第12話 あまり遭遇したくないもの


 バスに10分ほど揺られて水族館前のバス停で降り、高温の太陽に焼かれながらすぐ近くにそびえる横に広がった建物へ歩くこと1分。水族館のチケット売り場の前までやってきた。


 シーズン的に水族館は旬(?)だからか、かなり多くの人だかりが出来ている。今から並ぶとなればチケットを買うのに数分は待ちそうな感じ。チケット売り場の周辺は屋根があるので降り注ぐ殺人的日光から俺達を守ってくれてはいるが、そもそもの気温がえげつないので早く中に入りたいところだ。

「ふざけんな地球」「手加減しろ太陽」と二人で天体に文句を垂れ流しつつチケット購入の最後尾に並び、上の看板を見る。


 大人2400円

 中高校生1700円


 と大きめの字で書いてあるのが見えた。

 事前に確認はしてたけど、改めて見るとなんだか高値に感じるなぁ2400円。思わず声が漏れる。


「水族館ってこんな高かったっけ……」

「こんなものでしょ」


 俺の呟きに服の胸元を摘んであおぎながら答える咲季。……インナー着てるだろうからブラが見えるとかは無いんだろうけど、ちょっとビビるから止めて欲しいんだが。


「中古のゲームソフト1、2本。カードのパック11パックくらい買えるって考えると高い」

「わー、やめてよケチ臭い発言。デート中ですよデート中。器が知れますなー」

「俺の恋人を気取るならスマートさ、計画性、楽しい会話の三点はドブに捨ててからデートに臨め」

「うっわ。もしかしてこの後どこ行こうとか考えて無い行き当たりばったり野郎? こーれはゴミ!彼女を楽しませようと考えないゴミ野郎ですわね!」


 一応ここらへんで良さげなカフェとかレストランはピックアップはしておいて、後でこいつにどこが良いか聞くつもりだったんだが、まあ計画してないと言えばしてないか。

 そもそも突如決まっただろこのデートというツッコミは控えておく。


 と、考えを巡らせている内に反応が遅れてしまった俺の事を怒っているとでも思ったのか、咲季が「冗談!冗談だよっ!?」と必死に手を振って弁明。


「え、えっと、そ、そういえばお兄ちゃん前はカードとかよくやってたよねー」


 そしてあからさまに話題変えてきた。別に冗談なのは知ってたので怒ってないんだが、その焦っている様が面白いので何も言わず話に乗った。


「去年まではな。付き合わされたんだよなぁ、バイト仲間に。結局ハマっちゃったけど」


『みるふぃーゆ』のキッチンで一緒に働いていたやつが誘うのが上手かったんだよな。ちなみに元々は俺の通ってた高校で出会ったやつで、『みるふぃーゆ』に誘ってくれたのもそいつなのだ。というのを流れで話すと、咲季は段々と表情を固くして視線をそらし、


「それってリムさん?」


 ちょっと拗ねたような口調で言った。俯いてこっちを見ようともしない。どうしたんだって一瞬思ったけど、あれか、ヤキモチか。

 うーん、杏の時点でコレなのだから、リーファと遭遇したら相当まずいかもしれないな。俺に抱きついてるのなんて見たら大発狂しかねない勢いである。

 普段俺を見下した発言する割には嫉妬心が強くて、なんだかこそばゆい。

 とはいえ勘違いなのでちゃんと訂正しておこう。


「いや男。他にも二次元系のイベントに暇さえあれば連れて行かれた」


「ほら、道端で一回会った事あるだろ」と記憶を探るのを促す。すると咲季は思い出したとばかりに手を叩き、杏じゃなかったという安堵のためか頬を緩ませた。


「あーはいはい、確かにそんな事あったかも。眼鏡かけたでっかい人ね。あの時はやっとお兄ちゃんがお友達作れたって感動したなー」

「なんだその保護者面は」


 話している内に窓口の順番が回ってきたので大人と中高生の二つのチケットを購入。一つを咲季に手渡して水族館の入り口へ。


「だってお兄ちゃん中学三年生から友達……」


 実際はそのアニメイベントにリーファと杏も一緒に行ったり行かなかったりしていたのだが、せっかく咲季の笑顔が戻ったので余計な事は言うまい。


 と、姑息な考えを巡らせていたら咲季が表情を強張らせて立ち止まった。


「?」


 突然の事に俺も足を止めて咲季を見つめる。


 ただならぬ雰囲気。


「どうした咲季?」


 問いかけるが、返事がない。

 何かあったのだろうか。辺りを見渡すが楽しそうな家族連れやカップルの声があるだけでチケット売り場周辺には特に何も見当たらない。


 ――まさか体調が悪いのか?


 最悪の自体を想定して俺は咲季の肩に手を置き……



「おっぱい」



「………………………あ?」


 は?


 予想の埒外からぶつけられた言葉に数秒固まった。

 視線がぶつかる。俺を見上げる咲季はなんかくわっとしている。迫真である。


「ねえ今の子すっごいおっぱい!見た?見た?」

「………………………は?」

「おっぱい!」



 は?



 無言で睨んでると慌てて手をわちゃわちゃ。


「だって、だって!え?見なかった!?さっき横通った娘の、こう、こうっ」


 自身のでかい胸の前で更にでかい球体を手で表現する咲季。やめろ。


「……見ておりませんですが」

「うわもったいない!すごかったよー!ニット系着てたからもうラインがくっきり!もうおっぱい!おっぱい!」

「あの、おっぱいおっぱい連呼しないでくれる?」

「あんな胸AVでしか見たことないよ!!」

「AVとか叫ぶのも止めてくれる?」


 ため息。

 出たよこのパターン。

 こいつ真面目な時とくだらん事を考えてる時の表情に差が少ないから発言するまでどっちなのか分からないんだよなぁ……。最近は真面目な話ばっかりしていたから油断していた。


 ただ、今回のは少しだけ真面目な意図も混じっているのはなんとなく分かった。


「……咲季。一応言っておくけど、気を遣わないで良いからな」


 だから俺は先を歩きながら後ろを見ずに言う。


「もう中学の話されても気分沈んだりしない。だから話題に出したってどうって事ない」


 実際は思うところが無い事は無いんだけど、以前程じゃないんだ。


「…………別にそんなつもりじゃなかったよ?」

「言う割に声裏返ってますが。まぁ、ありがとな。気持ちは嬉しい」


 はっきり伝えないとずっと気を使い続けただろうなこの感じ。なんて思っていると、隣まで追いついた咲季が俺を覗き込むようにして、


「わ、やっぱり顔赤い。照れてるぅーかわいー」

「あ?」

「ごめんなさい何でもないです」


 からかってきたアホを圧で黙らせ、そのまま階段を登って水族館の入り口、そして中へ。独特の暗闇と所々に淡い光を帯びた水槽が俺達を迎える。

 おぉ、この感じ久し振りだな。水族館なんていつ行ったか分からないレベルだけど確かにこんな感じだった覚えがある。

 普段じゃ味わえない非日常感に少し浮足立った。


 隣の咲季は、


「わーー!わーー!」


 周囲の壁や道中に点在する大きめの水槽にに目を奪われて実に分かりやすくテンションが上がっていた。

 まだ序盤なのにこんなハイテンションになれるのは素直に羨ましい限り。俺より確実に人生を楽しめる素質を持っている。


「見て見てお兄ちゃん!これ熱帯魚?かわいい!尾びれでかー!」


 道中にある大きい水槽で泳いでる小さい魚がお気に召したようで立ち止まり、へばり付くようにそれらを凝視。完全にガキテンションである。


「グッピーじゃないの?……ほらやっぱりグッピーだって」


 水槽の右上に付いている名札を見て答える。


「おー、聞いたことあるグッピー。こんなだったんだ。これ全部グッピーなのかな?」


「この水槽のは全部そうみたいだな。種類によって結構見た目違うんだよこいつら」

「へぇ、詳しいねおに……秋春くん」

「…………遊園地の時もそれやってたよな。謎の秋春くん呼び」

「い、いいでしょ別に」

「いいけどさ。ん」


 言いつつ俺は手を差し出す。


「え?なに?あ、チケット代ね、今出す」

「いいよそんなの奢りで。じゃなくて手だよ。繋ぐだろ?」


 口あんぐりさせる咲季。


「お、お兄ちゃんが気味悪いくらい積極的……怖い」

「遊園地行ったときもこんなもんだった気がするけど?」

「や、あれは、その、入院してたし、気軽に外出れない感じだったから、特別にああいうムーブをしてくれたのかと」

「じゃあそういう事にして今日は止めとくか」

「まてまてまてーい!繋ぐ!繋ぐ!繋ぎたい!」


「じゃあ、ほい」


 差し出された咲季の手を取り、指を絡める。

 途中「ぴぇ」という謎の声が咲季から漏れた。

 見ると、仄かに顔が赤らんでいる。そういえば人前で手を繋ぐの恥ずかしいとか言ってたっけ。散々ベタベタしてるくせに、基準が分かんねぇ。


「前から思ってたけどぉ、お……秋春くんって、し、自然に指絡ませるよね。慣れてる?あの生チョコ女と手繋いでラブラブちゅっちゅだった?」


 生チョコ……、多分バレンタインにリーファがくれたやつの事だろう。咲季がくれたチョコ(市販のものを溶かして型に嵌めただけのもの)と比較したのをやたら根に持たれてるからすぐに思い至る。


「〝あの〟って、お前リーファに会ったこと無いじゃん」

「うわっ、デート中に他の女の名前出した。減点30」

「……今のはどう考えても咲季が悪いだろ」

「デートの不具合不都合はすべて男の責任だって港区系YouTuberのポリリンさんが言ってた!」


 こいつの情報源いっつもろくでもないな。


「ていうかリーファってなに? 異世界巨乳エルフにチョコ貰った妄想はネットの中だけでしてもらえます?」

「実際にいるんだよそういう名前の奴が。ハーフなの」

「ハーフエルフ?」

「台湾ハーフ」

「えっ、じゃあめっちゃ美人? 美人でしょ! はっ、もしかして秋春くんが数年前に家の玄関まで連れてきて絆創膏をあげてた茶髪の可愛い女!?」


 なんでそんなすぐ忘れそうな出来事を事細かに覚えてるんだこいつ。

 言われてみると(あんまり覚えてないけど)そんな事あったかもな。リーファが茶髪にしてた時期あったし。あの時はとあるアニメのキャラクターにドハマりしててそのキャラの髪色、髪型、服装を全部真似ていたっけ。

 俺は頷いて、


「先に言っておくけど、リーファもガワは可愛いが中身は宇宙人だから。杏と同じく恋愛的なもんは皆無」


 なんだそれという怪訝な表情をされる。言いたいことは分からんでもないがそうとしか形容しようがないんだよあいつの事は。


「ともかく俺は某愚妹ぐまい曰く灰色の青春を送っていたらしいから女子と手を繋ぐなんて甘酸っぱい経験は無いぞ」

「なのに何なのその余裕……怪しいなぁ」

「何も怪しくないぞー。実は緊張し過ぎてドキドキー」


 適当な事を言うと、歩きながら左側にくっついて来て俺の左胸に手を当てる咲季。

 傍から見れば必要以上にベタベタしているカップルである。周囲からちらちらと視線を感じるのは勘違いじゃないだろう。

 それに気づいているのかいないのか(多分気づいてないんだろうな)、少しして咲季は視線を上げた。


「すっごく平脈ですが?」

「ふしぎだね」

「くっ、その余裕顔ぶち壊してやるから覚悟しとけよぉー……!」


 灰色の青春だった割にはリーファのスキンシップのせいで異性に触れる事にある程度耐性ついたから手を繋いだくらいで心臓バクバクさせる事は無いんだよねー…… なんて言ったら咲季にキレられそうなので言わない。


「お、ほら咲季見て。マンタマンタ」

「えっ、どれどれ!?」


 このままだと咲季の奇行が始まりそうな気配だったのであからさまに話題をすり替える。普通ならこんなもので気をそらせるほど人間は単純ではないが、咲季は違う。良くも悪くも基本単細胞なのだ。


「わ!すご!顔キモ!わわっ!おにっ……、秋春くん見てあれ魚がストーム!大群ストーム!テレビで見るやつ!」


 天井まで覆われた水槽の天井付近にいたマンタを見て笑った後、同じ水槽の壁面の方に魚の大群が竜巻のように渦巻いているのを見つけて大はしゃぎ。

 人が大勢いて常に声が飛び交っていると言っても咲季の声は良く通る。またもや視線がチラチラと集まる。その中に男性のものが多いのはそういう事なんだろう。


「あんま大声出すなよ。お前声でかいんだから」

「はーいママ」

「誰がママだ」


「秋春くんがママならパパは結愛ちゃん?」とウルトラ意味不明な不快発言をスルーしつつもっと奥へ。


 が、なんかが視界に映ったので歩くのを止めて一旦小休止。


 現在は小さめの水槽が点在するエリア。向こうに見える人気のありそうなクラゲのエリアにはもうちょっと時間をかけてから行こう。そうしよう。うん。


 俺の様子の変化に気づいた咲季が不思議そうに視線を向けて来るのを誤魔化すために「お、タツノオトシゴだって」と水槽へ気を逸らそうとした……が、



「片桐!」



 背後から呼ぶ声がかかった。










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