第29話 「 清浄な大地 」

 館へと馬を走らせる馬上から、流れゆく緑の大地を皐月は見ていた。


 草地と森が流れ去り丘がうねる。遠い山並みが少しずつ変化していく。

 どこも変わらぬ様に見えて、ある所でふと空気が変化するのに皐月は気付いた。今まで見てきた景色と何も変わらないはずなのに、軽やかで爽やかな気配に包まれていく。


「館はもうすぐだ。気配が変わったのに気付いた?」


 辺りに目を走らせた皐月に気付いてシャイアが声をかける。


「うん、何だか違う」

「聖剣によって浄化されているからだよ。有り難う」


 シャイアはそう言って帽子の鍔に軽く手を添えた。それを見て皐月は首を振る。


「ただ・・・私は助かりたかっただけ」

「それでも結果的に他者を救うことになったんだよ。その時、館にいたゾンビ達もね」


 優しい笑顔を向けるシャイアに皐月も笑顔を返す。


「他国から国境を越える時も同じように変化を感じるんだ。だから、この国の清浄さは保たれていると思っていた。これまでも国境くにざかいでゾンビが現れる事が時折あったが、それは力の及ぶ果てだからだと思っていた」


 シャイアの瞳がわずかに曇る。


「ゾンビなど大した事はないと思っていたが・・・、勇者ラシュワールが大地を清めてから2千年は経つ。国境から遠く離れたこの場所でもゾンビが動き回れるとは思ってもみなかった」


 聖剣の発した浄化の光。その力も衰えてきているのだ、人が気配の違いを感じるくらいに。


「王都に戻ったら王に進言してみるよ。儀式として毎年やったっていいくらいだ。何故今までそうしなかったんだろう? ゾンビが自由に動けるほど効果が落ちてるのに」


「シャイアは王様に会えるような身分なの?」


 皐月の質問には答えず、シャイアはいたずらっぽくウインクするだけだった。



 ゾンビ達は聖剣の光を恐れ、その力の及ぶ範囲から逃げ出して行った。館やフラナガンの農場で光を放つまで、彼等が逃げることなく動き回っていたのだ。この大地は再び浄化しなくてはいけない時期に入っているのだろう。


「当たり前の事だ世の中そんなものだと知ったような顔で生きているけれど、常識ほど疑わなければいけないんだな・・・」


 真剣な面もちでシャイアが遠くを見つめる。


 誰かの口にした言葉が正しく思えても、多くの人が同じ事を言っていても、それが本当に正しいかは分からない。それなのに、私達は動かしがたいほどの真実のように思って別な見方を軽んじたりする。それは無理だとやってみる事を放棄して知ったかぶりをしてる。こんな物だと諦めたりする事も。


 勇者ラシュラールが勇者の剣で大地を清めた後、ゾンビを知らない世代はどれくらい続いたのだろう?


 皐月は黙って、そんな事を考えていた。





  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇




 空気が変わった・・・そう感じてからだいぶ走った頃、実を付けた木々の間を通る道へと入った。


 手入れの行き届いた果樹園のその向こう、高い塀の向こうにラシュワールの館が見えてきて、皐月は何故かほっとしていた。生まれ育ったわけでもなく、たった一度目にしただけの景色に懐かしさを感じる自分が不思議だった。


 門をくぐり館へと続く長い道を走る。


「グロリアスは君のことをどう思うだろう」


 それまで黙っていたシャイアがふいにそう言った。


「君は父親への挨拶の仕方知ってる? 不作法さに怒るかもしれないなぁ」


 いたずらっぽい顔を皐月に向けて、シャイアが笑っている。


「ゾンビになったショックで記憶の一部を欠落した・・・て事にする?」


 いたずらを考える少年の様な顔だ。

 この事は皐月も少し気になっていた事ではあった。


「私、フラナガンさんに記憶がないって言ったの。農場から村へ向かう途中まで一緒だった。彼は私と別れて館に行ったはずだから、多分、グロリアのお父さんにはそう伝わってると思う。私が、グロリアがゾンビになった事も」


「そうか・・・。それならば、君の様子が多少変でも気にしないだろう。グロリアスは器の大きい良い人だよ。彼が・・・」


 言葉を続けることを躊躇したシャイアの顔に「無事であればよいが」と書かれていた。





 館の前の広いロータリーを真っ直ぐ抜けて玄関の前で馬を下りると、下男らしき男が直ぐにやってきて馬の手綱を引いて行った。


 階段に近付くと入り口の両脇に立っている騎士が最敬礼をする。

 敬礼など見たことのない皐月でも、最高の敬礼だろうと分かるほど彼等が緊張していることが伝わってきた。


「楽にして」


 真っ直ぐ前を見つめる若い騎士達は、階段を上がってくるシャイアをチラ見しながら顔を強ばらせている。柔らかな笑顔を向けるシャイアの顔を見て、彼等が更に体を堅くしたのが分かった。


「普通にしてていいんだよ」


 玄関の両脇に立つラシュワールの騎士とランスロウの騎士がチラッと目を合わせて困っている。


 どうする?

 最敬礼をやめて普通にする?

 え?

 どのタイミングで?

 やるの?

 ほんとに?


