第21話 「 黒マントの男 」

 黒い男の陰が塔から飛び上がり、150メートルは優にある距離を軽々と越えてこちらへ向かって来る。


「嘘でしょ?!」


 驚き思わず呟いた皐月は目でその姿を追い、そして、到達地点と思える場所から距離を取った。雨音がするとは言え、何の音もなく飛んでいる姿は不思議と言うより異様さが際だつ。


(何? 人の姿に化けられる魔物か妖魔なの?)


 緊張した皐月の左手が聖剣へと伸びる。

 音もなく手摺りに降り立った男のマントは雨に濡れ、黒くてらてらと灯りを反射させて不気味な気配を漂わせる。

 男は細い手摺りの上で体を丸めて、しばし雨に打たれてこちらの様子を窺っているように見えた。


 黙ったままのふたりに聞こえるのは、雨音とマントから落ちる水滴の音だけ。


「派手にやったものだな」


 しばらくして発せられた男の声は若かった。

 少し上げたおもて鍔広つばびろの帽子が落とす陰に隠れて見えない。


 皐月は剣に手をかけたまま見据え様子を窺う。

 こちらを刺激しないためか、男はそろりと手摺りから降り顔を正面に向けた。横からの灯りが顔を照らし、声同様に若い男であることが分かった。


「やぁ・・・」


 25・6才くらいだろうか。帽子にマント、ズボン、全身黒ずくめの青年がこちらに笑顔を向けている。少しばつの悪そうな笑顔が人懐っこさを感じさせた。


「久々の再会にしては、冗談きつくない?」


 明るく軽やかな声が雨音を制して皐月の耳に届く。彼の指さす先は剣の柄にかけた皐月の手。

 男は帽子を取り胸に当て、軽く顎を引いて挨拶をする。


(グロリア、この人知り合い?)


 皐月の問いに彼女の返事はなく、残された記憶にも彼の情報はみあたらない。

 警戒を解いていいのか判断が付かず、彼の一挙手一投足に気を向ける。相手はグロリアを知っているようだが、一体何者なのだろう?


 胡散臭い・・・それが皐月の第一印象だった。


 グロリアから受けた印象や記憶の欠片に魔物との関連性は感じられなかった。しかし、彼女の記憶のすべてを見たわけではないことも皐月は分かっている。


 警戒を解かない彼女に慌てることなく、構えることもしない男を皐月はいぶかしむ。それを知ってか、 自分の両脇が皐月に見えるように、垂れたマントを肩に掛けて男はゆるりと一歩踏み出す。立派な剣が腰にぶら下がっているのが見えた。


 皐月が一歩引く。


「そんなに警戒しなくても・・・」


 苦笑いに切なさを込めた表情で更に近付く。


「来ないでッ」


 きつい皐月の声に男は立ち止まる。

 少しの間考えを巡らせ、ちらりと目を落とす。床に転がり人の気配に頭だけを動かすゾンビ達を見下ろして、男は肩をすくめた。


「切り殺さないのは君らしい。 ーーー明日は晴れるといいけどね・・・」


 グロリアを知っていることを更に臭わせて、聖剣の事も知っていると伝えてくる。


 何を何処まで知っているのか。何故ここにいて、何をしていたのか。グロリアとはどんな間柄なのか・・・。そして、この男は一体何者なのか?

 次々と疑問符だけが湧き上がってくる。


「ゾンビに襲われてると聞いて、君のことが心配で急いで戻ってきたんだ。無事で良かった」

「ここは私の住む所ではないのに?」


 皐月は知りうる限りの情報から質問をひねり出す。


「東の国に行ってたんだ。館よりここに到達するのが先だし、来てみたらこれだろ? 何が起きているのか調べずにはいられないじゃないか」


 柔らかな表情に真面目さを覗かせて男は言った。


 調べる?


