を抜かぬままかわすマリウスにゾンビ騎士が更に剣を振るい、リリスが剣を弾き上げた。
「マリウス!」
リリスの声にマリウスも剣を引き抜く。彼の表情が騎士のそれに変わった。
ゾンビ騎士とマリウスの剣は互角に見えてマリウスの方が上回っていた。ゾンビ騎士がマリウスの剣に圧され後退して行く、
「・・・・・・!」
最後の一撃・・・とマリウスが振った剣が目標を失い宙を流れた。ゾンビ騎士の姿が目の前からかき消えていた。
「消えたッ」
皐月達の後方にいる騎士達がざわつく。
ぎゃぁぁぁーー! ぐぉおぉぉ!!
村の中からゾンビの断末魔の声が響いてきたのは直後のこと。
「まさか・・・ッ」
皐月達は一目散に村の中へと走り込んで行った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます