第19話 メニュー表で顔隠してニヤニヤ

 木を基調とした落ち着いた雰囲気の広々とした『亜細屋』の店内、その隅のテーブル席。そこに咲季と舞花は座っていた。距離が二席分開いているが、ちょうど正面に秋春と璃夢りむの横顔が見える位置。

 店内に客はまばらに居るといった具合で、咲季達と秋春達との間には誰もいないという、秋春の監視には絶好の状況。


 そんな中、店のドアが開き、自分達の方へ向かって来る影を咲季は捉えた。


「あ!」


 咲季がその人物に小さく手を振る。やって来たのは咲季と舞花の友人、凛だった。相変わらずの野暮ったい髪を左右に振り、の彼女はすぐに自分に手を振る咲季を視認し、息を切らせながら小走り。


 しかし道半ばで視線を秋春の方へ一瞬寄せた後、立ち止まり何かに気付いたのか「あー、うん?」とひとりごちて歩調を緩め、何故か隣り合って座っている咲季と舞花の前に。


「ヤバイことが起きたって聞いたけど〜?」

「やばいよリンリン!」

「いやだからそれは聞いたって。何やってんだあんたらはって意味〜」

「ストーキングしてる!」

「ホントに何やってんだ」

「しーっ!秋春君に気付かれちゃう!」


 人差し指を立てて抑えた声量で凛に注意したのは舞花。何故か涙目である。


「え、怖。なんで泣いてんのこの人?」

「だ、だって、秋春君が女といい感じの雰囲気作ってるっ!」


 舞花、駄々っ子のように腕を振って秋春の席を指差す。そこには談笑する秋春とショートボブのすらりとしたシルエットの美女が隣合って座っていた。


「わ〜、気づかなかった。すっげ美人〜」

「最初普通に話してると思ったら急に隣に座ってイチャつき出したの!信じらんないでしょ!信じらんない!!」


 咲季、駄々っ子のように首を振る。

 凛は「モテるなお兄さん」と苦笑いした後、首を傾げた。


「てかお兄さんは今日ウチらと一緒に買い物に行くんじゃないの〜?」

「お兄ちゃん暇だと思ってたのに用事あるって言われて、その用事がこれだったのっ!」

「予定聞いてなかったんかい」

「だってお兄ちゃんぼっちだもん。基本予定無いもん」

「ぼっちじゃないみたいだけど〜? むしろ誰もが羨むキャンパスライフを送ってるようにしか見えないけど〜?」

「ね!詐欺だよ詐欺!」

「まあ、そこはどうでもいいんだけど、あんたらはなんでお兄さんをつけてきてんの〜?」


「なんでって?」

「何がなんで?」


「え〜……」


 どうやら秋春に女の影があればストーキングして調査するのは当たり前らしい。凛はドン引きしつつ、


「…………あは。まあ、平和な呼び出し理由で何より」


 安心と焦燥の中間のような煮え切らない態度で咲季の正面に座る。


「ちょっとリンリン!そこいたらお兄ちゃんが見えない!」

「…………」


 自分との約束を反故ほごにして呼びつけておいてその態度? という当然の感想が出てきたが、仕方なく横にずれる。


「ちょっと凛!邪魔!」


 今度は舞花だった。


「は〜?お前ら何なん?」


 珍しく怒りの混じった声色で立ち上がり、今度は舞花の隣を詰めて無理矢理座る。

 二人分のスペースしか無い席で、すし詰めの状態となったが舞花と咲季は前方の視界が空けば良かったらしく文句は無い。

 凛がため息をついて隣のブラコンと恋する乙女を眺めていると、それに舞花が反応した。


「なにさっきからじっと見て。きしょいんだけど?」

「その様子じゃまだか」

「なにが?」

「ん〜? や、そぉだな〜、このストーキングの会が終わってからでいーや話すの」

「? なにそ……」

「マイマイ!なんかやってるあの二人!なんか動画見始めた!なんかイヤホン共有し始めた!!」

「にぇっ!?」


 凛、再度ため息。

 夢中になってワイワイやってる二人をこの後申し訳無さを覚えたが、今は鬱々とした気分を切り離し、仕方無く二人に付き合うことにした。


「あの美人さんとお兄さんが付き合ってるって〜?」


「「付き合ってない!!」」


「……あ〜、はい。付き合ってるかも知れなくて?」


「「そんなこと無い!!」」


「…………あ〜はいはい、まあ、なんか気になると。で、あのお二人が仲良さそうでブラコンと恋する乙女がヒスってるわけ」


「ブラコンじゃないし!」

「ヒスってねーから!」


 凜は「お元気ですな〜」と力無く笑った。なんという熱量か。


「てか凛!からかってるだけなら出てってくんない!?」

「そうだよリンリン!これは真剣なの!戦いなの!無用な茶々入れるんだったら帰って!」

「わ〜、手が出そうになったわ〜。殴らないだけ感謝しろ〜?」


 約束を直前で変更された上にさして興味も無い男女のみつみ合いを見せられるためだけに呼び出され、その上罵倒されるとは。

 後で何か仕返しをしてやろうと誓って、言われた通り黙り、秋春とその横の美女を眺める。


 イヤホン共有して何か動画を見ている男女。

 店内のBGMや距離の問題があり会話の内容は判然としないが、聴いてる曲に対して感想を言い合っているような様子だ。

 しかもその様子は自然体で、ぎこち無さはまるで無い。まさにカップルの日常風景といった具合である。

 凛は思わず呟いた。


「え?付き合ってんじゃん」

「「だから付き合ってない!!」」

「声でかいよ〜、バレちゃうよ〜」


 凛の忠告通り、咲季達の大声に反応した秋春がちらりと顔を向けていた。

 二人は咄嗟にメニュー表を広げて顔を隠す。次いで呑気に店員の呼び出しボタンを押そうとしている凛を睨んだ。


「凛が馬鹿げたこと言うから……!」

「そうだよ他人事だと思って!」

「うん他人事〜」


 聞き流し、呼び出しボタンを押す。


「この人でなし」

「冷徹女」

「ウチのこと放っといて男のケツを追っかけに行った人でなし冷徹女共がなんか言ってますね〜」


「そ、それは……」


 咲季が言い淀む。

 瞬間、店員がやって来て注文を訊く。凛は適当に700円程度のパンケーキを三つ注文。

 店員が去ると、頭が冷えたのか咲季が頭を下げた。


「ごめんなさい」

「そうそう、大人しく反省しろ馬鹿ども〜」

「でも、あの女時々メニュー表で顔隠してニヤニヤしてたんだよ! ムッツリだよあれ!秋春君の事狙ってるよ!万が一の時にアタシが守らないといけないじゃん!」


 舞花は頭に血が上り過ぎて意味不明な主張をしだした。


「何が〝でも〟なのか分かんないし何を守ろうというのかも分からないな〜、頭イカれてるのかな〜」


 スマホを取り出してアプリゲームを始めて完全に聞き流し始める凛。

 が、もっと意味不明な人物がもう一人。


「ちょっとぉ……リンリン、も、もう、分かるでしょー? もう…………」


 咲季である。


「は?」

「え?」


「……………………や、だからぁ、お兄ちゃんのぉ、おち……貞操を……守る……的な、こと、でしょ?ね、マイマイ?」


「え?」

「え?」


 どうやら舞花自身もさっきの発言を特に何も考えずに言っていたらしい。曇り無い目で首を傾げていた。


「あ~、そういう」


 凛がやっと咲季のやりたい事に合点がいき、口を開ける。

 凛といつものノリの下ネタで舞花を揶揄からかってやろうという魂胆だったのだろう。

 が、どちらも意図に気づかず、その後に残るのは疑問符の満ちた停滞した空気。


「……………………………………」


 沈黙。誰かのスマホから流れた通知音が虚しく響く。



「カマトトぶってんなよこの野郎!!」



 咲季は耐えられずに叫んだ。


「通じなかったからって照れ隠しでキレないでくれる〜?」

「別にそんなんじゃないし!リンリンが自分の汚い本性を隠してるのを指摘しただけだし!」

「あは。まあ否定はしないけど〜、それよりめっちゃメッセの通知鳴ってるけど、見なくていいの〜?」

「そんな事今はどうでも……ってうるっさ!何で急にこんな大量にメッセ来てん……」


 異常を感じるほどの通知音の嵐が鳴り響く。それは全て咲季のスマホから鳴っていた。

 咲季が不満げにその画面を見た瞬間、


「――――」


 顔色が変わった。


 それを凛が厳しい目で見つめたところで、



「あのー」



 低い声に呼ばれて顔を上げ、凛は「あ」小さく驚き、舞花は「ひゃ!?」と顔を赤らめる。


「何やってんの君ら? あと咲季」


 秋春だった。流石に騒ぎすぎて気付いたらしい。後ろには長身の美女、璃夢りむ


「あは。また会いましたねお兄さん」

「うん、どうも。で、『イデオン』に行くって聞いてた気がしたんだけど?」

「咲季の悪ふざけみたいなものですね〜。そっちに行かずにお兄さんをストーキングしてました」

「やっぱり咲季の奇行か……」


 凛の簡潔な説明に秋春は片手で頭を押さえ、俯いている咲季を睨んだ。

 隣に立つ璃夢はなぞるように凛、舞花、咲季と目を滑らせる。


「片桐、知り合いですか?」

「あぁ、うん。コレは会ってたよな? 妹の咲季。こっちの二人は妹の友達で、」

「凛って言います〜」


 ひらひらと手を振る凛。そして、


「城ヶ崎ですー」


 さっきまでの険しい顔はどこへやら。小さな顔に満面の笑顔を作った舞花が挨拶。

 思わず「きも」と呟く凛の足を踏みつけ、舞花は続ける。


「実はここにいる海に行く事になっててー、水着買いにいく前にここに寄っててー、うるさくしてごめんなさーい。秋春君もごめんね?」

「いや、まあ、咲季の悪ノリに付き合わせて逆にこっちがごめんだけど」


 少し様子が違う舞花に戸惑いつつ、秋春は返答。


「……………………」


 璃夢は舞花をすがめた。

 目の前の少女は好意的な態度を向けているように見えるがその実、突き刺すような敵意を言葉の端々に滲ませている。どう考えても。

 目つきをそのまま、視線を秋春へ。


「海……行くんですか?」

「ああ、うん。誘われてさ」

「ふぅん」


 璃夢は興味が無さそうに振る舞い、舞花を真っ直ぐに見つめ、頭を下げる。


「杏璃夢って言います。片桐とは何年も一緒に同じバイトをやっています。片桐はいつもしょうもない事ばかり言ってくるので苦労すると思いますが、そういう時は冷たくあしらってやればいいので」


 口だけ笑顔を浮かべてるが、しかし目は全く笑っていない。

 璃夢は舞花の敵意に絶対零度の殺意をもって返した。


「へぇー、何年も。へぇー」

「はい。何年も。ところで、城ヶ崎さんは片桐とはいつ知り合ったんですか?」

「……数ヶ月前」

「そうですか」


 穏やか。だが、勝ち誇ったような笑み。


「………っ、………、……………ふぅー」


 舞花はプルプル震えながら自分の中で膨れ上がった何かと格闘。自身を落ち着かせるために息を深く吐いた。そして、笑顔。


「凄く仲良くなれそう、アタシ達」

「ですね。とっても」


 幻覚でしかないが、凛は確かに二人の間に火花を見た。超高温の青い火花が。

 いつもなら面白おかしくそのやり取りを眺めている所だが、今はそれどころでは無い。

 奥に座る咲季の様子を伺う。


「咲季、どうかしたの〜?」


 反応は無い。スマホの画面を見たまま固まっている。


「咲季〜?」

「…………え?」


 やっと咲季が顔を上げた。


「大丈夫?」

「あっ、うん! 」


 秋春も怪訝そうに咲季を見る。

 同時に、彼女はスマホの画面を自分の身体につけて隠すようにした。


 ――やっぱり、そうなるよね。


 凛はその反応から何が起きたのか大体の目星がついた。


 凛にとって面倒で、うざったい、くだらない。動物の悪い習性が起こす、醜悪な現象。


 だから、思った。


「皆真面目に人間してるね〜」



 面倒くさいから皆死ね。



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