 調べてどうするのだろう。騎士には見えない、系統だった役職を持つ人間には思えない。よその国と交流を持つからといって行商人や道化にも見えない。そうかといって平民や農民とも違う。

 考えれば考えるほど男への疑問が膨らんでいく。


「本当に君のことが心配だったんだ。自分でも馬鹿だと思うけど、何度ふられても君を嫌いにはなれなくて・・・、困ったもんだよ」


 そう言って、突然、1体のゾンビに剣を突き立てた。


「・・・・・・!」


 驚いて見つめる皐月の目の前で、ゾンビに突き立つ剣の側から魂が抜けて空へと昇って行く。


「好きな人がいると断られても、そのうち喧嘩でもして分かれるんじゃないかと思ったり・・・」


 次いで2体目の胸に剣を下ろす。魂が抜けたゾンビはコトリと頭を床に落として動かなくなる。


「魂寄せのために結婚するって聞いたときにはがむしゃらに粘った」


 3体目も同じようにして魂を解放する。


魂寄たまよせのためなら僕が適任だろ? どう考えたってッ!」


 男はビュッと音をたてて剣の血を払い、皐月は驚いて剣を抜きかけた。直ぐに剣をしまった男が、両手を胸の前で広げて攻撃の意志がないことを伝える。


(魂寄せって何?)


 今まで会った誰の口からもそんな単語は聞いたことがない。


 ・・・・・・!


 ふと考えに集中して目をそらした隙に、男が皐月の目の前に立っていた。剣の柄を押さえられ、抱き締める男の力に体の動きを抑えられ身動きがとれない!

 細身でそれほどの力がなさそうに見えて意外な力強さに皐月は驚く。


「すまない・・・。国を離れていた間にこんな事が起こるとは・・・・・・」


 声に含まれる切なさに皐月は戸惑った。払い退けるべきか、心配し駆けつけた男に礼を言うべきなのか・・・。


「遅かった・・・君がゾンビになってしまったなんて・・・」


 泣いている気配が伝わってくる。皐月はどうしたらいいのか迷い考えあぐねる。

 警戒が薄まった皐月を両腕で抱き締めて、男がそっと耳打ちをした。


「君は・・・、誰なんだ?」

「・・・・・・!」


 驚き咄嗟に男をはね退けようとしたが、きつく腕を押さえられて動くことが出来ない。


「はっ・・・離して!」


 皐月はもがくが、既に遅く身動きがとれない。


「グロリアならこんな事はさせないし、僕の挨拶にあんな反応しないよ」

「くっ・・・!」


 いったい何者なのか。いまだに敵意は感じられない。しかし、腕の力を弱めることもなく抱きすくめる。


「まぁ、君が誰にしても・・・。愛するグロリアを抱き締められるなんて・・・、残酷なほど幸せだよ」


 必死で体をよじり男の拘束から逃れようとし続けるが、思うようにはいかず皐月は焦った。頭の中で「敵か? 見方か?」とグルグル考えが巡る。


「グロリアに見える。ヒューイットも知っているし、彼の死を悲しむ心もある・・・。だけど・・・・・・」


 いつから見られていたのだろう・・・と皐月は思う。


「君は・・・グロリアじゃない」


 切なさの籠もった声が皐月に刺さる。


「知ってる? グロリアは右利きだよ」


 男は優しい声音で皐月に問いかける。利き手のことを皐月は少し前に知ったばかりだった。それまで体の持ち主の利き手のことなど考えもしなかった。この男はグロリアのことをどれくらい知っているのだろうか・・・。


「君をとがめる気はない。彼女の代わりにゾンビに剣を向けたのを見ていたよ」


 皐月は言い逃れなど出来ないと諦めて、男の腕から逃げることを止め力を抜いた。


「僕とおとなしく話をする気になった?」


 皐月は黙って頷く。

 彼女の気持ちを確かめるように、皐月の腕を握ったまま男は体を離した。


「・・・綺麗だ」


 真っ直ぐ皐月を見つめそっと呟く。


「いい子だ、じゃないの?」

「大人の女性に『子』なんて使わないよ。 ーーーそれとも、君は子供なのかい?」


 曖昧に笑って皐月は首を振る。


「綺麗だ・・・って、唐突すぎる。会話になってない」


 彼は苦笑した。


「唐突だ・・・って・・・」


 涙が彼の頬を流れ落ちる。


「グロリアにも・・・・・・よく言われたよ。 ーーーでも、仕方ないだろ? グロリアは綺麗なんだから」


 切なさを隠す彼の笑顔が、目を通して心に落ちてきて皐月の心を切なくさせる。






「あなたは、誰?」


 質問する皐月に人差し指を突きつけて、


「僕の質問が先だろ? 君が答えたら教えて上げるよ」


 軽やかに笑う。


「・・・・・・皐月よ。皐月って言うの」

「さ・つ・き・・・」

「そう」


 少し言いにくそうに名を口にして「ふぅん」と軽く頷いてみせる。


「エキゾチックな名だ」




 この世界にもエキゾチックなんて言葉があるなんて・・・と皐月は苦笑いした。








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