第35話 「 安息 」
星が光を放ち始める頃、執務室の会話が滞った。
今の段階での話し合いはここまでかという空気が流れる。それを待っていたように、執事が夕食の準備が出来た事を伝えにやって来た。
当たり前のようにグロリアスと皐月にも声がかかり、ごねるグロリアスに執事も困り顔。
「当主のいないテーブルでは、皆さんもフォークを手にするタイミングが取りにくいかと・・・」
皐月は執事の言い分も分かる気がした。
きっと当主が食事を始めるまで着席した人々はフォークやナイフに手を触れない、そういうマナーがあるに違いないと皐月は思ったのだ。
同じようにゾンビとなった娘へ困り顔を向けるグロリアスに、皐月は苦笑いを返す。
ゾンビとなった体では食べ物がどれほど味気ないものか皐月は知っている。しかし、これは当主としての役割として逃れて良いものとも思えなかった。
「無理して食べなくてもいいですよ、グロリアス。飲む振り食べる振りをして、皆の話を聞きましょう。貴方がそこに居るだけで皆が安心できるんです」
柔らかな表情でシャイアが言う。
「やんちゃな坊やが・・・本当に大人になられたんですねぇ」
「やめてくださいよグロリアス。いくつだと思ってるんですかッ」
気恥ずかしそうに笑うシャイアがそらした目を皐月に向ける。そんなシャイアとグロリアスを見て皐月はなんとなくほっこりしていた。
「貴方に諭される日が来るとは、生き延びてみるものです。 ーーー死んでるようなものですが」
そう言ってグロリアスが目を細める。
「大丈夫、動き回る死人もそれほど長い時間ではないですよ。医師の手配が済んだら貴方を人に戻すつもりですから」
「私は最後で構いません。娘や人に戻すべき人から先にお願いします」
その言葉を聞いた皐月は、ゾンビ再生計画の許しが出たようなものだと思って、グロリアスへ期待の眼差しを向けた。その顔を見てグロリアスが渋い顔で笑う。
ドアの横で立つ執事の気配に、シャイアがドアをくぐり皆を促す。
普段なら当主グロリアスが先に行動するものだが、今は王子である自分が先に動かねばならない・・・とシャイアは気付かされる。
横を通るときに執事が微かに頭を下げる。その顔に、誇らしそうで嬉しい気配が含まれていた。白髪になってしまった彼も子供の頃のシャイアを知る人のひとりだ。
グロリアスと同じように、立場をわきまえた行動がとれるようになったと喜んでいるに違いなかった。
食事も済み、皆が割り当てられた自室へ戻って行った後、月の見えるテラスでシャイアとグロリアスが酒を傾けていた。
「不思議なもので、赤ワインだけは美味しいと感じる事が出来る」
グロリアスは柔らかな表情でワイングラスを月にかざし、ゆっくりと回す。至福の時と言った風情だ。
「光のドラゴンの声・・・聞きましたか?」
シャイアの質問にグロリアスが頷く。
「だいぶ成熟しているようでしたね」
そう言ってグロリアスが月の浮かぶワインを見つめる。
「ええ。 ーーー今この世にいるラシュワールを全部集めても、我々が手にしているドラゴンの力は少ないように思いました」
シャイアが思ったことを言い、グロリアスはワインの面を見つめる。その目に晩秋の気配が漂っているのを感じて、軽い口調でシャイアが続けた。
「きっと、我々の所有している力を掻き集めても、ドラゴンの体を覆い尽くす鱗の一枚分もないんじゃないかなぁ」
そう言って軽く笑ってみせる。
「しかし、契約はまだ有効のようです。ドラゴンの気分次第かも知れませんが・・・」
そこまで言って、グロリアスがシャイアへ目を向ける。
「お疲れでは? もうお休みになられた方がよいかと思いますよ」
「久し振りに美味しい食事にありつけて、お酒も振る舞ってもらって幸せです。今日はぐっすり眠れそうだ」
陰に隠れるように立っている執事にシャイアが合図をすると、グロリアスが軽く執事へ手を挙げた。
「お気遣いなく、私は眠くなりませんから。シュルツが疲れる前に部屋へ戻ります」
「それでは、私はこれで」
見送るために立ち上がろうとするグロリアスを手で制して、シャイアが彼の肩をそっと撫でる。
「シュルツ、大人しく従っていると時計の針が頂点を回っても寝かせてもらえないぞ」
「お気遣い感謝申し上げます」