 言葉を交わさずとも、彼等の目線と表情に気持ちが如実にょじつに現れていて、思わず皐月は吹いてしまった。


「お・・・お嬢様ッ」


 困った2人の騎士が皐月に助けを求める。彼女の横で苦笑いしていたシャイアが口を開いた。


「休め」


 柔らかながらしっかりした声に2人の騎士が従う。これは声の強弱ではない。訓練で染み込んだ反射的行動に、本人達も戸惑いながら休めの姿勢で固まった。


 玄関を過ぎ長い廊下を歩く。


「誰か・・・案内する人を待たなくていいの? 勝手に入って行ったら叱られない?」


 軽く皐月に目を流してシャイアは微笑んでいる。


「案内は要らない。彼が居るなら何処か、僕は知ってるから。それに・・・」


 次の言葉を待って皐月が見つめる。


「お嬢様と一緒だからね」


 ああ、なるほど。と皐月は苦笑いする。


「普段なら君の侍女がやって来るはずだけど・・・」


 シャイアが最後までは言わずに目を伏せるのを見て、皐月ははっとした。侍女はグロリアを迎えに来れないのだ、多分。


「人手が足りなくて、他のことに掛かり切りになってるのかもしれないよ」


 皐月の気持ちを察したシャイアが優しい声音でそう言って、悲しみを振り切るように足を早めた。





 フラナガンも足を踏み入れた執務室の前に立ち、シャイアがノックする。中から返答があり、シャイアが皐月に目を向け頷いてからドアを開けた。


「・・・! シャイア様!」


 中へ入ると、三つの声がほぼ同時に驚きの声を上げた。当主グロリアスと騎士隊長のハーライル、そしてランスロウだった。

 彼等の驚きに皐月も驚いて、傍らに立つシャイアを見上げる。


(シャイア様? 様!?)


「そんなに驚いてもらえるなんて、来た甲斐がありました」


 少しはぐらかすように笑って皐月にちらりと目を向ける。聞いてないと抗議する表情の皐月をよそに、シャイアは涼しい顔でグロリアスと会話を始める。


「ご無事で安心しました。しかし、貴方がゾンビに?」


 シャイアの言葉にグロリアスは頭を掻いて苦笑した。机に向かっていたグロリアスはゆっくり立ち上がり、ハーライルが側に来るのを待っている。


「実際にゾンビと戦ってみないと分からないこともあるものですね。胴切りされた人間がほふく前進して来るとは思ってもいませんでした」


 そう言って彼は利き足を見せる。

 膝下の無い姿にシャイアが悲しそうな顔をし、その横で皐月は手を握りしめる。


「シャイアなら、出来るよね」


 小声で言った皐月に「後で話そう」とシャイアが囁いた。


「さぁ、どうぞ」


 2人を促して、ハーライルの肩を借りたグロリアスも来客用の長テーブルへ移動する。

 皐月は何処に座るべきかとまごつき、シャイアに手を引かれるまま2人掛けのソファーへと腰をかけた。


「シャイア様、どうぞこちらにお座りください」


 グロリアスが一人掛けの椅子をシャイアに勧める。


「いえ、当主である貴方に座って欲しい。私はただの来客です」

「とんでもない」

「困らせないでください」

「それはこちらの台詞ですよ。シャイア様」


 シャイアは大きく溜息を付いて、困った人だなと言いたげな表情で首を振った。


 どうなるのかとハラハラ見ていた皐月はハーライルに目を向けるが、彼は表情も変えずグロリアスに従っているだけだった。


「様・・・なんて、僕が窮屈な事が嫌いなのをご存じでしょう? 普通にさせてください。お願いします」


 手を合わせて拝むシャイアにグロリアスが困り顔で笑う。


「他の者のいない時だけですよ?」


 折れるグロリアスにシャイアがにっこり微笑む。

 きっとこんな掛け合いはよくあるのだろう。付き従う2人の男が表情を変えず黙っているのはそのせいに違いないと皐月は思った。


 グロリアスは一人掛けの椅子には座らず、2人と対面する椅子に腰を下ろした。ハーライルとランスロウがその後ろ、少し離れた後方に立っている。


「東の国に行くと言われてましたが、いつ戻られたのです?」

「昨日です。噂が耳に入ったものですから早駆けで、馬を疲れさせてしまいました」

「そんなに早く噂が・・・」


 グロリアスがいぶかしむ。


「今回は、妙に噂の広がりが早いようです」


 一呼吸置いて、グロリアスが皐月にちらりと目線を走らせる。


「娘とはランスロウでお会いになったのですか?」

「ええ」


 短く答えて、シャイアが含みのある表情で皐月に顔を向ける。


「グロリアは僕の事を忘れてて、危うく剣を向けられるところでした」

「何という事を!」


 気色ばむグロリアスに皐月が狼狽うろたえる。


「シャイアッ・・・」


 皐月の顔を見てシャイアが楽しそうに笑った。


「怒らないであげてください、彼女は記憶を無くしてしまっているんです。僕のいつもの冗談ではありませんんよ。本当のことです。彼女は貴方の顔すら覚えていない・・・そうだろう?」


 優しく促すシャイアの横で、皐月は気まずい思いで頷いた。皐月の様子を見つめながらグロリアスは黙っている。


「彼女の事では驚かないんですね」

「フラナガンから話は聞いています。ゾンビである事も記憶がないことも」


 シャイアがそっと手を伸ばし、皐月の手を優しく握って微笑んで見せた。






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