普段から主人の寝た後に戸締まりや諸々のチェックを済ませ、寝るのは深夜に違いない。そう思いながらシュルツに笑顔を向けてシャイアは廊下へ出た。
廊下の数歩先に皐月が立っているのを見てシャイアが目を丸くする。
「立ち聞きとは淑女にあるまじき行為ですよ」
いたずらっぽい目を向けて表情をほころばせる。
「僕を待ってた? 嬉しいなぁ」
シャイアの言いそうなことだとは思ったが、屈託ない笑顔でそう言われると心がくすぐったくて、皐月はついそっぽを向いてしまった。
「そうじゃないですけど・・・。広い館の何処に居たらいいのか分からなくて、暇だし・・・」
「やっぱり僕を待っていてくれたんだ。僕を頼ってくれるなんて幸せだよ」
くすりと笑ってシャイアが腕を差し出す。手を回すように促していると皐月にも分かった。
「お部屋までお送りしますよ、お嬢様」
「有り難うございます」
礼を言ったものの、皐月は手を回さずに歩き始める。
「大勢人がいる前でそれをすると男に恥をかかせる事になるよ」
「今は2人だけだからいいでしょ?」
残念そうな顔のシャイアが皐月の横を歩く。
「ドラゴンは、もう私達を気にかけないくらい力を付けてるということですか?」
「気にかけないことはなさそうだけど・・・、力を発揮するには充分な程力が集約しているようだね」
「霊寄せとか、あまり効果無いかもしれないですね」
シャイアがすっと側に寄り皐月の腰に手を添え、
「勇者ラシュワールが倒したドラゴンは光だ」
左に見えてきた廊下へと皐月を導く。
「何処までも真っ直ぐで、勝手に契約を破る事はドラゴン自身が許さないと思う。僕の倒したドラゴンと違ってね」
「・・・ヘルドラゴン」
「そう、あいつは姑息な奴だ」
「契約の事?」
「そう」
グロリアの部屋のドアを開けて、皐月を先にシャイアがドアを閉じる。
「人とは結ばれないって
「契約じゃなくて?」
「あんなのは契約とは言えない、狡い狡すぎる」
「女の人と恋愛を楽しめないから?」
シャイアが凄く残念そうな顔をしてみせる。
「美しい女性に出会ってもベッドを共に出来ないなんて悲しすぎるじゃないか」
皐月があからさまに呆れた顔を向けた。
「ああ、そんなことですかッ」
「あいつは一発再生を狙ってるんだよ。子孫を残せなければ僕が死んだ途端、即座に再生だからね。
シャイアが狡賢いという事について理解は出来たが、本当に残念がっているのはそこではなさそうだと思った皐月は、冷たい眼差しをシャイアに向けた。
「でも、君は人じゃないから・・・希望が見えた」
「あっ・・・」
2人きりの部屋の中、ベッドもある。まさか・・・と皐月が後ずさる。
「安心して。嫌がる女性を押し倒して喜ぶような趣味はないから」
シャイアがにっこりと微笑んだ。
「でも、協力してくれると嬉しいな」
そっと近づくシャイアから少しずつ後ずさる皐月。
「死んだ体じゃ子供なんて無理よ」
「そう、だから。 ーーーどうしたらいいか、考え中なんだ」
シャイアの伸ばした手が皐月の髪を撫でる。
「お休み」
皐月の額にシャイアの唇がそっと触れる。
「眠れるといいね。夜は長い」
シャイアはそう言って名残惜しそうに部屋を出て行った。
ドアの閉まる音を耳にして、皐月は小さく溜め息を付く。ほっとしたようながっかりしたような気分の自分に、そっと苦笑いする。
「私、期待してたのかな・・・。馬鹿みたい」
そんな皐月を見つめるのは月だけ。
この部屋の中で隠れていたのはほんの数日前のことだ。それなのに、まるで数ヶ月前のような気がするのが不思議だった。
寄り添うように見えていた月は離れ離れになり、こちらを見下ろしている。
時空ドラゴンと呼ばれた者は皐月を知っていた。
いったいいつから見られていたのかと思うと、微かに不気味さを感じた。
ベッドに潜り込み、肌触りの良い掛け布団を抱きしめる。
この部屋で共に過ごした猫のクリスタは今頃どうしているだろうかと気になった。カルバンと仲良くしているだろうか、きっと彼の猫のように懐いているだろう。
クリスタの柔らかさとグルグルと喉を鳴らす声を思い返して、皐月はふぅと深い溜め息を吐いた。
「みんな、お休み」
眠れる気がした。
この世界にやって来て、皐月は初めて心穏やかな夜を過ごすこととなった。
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